3-9.
スマホのアラームで、俺はマルオカートを走らせていた手を止めた。
「やべ」
俺は慌ててマルオカートのゲームを中断してスマホに手を伸ばす。動画配信アプリを立ち上げ、RTA大会の公式チャンネルをタップした。
RTAの配信はお盆休みの三日間、丸七十二時間休みなしで続く。RTA界隈では、冬の大会と合わせて最も熱い時期らしい。ゲームが変わるごとにプレイヤーや実況、解説の人も変わり、とにかくゲームの祭典と言っても過言ではないほど、どのゲームでも盛り上がっていた。
もちろん、俺の知らないゲームがほとんどだし、バイトや夏休みの宿題ですべての配信を見ることは不可能だ。
だが、今日の配信は別。絶対に見たいからってバイトまでわざわざシフトを変えてもらったのだから。
お目当ての配信――きらめきメモリアル開始予定時刻まであと三十分。
どうやらまだ始まっていないらしい。配信画面にはきらメモの一つ前のゲームが表示されていた。俺はホッと胸をなでおろす。同時、メッセージアプリを起動する。
『大道が好きなやつ、RTA配信やってんぞ』
多分、あいつのことだから知ってるだろうけど。ただ、見てるぞってなぜか大道に報告しておきたくて、俺はメッセージを送信する。
いつもならすぐにつくはずの既読がつかなくて、俺はもう一度メッセージを送った。
『全然わかんねーけど、とりま、見てるわ』
バックグラウンドで再生されていた配信アプリから、ゲームをクリアした声が聞こえる。既読のつかないメッセージアプリを閉じて、動画配信アプリに画面を切り替える。
あ。もしかしたら、すでにあいつも待機してんのかも。だとしたら、メッセージとか見てねえな。
俺よりも気合が入っているであろう大道の姿を思い描いて、俺も配信を見続ける。前のゲームはどうやら新記録には及ばなかったものの好タイムだったようで、コメント欄にも『GG』『ナイスラン!』などと称賛の言葉が並んでいる。
RTAをプレイすることを走る、といい、プレイヤーは走者と呼ばれる。
大道から教えてもらったことを思い出して、なるほど、ナイスラン、と俺はわからないなりにコメントを打ち込んだ。
陸上をやっていた俺にぴったりだって大道はキラキラした目で言っていたけれど、俺にとって陸上は苦い思い出の塊でしかなくて、それを言われたときは素直に喜べなかった。
今なら、もう少し喜べるかもしれない。マルオ64をやって、走り切るってことがどれだけ難しいことか、少しわかった気がするから。
走者のやり切ったような表情と、解説者の楽しそうな笑顔が画面に映る。次の準備までの間を繋ぐような、少しぎこちないやり取りが続いて、やがて、画面が『しばらくお待ちください』と待機中のアニメーションに変わる。
いよいよだ。
俺はもう一度メッセージアプリに切り替えて、大道にメッセージを打ち込んだ。
『はじまるな』
数秒後、それらのメッセージに既読がついた。
『え、見てるの⁉』
明らかに慌てて打ったような短文の返信。いつもの大道は長文だが、さすがに今はそれどころではないのだろう。
『見てる』『ほんとに⁉』『嘘ついてどうすんだよ』
既読だけがついて、大道の返信が途絶える。配信アプリから、「さあ、続きまして」と司会の声が聞こえた。
はじまる。
大道ももはやメッセージを打っている場合ではないだろう。きっと楽しみにしてるはずだ。邪魔するのも悪いし。
俺も再び配信に切り替えて、そのときを待つ。
先ほどのプレイヤーはどこかの会場らしき場所でゲームをしていたが、きらメモのプレイヤーは自宅からの遠隔らしい。大きく映ったゲームの画面の左下に、プレイヤーの手元だけが映ったワイプが表示されている。
その小さな手元は、緊張からかせわしなくコントローラーを動かしている。それに合わせて、配信画面に表示されていたきらメモのオープニングらしき画面は、タイトルからセーブデータへ、セーブデータから設定へと切り替わっていく。
有名なプレイヤーなのか、コメントも『楽しみ』『新記録期待』『応援してます!』など前向きな言葉が流れては消えていく。
やがて、ワイプの中でコントローラーを操作していた手が止まる。コントローラーを操作する音が消え、配信画面からはゲームの音楽とギャルゲーらしく女の子のセリフだけが聞こえる。
スゥーッと息を吸う声が聞こえた。
――なんか。
俺は謎の違和感を覚え、配信画面を凝視する。
たしかに、きらメモについては少し調べた。大道がRTAの中では比較的始めやすいゲームだって教えてくれたから。動画も何度か見たし。だからか?
俺はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、スタートがかかるのを待つ。
「あ、あー……、聞こえますか?」
画面から、ハスキーな声がする。耳馴染みのよい男の声。穏やかで、落ち着いていて、波の音を思い出させるような、そんな声。
「きらめきメモリアルを走ります、メイです」
メイ。
知らない名前なのに、俺の脳がその名前をすぐさま漢字に変換した。
明。
「え」
俺の脳裏に浮かんだ一つの仮説と困惑を無視して、ワイプの中のメイが喋る。
「今日はちょっと、いつも以上に緊張してるので……、正直、なにが起きるか僕も予測できてないんですけど……、いい記録が出せるように精一杯頑張ります。よろしくお願いします」
ゆったりとした話しかたに違和感を覚えるのは、多分、その声の持ち主が――俺の想像している大道が、いつもは早口だから。
俺の視線は、ワイプの中でコントローラーを握る手元に注がれる。
手だけで判断できるほど、あいつのことなんか知らない。いや、大道のことじゃなくても、多分、手だけで判断なんかできない。よっぽど特徴がない限りは無理だ。
でも。
「……大道?」
俺は画面に向かって、ひとりそう尋ねなければ気が済まなかった。