3-1.
※実在するゲームを思わせるタイトルが登場しますが、原作とは一切関係ありません。
ご了承ください。
金属バットで殴られたら、多分こんな感じ。それくらいの衝撃が俺の目をチカチカとさせた。
「こんなの、できんのかよ」
RTAって思ってるよりやばくね?
俺は思わず画面をタップして、動画を一時停止する。集中して動画を見ていたせいか、どっと疲れが押し寄せてきて、俺はスマホを片手にベッドへと体を投げ出した。
いやいや、ありえなくね? ってか、大道、こんなのやってんのかよ。誰でも一番になれるとか、やっぱ嘘なんじゃね。
目を閉じれば、今しがた見ていたゲーム実況の動画がまぶたの裏に再生される。
カメの魔王にさらわれた姫を土管工のマルオが助ける、というシンプルなストーリーにのっとったアクションゲームは、俺だって知っている――というか、日本で生きていればまず避けて通れない――超有名タイトルだ。
なのに、まったく知らない世界がそこにある。
少なくとも、俺は同じシリーズのゲームを何作かプレイした。そのうちの二つか三つはクリアだってしたはずだ。友達と攻略情報だって調べたし、隠し宝箱だって探したりもした。
でも、土管工のマルオがケツで階段をのぼれるなんて、そんなの誰も教えてくれなかった。ウサギの耳を掴んだまま扉に体当たりすれば扉が開くことはおろか、空中で三段ジャンプができることさえ知らなかった。
こんな単純で、バカみたいなことがかっこいいなんて、小学生みたいにワクワクする自分がいることも、知らなかった。
「やばすぎだろ」
興奮してるって自分でもわかった。だけど、俺の指は冷静にメッセージアプリを起動して、大道とのトーク画面を開いている。
『マルオ64見たぞ』
わざわざ報告なんかしなくていい。する必要なんかない。かまってちゃんかよ。そんな自分を振り切って、アドレナリンが送信ボタンを勝手に押している。翔太や大斗や圭介に、どうでもいいメッセージを送るみたいに、簡単に体が動いた。
別にそれ以上のやり取りなんて考えていなかった。それなのに、すぐさま既読がついたから、俺の瞳がスマホの画面に固定されてしまう。
『ほんと⁉ おもしろいよね⁉』
大道のパッと輝いたような顔が簡単に想像できる。けれど、おもしろいと認めることが少しだけ悔しくて、『バグ技は卑怯じゃね』と強がれば、『でも、そのぶんリスクがあるんだよ』と大道から返信があった。おそらく真剣に言っているのだろう。だが、俺にはリスクの意味がわからない。どう返信すべきか悩んでいるうち、続けて大道から大量のメッセージが連投される。
このRTAはゲームをクリアするために必要な星を16個集めるまでの時間を競うものであること、バグ技は簡単そうに見えて実はかなり難しい技術であること、バグ技に失敗すると逆に時間がかかってしまう可能性があること、星を32個集めるものや、バグなしや、他のシリーズもあること、などなど……。
俺はそれらすべてを読んで、今ごろ大道が冷静になって大慌てで『ごめん』と打っているのだろうな、と思った。途端、『ごめん』と届いて笑ってしまう。参考になったと打ちかけていた文字を消し、『ごめん禁止な』に変えた。これ以上、大道が謝らなくていいように、それでいて、できるだけ軽い文章に見えるように、
『これ、お前もできんの?』
と続けてメッセージを送る。
……これ、俺にもできるのかって聞いてるみたいなもんじゃね。
送ってから気づいて自己嫌悪に陥った俺とは対照的に、大道の答えはシンプルなものだった。
『少しならできるよ』
まじかよ。俺が返す言葉を失っていると、続けざま『あ、二十分切りとかは無理だけどね!』と補足がついた。その後も、俺がどういう動画を見たかわからないしとか、できないバグ技もあるからとか、補足がいくつか続いたが、結局のところ、大道もこのRTAをやったことがあるらしかった。
動画を見ただけでは、どうすればそのバグ技を出せるのかすら、俺には想像もつかなかったのに。大道、まじでなにもんだよ。バケモン?
俺がただ驚いていると、スマホがポコンともう何度目かメッセージの着信を告げる。
『新野くんにも、できると思う』
『まじかよ』
今度は手が動いていた。ついでに『お世辞とかいらねえし』なんて言葉までつけて。俺にもできるのかって聞いたようなもんだって、ついさっき、そんな自分のダサさを恨んでいたところだったのに。いざ、大道からその文章が送られてきたら、まるで現実味がない。
『お世辞じゃなくて、ほんとのことだよ』
今までにないほど早い返信だった。考えてみれば、たった一日とはいえ俺の知っている大道は、嘘もお世辞も社交辞令も言えないタイプに思える。だから、多分。
『マジ?』
『大マジだよ』
そう、どうやら本気らしい。
たしかに、俺は大抵のことは人並みにできる自信がある。ゲームだってそのひとつだ。今までいくつかのゲームをやってきて、難しいと思うことはあれど、できないってことはなかった。途中で飽きてしまう場合をのぞいては、大抵なんでもクリアできたし。翔太たちとゲーセンで対決したって、初見のゲームですら最下位にはならない。
だけど。
『俺、ケツで階段のぼったことねえし』
冗談のつもりで送ったメッセージに返ってきた言葉は、やっぱり俺が発するそれよりも何倍も質量があるように思えた。
『今度、一緒にやってみようよ』
大道は多分、新しいものが満ち溢れている世界を、好奇心だけで歩いているのだろう。そのことが羨ましくて、それでいて重かった。
なんだよ、この信頼。俺のなんに期待してるわけ? まじでこいつ、俺のこと過大評価しすぎじゃね? って。
俺はいつだって、本当のところは怖いのだ。
――どれだけやっても、一番にはなれないから。
顔をあげた先、自らの部屋に並んだトロフィーや盾が目に飛び込んでくる。もう何度見たかわからないけれど、何度見たってやっぱり金色も一位もない。
その現実に、心の奥がじくじくとうずく。一番になれないことが恐怖になって、新しい世界へ飛び込もうとする俺の体を掴んでいる。まるで本当に掴まれているみたいに、手首や足首や首元がカッと熱くなっていく。なにを自惚れているんだって、過去の俺が俺を笑う。痛い。俺、まじでイタい。
その痛みを追い払ったのはスマホの着信音だった。
またもや大道の純真無垢な、それゆえ、なににも代えがたい価値を持った言葉が画面にピカピカと輝いている。
『大丈夫だよ、新野くんなら、絶対できるよ』
まるで俺の背を押しているみたいなメッセージだった。
同時に、俺の体を縛り付ける鎖を引きちぎるほどの強さで俺を引っ張るメッセージでもあった。