3-4.
麦茶を持って部屋へ戻ると、大道はソワソワキョロキョロと音が鳴りそうなほど、落ち着かない様子だった。
「なに」
「あ、いや、えっと……その、か、かっこいい部屋だなって」
「は?」
「こ、これ! バンドTシャツ? だよね! ぼ、僕もこのバンド、結構好きで。あ、あと、このタオルも! そこの、腕時計も、おしゃれだし、アクセサリーとか」
部屋の壁や棚に飾っていたすべてを褒めちぎるんじゃないかって勢いだった。俺はそれを遮るために、「見すぎだろ」と大道にも冗談だとわかるくらいの口調でツッコむ。大道は「ご、ごめ……あ、えっと」とどもった。そこは素直に謝れよ。変なやつ。
俺は麦茶を大道の前に置いて、玄関先から持ってきた段ボールに手を伸ばす。
いよいよスイッツ開封の儀だ――そう思っていたのに。
「そ、それに! このトロフィーとか、賞状とか、全部新野くんのでしょ? すごいねえ! 新野くん、陸上やってたんだね! こんなにいっぱい表彰されるなんて、ほんとすごいよ!」
大道から放たれた屈託のないほめ言葉は、俺の手を止めるには充分だった。
金色も、一番もない、栄光にすらなれなかった思い出たち。
俺にとっては、すごくなんかない。これっぽっちも。すごくなんかない。
「別に」
「別にって! そんなことないよ! 僕、足遅いし。新野くん、体育のときとかすごい速かったもんね!」
宝石みたいな大道の瞳を直視することすらできなかった。俺はひたすらその声を聞かないように、スイッツの入った段ボールをあけていく。
「あ、そういえば、高校で陸上はやってないの? 新野くん、部活とか入ってなかったよね? チームに入ってるとか?」
俺が無視していることに気づかず、大道はしゃべり続ける。ガムテープをはがし終えて、鮮やかな色の化粧箱が顔を覗かせた。照明に照らされてテラテラと光るスイッツの箱は、大道みたいに純真無垢に輝いている。
「かっこいいよねえ、すごいなあ」
「すごくねえって」
思ったよりも強い口調になったことに気づいたのは、大道が息を飲む音が聞こえたから。
俺は深く息を吸って、段ボールを折りたたむ。スイッツの箱をわざと大道のほうへ自慢するみたいに見せつけて無理やり笑った。
「……ほら、やろうぜ」
全部、ゲームみたいにリセットできればいいのにな。飲み込んだ自嘲が笑いに混じる。
大道もまた、なにかを言いかけて、けれど、力なく笑った。
「うん」
俺はその言葉を会話の終わりに利用して、扇風機をつける。部屋にこもった湿った空気が循環していく。クーラーは帰宅してすぐつけたけれど、横浜の夏は今年も蒸し暑い。
「これ、なんか設定とかある?」
俺には似合わないくらい明るく振舞う。大道はそんな俺につられてか、それとも元来のものなのか、へらっといつもの笑みを浮かべた。
「す、少しだけあるんだけど……でも、大丈夫だよ! すぐに終わると思う!」
言い終えて、今度はまるで人が変わったみたいにサッと顔色を変えるあたりも、いつもの大道だ。いや、いつものっていうほど、まだ、大道のこと知らねえけど。
「なに」
言いたいことがあるならはっきり言えよ、とは思わない。俺もそうだし。ただ、モゴモゴとされるのは気持ちのいいものではない。言わないなら言わないで、なんでもない顔を作れよ。なんて、大道相手に言えるわけがなかった。そうして俺は、やっぱりなんでもない顔を作る。
しばらくスイッツを箱から出したり、テレビにつないで大道の言葉を待っていると、
「あ、えっと……言い忘れてた、ことが……あって……」
と蚊のなくような声が聞こえる。緩衝材のこすれる音でかき消されてしまいそうだったから、俺は作業を止めた。大道を見れば、大道は覚悟を決めたらしかった。
「あ、あのね! 実は、課金、コンテンツなんだ!」
「……は?」
「えっと、マルオ64で遊ぶのにね、ソフトとかはいらないんだけど、その代わりにね、ナンテンドーの古いソフトが遊び放題になる有料コンテンツがあって。それに登録して、お金払わないといけなくて」
「はあ」
数分待ってこれかよ。俺は止めていた作業を再開し、テレビの電源をつける。後ろでまだなにかあわあわと言っている大道を無視して入力を切り替えると、スイッツの画面が起動した。
「それ、いくら?」
「えっと、月、三百円、くらい? 年間で払うとちょっと安かったかも」
「……別にそれくらい払えるって」
俺のこと、何歳だと思ってんだ。こいつ。てか、こいつ、そういうの払うのもきついくらい貧乏なわけ? 坊ちゃんっぽいと思ってたけど、もしかして、逆にってやつ?
俺は大道を無理やり隣に座らせて、操作方法やら登録方法やらを聞きながら、有料コンテンツへの課金を終える。おそらく、大道が有料コンテンツの話をするまでにかかった時間とさほど変わらなかった。
「これでいい?」
「う、うん! いい! 大丈夫! すごいね! はやいね!」
大道は大げさなほど喜んで、課金RTAだね、なんて笑っている。なんだよ、課金RTAって。つられて笑うと、大道はますます目を細めた。大道の控えめな、ハスキーな笑い声は、波の音みたいに気持ちがいい。
俺はちょっと照れくさくなって、テレビに視線を戻した。早速、課金したばかりの有料コンテンツのメニュー画面から『マルオ64』を選ぶ。今でもおなじみの曲が流れ始めて、体の奥底から、小さな熱が湧き上がってくるような気がした。
「とりあえず、ルールとか、やりながら教えて。俺、多分そのほうが覚えるわ」
「ほ、ほんと? そ、それじゃあ、と、とりあえず、基本的なやつからいうね。あ、細かい設定とかもほんとはあるんだけど、まずは普通にプレイしたほうがいいと思うから。バグ技とかは、どうする?」
「え、やれんの?」
「わ、わかんないけど、簡単なやつとか、で、できるやつもあるかも」
「じゃ、やってみっか」
大道の興奮が俺にもうつったみたいだった。コントローラーを持つ手が、すでに汗ばんでいる。ドクドクと、指先から脈拍を感じる。
それでも、操作する手は止められなくて。
マルオの顔が書かれたブロックに指先のアイコンを合わせる。
「いくぞ」
「うん」
指先に、チリリと電流が走る。
その熱に祈りを込めるようにボタンを押し込む。
瞬間、炭酸の泡が弾けるような、シャーベットを砕いたような、星が生まれたみたいな、そんな効果音が俺と大道の間を駆け抜けていった。