3-7.
気づけば、ゲーム漬けだった。夏休みを目前に控えた二週間。バイト以外はすべて翔太たちを振り切って、家に帰ってひたすらマルオと向き合う日々は、意外にも心地よかった。
一秒、二秒、ときには十秒と、時間が短縮されたことが目に見えてわかるのがよかったのかもしれない。参考にした世界記録の動画以外、他人のタイムをあえて調べなかったことも、俺にとってはモチベーションを保つ要因になった。
目標は三十分。その大道の言葉だけを信じて、それ以上の目的も、意味も、求めないままに、ただ、マルオとともに走った。
「三十分、切ったぞ」
放課後、二週間ぶりに訪れた書庫で、俺は大道にスマホの画面を見せる。大道の握っていたホウキが、カランと音を立てた。
「えぇぇぇ⁉ ほ、ほんと⁉ え、すごい! いつの間にこんなに練習してたの⁉ 最初から上手だなって思ってたけど……まさかほんとに三十分を切るなんて……」
大道は俺のスマホを穴が開くんじゃないかってくらい凝視する。
「ま、毎回ぶれるから意味ねえけどな。でも、とりあえずマルオはもう飽きたわ」
さすがに二週間も同じコースを延々と走り続ければ、俺とて多少は嫌になる。それこそ、三十分代が二回連続出たときなんかはやめてやろうかと思ったくらいだし。
目標タイムを切ったから、正々堂々とマルオを引退してもいいだろうと思えただけだ。
「いや、ほんとにすごいよ! 充分だと思う! あ、えっと、新野くんがすごくマルオを気に入ったなら、まだまだいくらでもうまくなれると思うけど……えっと、その……」
大道は俺のスマホから手を離すと、少し恥ずかしそうに言いよどんだ。俺自身は仲良くなった気でいたけれど、大道のこういうところを見ると、まだまだなんだなって気がする。
てか、こいつ、前髪、伸びてね?
この二週間、大道とはメッセージだけのやり取りだった。同じクラスなのに、結局教室では一度も会話していない。彼の豊かな表情が前髪に隠されて、俺は思わずその髪に触れる。思っているよりも、その毛はやわらかで、圭介の家の犬を思い出させた。
「わっ⁉」
「あ、悪い」
俺はすぐさま手を引っ込めて、「前髪、うっとおしくねえの」と付け足す。
「あ、えと……ちょ、ちょっと。夏休みに入ったら、切ろうかなって思ってて」
大道の口元が少しだけ上がる。多分、困ったような顔をして笑っているのだろう。大道がなにかを言いかけていたことを思い出して、話を遮ったことを謝れば、大道はフルフルと首を横に振った。その仕草で、そういえば、こいつは体全体で表現するやつだったな、と思い出す。普段、翔太たちといるせいか、相手の顔が見えないのは違和感があるけれど。
俺が続きを待っていると察したのか、大道がボソボソと話し出した。
「えっと、ね……その、ふたりでやれるやつ……探して……だ、だから、夏休みとか……その、一緒にどうかなって……」
消え入りそうな、けれど、芯のあるハスキーボイスが、窓の向こうの波とともに鼓膜をくすぐる。
――次は、一緒にできるゲームやろうぜ。
俺が二週間前に送ったメッセージを、どうやら大道は律儀に覚えていてくれて、そして、そんなゲームを探してくれていたらしい。
「お前……、真面目かよ」
いいやつだなって素直に褒められない自分がダサいって思う。一方で、大道がへらりと笑ったのが前髪の隙間から見えたから、ほめ言葉として伝わったならいいか、とも思う。
大道はスマホを操作して、俺にその画面を見せる。映っていたのはゲームの動画で、またしてもマルオのシリーズだった。
「またマルオかよ」
「新野くん、好きかなって。マルオカートなんだけど」
「ゲーセンで圭介たちとたまにやるくらいだな。てか、普通にレースゲームじゃねえの?」
「そうなんだけど、だからこそシンプルだし、いいかなって。そ、それにふたりで対戦とかもできるし! すぐ終わるから、簡単なんだ。あ、でもね、普通のコントローラーじゃないんだよ!」
大道は動画をスキップして、ほら、ここ、と画面の端を指さす。手元を映したカメラだ。そこには段ボールで作ったようなハンドルが見えている。
「これ、マルオカート専用のハンドル型コントローラーでね! ナンテンドーラボってシリーズのやつで、自分で作るんだけど、これが結構難しいらしくて! そういうのも一緒にやれたら面白いかなって」
久しぶりに大道の早口を聞き、俺は「わかったって」と大道を制止する。
「んじゃ、それで。夏休みな」
「い、いつがいい?」
「あー、前半はバイト入れてっし、翔太たちと遊ぶ計画してるから……盆休み以降かな」
俺の回答に、大道が「あっ」とうつむいた。
「ご、ごめん……僕、お盆はちょっと……。じゃ、じゃあ、お盆明けとか、かな」
いつでもいいんじゃねえのかよ、とツッコみそうになった。肩透かしを食らった気分だ。まるで俺が遊んでほしいみたいじゃねえか。俺はそんなダサい自分を隠すように、「りょーかい」とカレンダーを開いて、「じゃ、いったん十八とか」と大道に約束を取り付ける。
大道は嬉しそうにうなずいて、「絶対にやろうね!」と小指を立てた。
「いや、この年で指切りはしねえよ」
「あっ、そ、そっか。そうだよね。う、嬉しくて、つい」
大道は小指を折りたたみ、床に転がったホウキを拾い上げる。大道はそれをぎゅっと握ると、もう一度俺のほうへと視線を向けた。髪でほとんど目が見えないから、多分。
「あ、あのね」
大道がなにかを言いかけて、その声は俺のスマホの通知音にかき消される。スマホの画面に表示された『翔太』の文字。多分、猫カフェの誘いだ。最近、誘いを断りすぎて、そろそろ付き合いが悪いだのなんだのと文句を言われそうな気がする。
「悪い、電話だわ。とりあえず、さっさと掃除終わらせようぜ」
「で、出なくていいの?」
「あとでかけなおす。多分、早く来いって連絡だから」
話している間に着信が切れて、俺は慌ててメッセージを打った。掃除中、すぐ帰る、とだけ送れば、翔太から猫のスタンプが届く。既読だけを付けて振り返ると、大道はすでに掃除を再開していた。
猫背だからか、それともなで肩なのか。丸まった背中が少しだけ寂しそうに見えて、俺は「なんか言いかけたよな」と声をかける。
だが、大道は「早く掃除、終わらせないとね!」と笑うだけで、それ以上、なにも言わなかった。