4-2.
「最近、大道くん来ないんだな」
俺は茶碗を落としそうになって、慌ててそれをもう片方の手で押さえた。
「は?」
なんで兄貴が大道のこと知ってんだよって疑問と、大道が来ないことを気にする兄貴を少しキモイと思ったことへの反発心みたいなものが声にのっかる。だが、兄貴はそんなことに気づけるやつじゃない。相変わらず、爽やかな笑みを浮かべて、「ほら、大道くん。前まで一緒に遊んでただろ?」ともう一度俺のほうを見た。
大道とはあれから一週間、連絡も取っていない。俺の部屋の片隅には、湿ってくしゃくしゃになった段ボールのコントローラーが転がっているだけ。
俺はゲームからも遠ざかっている。
「別に」
なにも考えたくなくて、俺はカレーを口に運ぶ。兄貴の好きな甘口のカレーに、俺は眉をひそめた。
「この間来てた子?」
父のカレーをよそった母が台所から戻ってくる。父さんだけが興味なさげにテレビを見つめていた。
「そう。あの子、すごいんだよ。英語の成績、いつも塾のトップでさ」
兄貴はまるで自分のことのように嬉しそうに笑う。
なるほど、と思った。どうやら、大道は兄貴がバイトしている塾に通っているらしい。
あいつの成績がどうかなんて知らなかった。っていうか、英語トップかよ。ゲームだけじゃねえのかよ。俺、一位とれてねえの、あいつのせいじゃん。
俺は内心毒づいて、会話をしなくてすむように黙々と食事を進める。
「頑張ってるよね、大道くん」
だからなんだよ。知ってるよ。大道が努力家だってことくらい、嫌になるほど知ってる。
でも、その事実をわざわざ話す気にはなれなかった。そんな俺の代わりに、父の隣に座った母の顔がパッと明るくなる。
「あら、そうなの? あの子、たしかに賢そうよね」
母さんは、頭のいい人間が好きだ。いや、それだけじゃない。トップに君臨する人間が好きなのだ。金を持っているかどうか、学力があるかどうか、他人と比べて優れているかどうか。それが、母さんの人を選ぶ基準になっている。
顔はいいのに愛想がなくて、絶対浮気してるだろって父さんを一生の伴侶として選んだことが、そんな母を見事に表していると言える。
母にとっての旦那という存在は、愛情がどうとかなんてもんじゃない。会社の取締役で、政治家の息子で、ゴルフの県大会優勝みたいな、そういう肩書を持っていることに価値があるのだから。
母さんは普段あまり俺に向けることのない笑みを向けて、
「いいお友達ね、大事にしなさい」
とカレーをすくいあげる。
以前、翔太たちが遊びに来たときとは大違いだ。
大道とはゲーム仲間だって言ったら、多分母さん、びびるんだろうなって思った。その顔が見たくて、俺は思わず口を開いてしまいたくなる。大道の悪いところを言ったら、こいつらはどんな反応するんだろうなって。
でも、今すぐゲームなんかやめなさい、とか、大道くんになにを教えてるの、とか、うるせえ小言が始まるんだろうなってこともわかって、俺は結局口を閉ざした。
「そうだ、あんた、大道くんに英語、教えてもらいなさいよ」
なんの気なしに言い放つ母に、兄貴が苦笑する。俺は笑うこともうなずくこともできずに、ただ食欲が減衰していくのを感じていた。
大道のことを考えるだけでも今は腹がたつのに、兄貴と母親の話題の中心に大道がいる。その事実は受け入れがたいものだった。
なにもかも、俺をかき乱していく。
みんな、笑って、平気な顔をして、俺を追いやっていく。
「ごちそうさま」
俺はまだ半分以上残っているカレーの皿を持ち上げて、席から立ちあがる。
「なに、まだ残ってるじゃない」
「あとで食う」
「あとでって、洗い物どうするのよ」
「自分でやるから」
「もう、あんたっていっつもそうやって……」
「母さん、いいじゃん。亮だって自分のことくらい自分でやるよ」
「ちょっと、あなた、あなたもなんとか言ってよ。勇輝が亮を甘やかすからこうなっちゃったんじゃないかって……」
リビングから聞こえる喧騒を無視して、俺はカレーにラップをかける。冷蔵庫の扉を閉めれば、思っていたよりも大きな音が響いた。
「ちょっと! 静かに閉めてっていつも」
「わかったって」
母の金切り声を遮るように謝って、俺はいつもより大股にリビングを出た。駆けるように階段をのぼる。
部屋の鍵を閉めて、ベッドに体を放り投げた。ベッドの下に転がしていた段ボール製のコントローラーが見えて、チクリと心に針のような痛みが走る。
「うざ」
コントローラーを視界から遠ざけるように、俺は枕元に置かれたスマホを手に取った。
充電ケーブルを外してスマホを起動する。ホーム画面にはいくつかの通知。入れたままにしていた『いた猫』の通知と、荷物が配送されたという通知。それから、メッセージ。バイト先からと、翔太たちから。
それから――大道からのメッセージはやっぱりなくて。
「……んだよ」
俺は思わず舌打ちをしてしまう。
大道からのメッセージが入らないかって、期待している。俺が一方的な八つ当たりで遠ざけたのに。今更なにを話せばいいのかも、大道とどんな顔をして会えばいいのかも、わからないのに。
ただ、このままじゃ嫌で。
俺は配送通知を切り、バイト先からのシフト変更の連絡を丁寧に返し、翔太たちのメッセージを適当に流し見て……大道とのメッセージを開いた。
ゲームの話がほとんどだが、最近のやり取りには他愛のない話とか、いつ暇かとか、今度大道が行ったことのないカフェに連れていってやるとか、そんな話もあって。
たった一週間のことなのに、懐かしさを感じる。俺はなにげなくメッセージをさかのぼって、そのうち、いつの間にか、メッセージボックスに打ち込んでいた。
『こないだは、ごめん』
送信ボタンに伸びた指先。俺はハッと我に返って、削除のほうへと指を動かす。
こんなの送って、どうすんだよ。もう一回一緒にゲームやろうって誘うのかよ。一位になんか、なれないのに?
俺なんかが、大道と一緒にいる価値なんて――
噛みしめた奥歯の隙間から、葛藤が漏れ出た。
途端、大道ともう一回、ゲームしたいって、俺の心が叫んだ。
体の奥深く、暗い底のほうから、俺の、俺自身の本音が、指先を動かす。
送信ボタンを押した手は、震えていた。




