3-2.
「なーにしてんのっ」
「ぅわ」
予期していなかった翔太の重みで、指がスマホをタップした。あ、絶対今やった。ポチッたわ。百パーポチッてる。チラと見れば、ネット通販の支払い完了画面が表示されていた。マルオ64をプレイするために必要なゲーム機器類一式、三万五千円。俺の先月のバイト代丸々はあっけなく消えてしまったらしい。
「まじ、お前最悪」
翔太を睨めば、「え、なに」と翔太が俺のスマホを覗き込んだ。勝手に見るな。
「あ、なに? もしかして俺、背中押しちゃった系?」
「物理的にな」
「精神的にもでしょ?」
「お前のせいで、俺のバイト代が消えた事実をまず謝れよ」
「いやいや、むしろ亮ちんが感謝すべきでしょ。悩んでたんでしょ?」
翔太は俺から離れ、ガタガタと近くに置かれていた椅子を持ってくる。学食で買ってきたであろうコロッケパンを取り出すと、翔太は悪びれもせず大口を開けてかぶりついた。
「おい、机にこぼすなって」
「あ~、ごめんごめん。じゃ、これで貸し借りなしってことで」
「お前の貸しばっかだろ」
俺はため息をつく。もうこれ以上こいつと会話してもしょうがない。事実、翔太の言う通りなのだ。たしかに俺は購入を迷っていた。だが、どうせ買っていた気がする。だから、ある意味では背中を押されて悩みがなくなったともいえるわけで。もちろん、翔太に感謝する意味はまったくわからないけれど。
「なに頼んだの?」
「ゲーム」
「え、珍しい。なんのやつ? てかなんで急に?」
「だ」
いどう、とその名を言いかけて、俺は口を閉ざす。というよりも、なぜか口にできなかった。ごまかすように「別になんでもいいだろ」と弁当を机に広げれば、翔太が「え~!」と唇をとがらせる。
「な~んか怪しいなぁ……あ、わかった、エッチなやつでしょ!」
「なに、AV?」
「教室で見んなよなあ」
翔太の声がでかいせいだろう、自販機から戻った大斗と圭介がやはり俺をからかうように集まってきて、俺はいよいよ面倒くさいと顔をしかめる。弁当につめられた夕飯の残りを口に運び、違うと顔だけで訴えた。だが、大斗も圭介も、俺のリアクションなどまるで無視して昼ご飯とくだらない会話を翔太とともに広げていく。
「亮ちんがさぁ、ゲーム買ったんだってぇ。珍しくない?」
「いや、いた猫やれよ」
「なに、いた猫って」
「昨日グルチャに送ったじゃん」
「あ~! あれ、なに? てか、みんなちゃんとやったの?」
「やってないのお前だけ」
「ウソ⁉ マジ? 圭ちゃんもやったってこと?」
「コード送るところまでな」
「はい、圭介は神、翔太はクソ」
「ちょっとぉ! 亮ちん聞いたぁ? ヒロがひどいんですけどぉ!」
「ほんとのことだろ」
「うざぁ!」
翔太が頬をふくらませ、俺たちは笑う。しばらく他愛もない会話と昼飯が続いて、
「で、なんのゲーム買った?」
と大斗が話題を戻した。純粋に興味があるのだろう。翔太相手には通じるごまかしも、大斗相手には逆に面倒を引き起こすだけだ。俺はわざと大きめのから揚げを口へ放り込んで、回答までの時間を稼ぐ。こういうときに最もいいのは、正直に、だが、すべてを答えないこと。よし。から揚げを飲み込んで、俺は平静を装う。
「スイッツ」
「おそくね?」
どうやら俺の読みは的中したらしい。大斗はすぐに興味を失ったようで、短い相槌のあとスマホへと視線を落とした。会話を引き継いだ圭介も、
「え、亮、持ってなかったの?」
と意外だと言いたげだった。スイッツの発売自体はもう何年も前だから、それでなんのゲームをするか、よりも、いまごろそれを買うのか、という方向に話が進む。俺はそのことに安堵を隠して「いや、普通に持ってねえだろ」といつもの口調で笑った。あとは会話を他の人に投げて、別の方向へ持っていけばいい。
「てか、圭介持ってんの?」
「持ってる。弟がめっちゃやってるよ」
「ほら」
大斗がバカにしたように俺を笑うが、俺は「いやいや」と翔太を指さした。
「こいつは絶対持ってねえよ」
「持ってなーい。ゲームやんないし」
「ほら」
「翔太は論外」
大斗と翔太が再びいがみ合い、それを圭介がなだめる。多分これで話題が変わる。俺は適当に笑ったり相槌をうったりしながら、ぼんやりと会話の変遷を眺めるに徹した。
その間、自分を責める、自分の声を聞くのに精いっぱいだったから。
なんで、安心してんだ。俺。大道と一緒にゲームやるんだって、マルオ64のRTAやべえぞって、素直に言えばいいだけのことを、なんで、隠して、安心してんだ。
昨日、あんなにRTAをかっこいいと思った俺は、小学生みたいにワクワクした俺は、どこに消えてしまったのだろう。
翔太たちの話も適当に聞き流して、俺は教室の隅、友人とふたりで弁当を食べている大道へと視線を向ける。
大道はまるで昨日のことなどなかったみたいに、控えめに笑っていた。
今度、一緒にやろうって誘いを、あいつが社交辞令で使うとは思えない。俺から誘うべきか? いや、やっぱ急すぎ? でも、翔太のせいでもうポチってるし。多分、今日の夕方にはもう届くし。てかあいつ、バイトとか多分してねえよな。
俺の自問は決して長い時間じゃなかったと思う。けれど、男子高生の会話なんてあちらこちらへとっちらかっていて、なにに繋がっているかわかったもんじゃない。
「亮は?」
突如名前を呼ばれて、俺は我に返った。俺の名を呼んだ圭介は「今日、空いてる?」と多分、さっきと同じことを繰り返した。
圭介の穏やかな瞳は、いつも少しだけやわらかに細められている。こいつはきっと、何度でも、どんな話でも、バカにせずに聞いてくれるのだろう。圭介になら素直に話せるだろうか。昨日、俺と大道が一緒にいたところを圭介は見ているわけだし。いや、でも。
俺はまた自分の声に耳を貸していることに気づいて、それをごまかすように言葉を濁す。
バイトもないし、空いてる。空いてるけど。
俺はもう一度大道を見て、覚悟を決める。
「……今日は用事あるんだったわ」
翔太と大斗の「用事だって」「絶対嘘だな」と揶揄する声を「うるせ」とかわして、俺は弁当にフタをした。ついでに、自分自身の心にもフタをする。
こいつらと、大道は、関係ないし。こいつらに、ゲームとかRTAの話とか、別に、したところで、で? って感じだし。そもそも、大道とのことすら話せてないし。
言い訳を全部詰め込んで、さらにフタをする。
視界の端、教室の隅でまだ弁当をチビチビと食べている大道の姿が目について、どうしてか、胸が痛くなった。
「悪い」
軽い温度で翔太たちに謝った声が、大道にも届いていればいいと思うのは、なぜだろう。