2-5.
俺の皮肉みたいなほめ言葉に対し、まるでヒーローを見るみたいに、大道が俺を見るから、俺はいたたまれなくなってスマホの中の猫を見つめた。
悪いことなんて一つもしていないのに、良心の呵責、なんて言葉が頭をよぎる。大道が俺にどんな憧れを抱いているか、それは想像に容易くて、だからこそ、その期待にこたえられないことが心苦しいような、大道を騙しているような、そんな気がした。気にする必要なんてない。けれど、なぜか俺の心にはモヤがかかっている。
スマホを見たのは、自己防衛のためだ。だが、大道はまたも勘違いして、
「あっ、ご、ごめん……。ゲームの邪魔しちゃって」
ともう何度目かわからない謝罪を口にした。それはやっぱり純粋で、言ったこと以上の意味をたったの一ミリもはらんでいないことが伝わる。
俺の価値観を壊していく目の前の敵。その倒しかたを、俺は知らない。
俺はどうすべきか迷って……けれど、これ以上、ゲームを続ける気分にもなれなくて「別に」とスマホをポケットへしまった。
「さっき始めたばっかだから」
ゲームで世界一位になった――しかも、同じゲームをしている――人間の前で、このゲームを続ける気にもなれない。
「なにがおもしろいかわかんねぇし」
と強がって、俺は後悔した。
「あっ……そ、っか」
大道の相槌に落胆の色が濃くにじんだことが音だけでわかる。
自分の気持ちをごまかすためだけに、他人を無駄に傷つけた。そう自覚して、嫌気がさす。こんなにダサいこともなかなかない。
「……始めたばっかで、なにもわかんねぇから」
慌ててフォローを付け加える羽目になったことも、大道の顔に安堵が戻ってなぜかホッとしたことも、恥ずかしかった。
大道は、もっとオドオドしていて、なにを考えているかわからない、そんなやつだと思っていた。しかし、それはどうやら俺の偏見だったらしい。大道は考えていることのほとんどが顔に出る。裏表もない。計算だってしていない。わかりやすいやつだった。
だからこそ余計に、俺はこいつに嘘をつけばつくほどダサい人間になっていく。自分をよく見せようとすればするほど惨めになる。大道を通して、嫌いな自分が見えてしまう。
暇つぶしのゲームをやめて、することがなくなってしまった俺は、けれど無言に耐えることもできなかった。このまま無言でいれば、余計なことばかり考えてしまいそうで。
俺はしかたなく、意識をそらすように口を開く。
「大斗から……あー……大斗ってわかる? 髪、紫の」
「あ、うん。桐谷くん、だよね?」
大道はホウキを持って俺の正面に立ったまま、コクコクと大げさにうなずいて見せる。
「ゲーム、あいつが暇つぶしにって今送ってきたやつ」
「あっ……そ、そっか。ごめん、僕、勘違いして、その……」
「別に」
ただのそっけない返答にも嬉しそうにする大道に、俺はやっぱり自分に呆れる。なんでこんなやつに嫉妬なんか。話せば話すほどわかる。変なプライドや見栄を張り続けることが、ほんとうにバカみたいだってこと。
「……あのさ」
ほんとうに、こんなことにこだわるなんて。
「一位になるって、どんな感じ?」
バカみたいじゃなくて、バカだってわかった。小学生かよって。っていうか、小学生でも聞かねぇよなって。
だが、顔をあげた先、真剣な表情の大道が目に飛び込んできて。
俺の口内にまでわきあがってきていた、自らに対する嘲笑がヒュッと喉へ逆流していく。
長く、重たい前髪の奥、ガラス一枚はさんだ透明な瞳が俺だけを映す。
数秒の沈黙をはさんで、
「……許された感じ、かな」
大道のハスキーな声が空気を震わせた。それはまるで、祈りのようだった。
「うまく、言えないんだけどね。僕、これをやってていいんだって、続けていいんだって……ここにいても、いいんだって、そんな感じ。自分が、自分を認められる、みたいな」
言いながら恥ずかしくなったのか、大道は「ごめん、きもいね」と笑った。
また謝っている、と思う。同時に、なぜか、きもくない、とも思った。
嫉妬とか、羨望とか、そんな見えないもの相手に意味のわからない闘志を燃やしていた自分が小さく感じられるくらい、大道の答えは純然だった。母さんや兄貴のように押しつけがましくもなかった。
「と、とにかく、うまく言えないけど……誰かと戦って、勝って、嬉しい、みたいなことじゃないんだよ。えっと、僕の場合は、だけどね。過去の自分とか、嫌いな自分とかに、打ち勝った感じで……」
――そうだ。俺も、そう思ったんだ。
大道は自分のこと以外、なんにも見えてない。きっとこいつは、スカイツリーに登ろうが、富士山に登頂しようが、眼下の街を見下ろしたりしないのかもなって思ったんだ。自分が来た道を振り返ることはあっても、登り切ったその事実が楽しいって思ってるタイプなんじゃないかって。
それが俺には新鮮で、嫌味がなくて、清々しかった。
「……って、ほんと」
「謝られる意味、わかんねぇし」
大道の、ごめん、を遮った俺の口からは笑みがこぼれた。自分でも驚くほど、自然に。
もちろん、大道も驚いている。当たり前だ。だって、張本人の俺ですら、まだ脳の処理が追い付いていないくらい、衝撃のできごとだったんだから。感情が理性を追い抜くなんて、そう体験できることじゃない。経験が不足しているから、リカバリーの方法も知らないし。
だから、っていうのも変な話だけれど、起きてしまったことを取り繕うことができなくて、俺は制御することを諦める。
こいつといると調子が狂う。
プライドを誇示しているほうがダサく思えるほど、大道が純朴すぎるからかもしれない。しがらみのない、まっさらな関係性だからかもしれない。住む世界があまりにも違いすぎるからかもしれない。
もしかしたら、そのすべてが関係ない、別の理由かもしれない。
なにもかも面倒くさくなって、開き直って、今まで大事にしてきたもの全部を捨ててしまいたくなる。
いやむしろ、そうしなければ、大道とはこれ以上、話していられないような気がした。
そしてこれ以上大道とは話せなくなってしまうことが、俺はどうしてかほんの少し、ほんとうに少しだけ、嫌だった。
「……なあ」
俺の呼びかけを受けて、大道の顔に緊張が走る。ちょうど、ジェットコースターが頂上についた瞬間みたいな。そんな表情だった。
顔面全体どころか体中のあちこちに変な力が入っているであろう大道の様子を見ていたら、こいつにはかなわない、と素直に認めざるをえなくなる。
ほんと、俺も、こいつも、どっかおかしいんだ。
いや、なんならこいつのせいかも。だって、こいつが世界一位なんかにならなければ、俺の耳にそんな話が入ってこなければ、俺はきっと、一昨日までの俺でいられたんだから。
もう、戻れないんだろうな。
俺の中に、そんな予感があって、けれど、それが寂しいような、嬉しいような、そんな気持ちで――ああ、俺も多分、今、ジェットコースター落下直前、みたいな顔をしてるんだろうなって思った。
「誰でも一位になれるって、マジ?」
こんなの、一位になりたいって言ってるようなもんだ。マジ、ダセェ。
過去の自分が、今の俺を笑う。
だけど、多分、一位になるってそういうことだって、今だけは本気で思いたかった。