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【書籍1、2巻発売中】煌めく宝珠は後宮に舞う  作者: 悠井すみれ
第二部 三章 翠華、失せて秘華乱れる
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4.燦珠、熱弁を振るう

 演技を終えた役者四人が改めて舞台に並ぶと、長公主ちょうこうしゅ明婉めいえんははしゃいだ歓声で迎えてくれた。


「素晴らしいわ……! 燦珠も、ほかの人たちも。役者というのは、同じ人間ではないかのようです。声も動きも、あんなことができるなんて──」

「長公主様にもおできになりましょう。少し気を付けるだけで、驚くほどに声の出方も変わるものです。役柄によって、練習方法も変わりますが」


 先帝の子や孫たちを教えた経験があるだけに、隼瓊の説明は丁寧で優しかった。役者を指導する時に見せることもある厳しさは、もちろん貴人に対しては必要ないのだろう。


「──それで、どの演技がもっともお好みでしたでしょうか」


 最後の問いかけも、詰問するような調子ではまったくなかった。長公主の機嫌が良くて安心しただろうし、そのための席だと、誰もが知っていたことでもあるし。──その、はずなのだけれど。


「……え?」


 でも、明婉は驚いたように目を瞠った。まるで、とてつもなく意外なことを唐突に問われたかのように、不安げに視線を彷徨わせる。


「ええと……梅馨ばいけい?」

「はい、ここに」


 名を呼ばれて、控えていた侍女のひとりが進み出る。女主人と同じ年ごろの若いその侍女は、燦珠にも見覚えがある。


(あ、この前の人だ)


 明婉が最初に秘華園ひかえんに訪れた時に付き従っていた少女だ。やはり、長公主に信頼されているようだ。ふたりして顔を寄せ合って、誰にも聞こえない声量で語り合う姿も、あの時と同じだったし、ややあって相談らしきものが終わった時、声を出すのが明婉では()()のも、燦珠がすでに見た展開だった。


 主と同じく華奢な、梅馨ばいけいというらしい侍女は、あの日燦珠にしたようにおごそかに告げた。


「明婉様は、今しばらく熟考の時間を要されるとのことです」


 微かに起きたざわめきは、息を呑んで長公主の答えを待っていた貴妃やその侍女たちが、残念そうな溜息を吐いたからだ。舞台にいる燦珠たちも、役者同士でそっと目を見交わす。無礼になるから口は開かないけど、たぶん皆考えていることは同じだろう。


(頑張ったんだけどなあ……)


 四人の演技がどれも素晴らしくて選べない、という雰囲気でもないから寂しかった。大事になった、とは燦珠も思っていたけれど、発端であるはずの明婉もこの状況に当惑しているようで──では、やはり縁談が不満で秘華園を口実にしているのだろうか、という疑問も胸に過ぎる。


 周囲のざわめきを気に留めないようで、梅馨は隼瓊に顔を向けた。


「この秘華園では、役者たちが生活しているのだとか。その様子もご覧になりたいとの仰せです。構いませんか」

「……はい。お望みのままに」


 一瞬だけ目を見開いただけで、恭しく頷いた隼瓊はさすがの落ち着きだった。軽く額を抑えて、考える素振りこそ見せたけれど──すぐに、男装の時と変わらぬ凛とした声を響かせて、あちこちから上がり始めた囁き声を鎮めてしまう。


「では──貴妃様がたはこの場にてご歓談くださいませ。皆様でいらっしゃるにはさすがに手狭でございますから。役者だけでご案内したいと存じます」

星晶せいしょうも行ってしまうの? どうせなら一緒にお茶にしたいのだけれど」


 唇を尖らせた華麟かりんは、どうやらこの顛末が不満なようだ。お姫様の我が儘に、まだ役者を、というか星晶を巻き込むのか、と。可愛らしい頬にはっきりと書いているかのようだった。


「……衣装を近くでご覧になりたいでしょうし、直接お尋ねになりたいこともあるでしょうから。どうかお許しくださいますように」

「ええ。長公主様のご下命ですもの。仕方ないわね」


 星晶命の華麟が引き下がったなら、ほかの貴妃から異論が上がるはずもない。


(まだ終わらないんだ……)


 左右を見渡してみると、燦珠だけでなく、ほかの役者たちもやはり同じことを思っていそうだった。


      * * *


 明婉めいえんを中心にした一団は、表面上は和やかに秘華園ひかえんの建物を見て回った。普段通りに練習している役者もいたから、腰腿功(じゅうなんたいそう)毯子功タンヅーゴン──基本的な立ち回りを見せてもらったりもした。


「すごい、ですね……」


 明婉の感嘆の声はやはりどこか遠くから掛けられるもので、やってみたいとか、自分ができるかどうか、という熱意は感じられなかった。燦珠さんじゅたちが纏う衣装にも、物珍しげな視線を向けてきているようだけれど、着てみたい、はもちろん、触ってみたいとさえ言われない。


(どう見ても役者になりたい感じじゃない、よねえ)


 明婉の反応が今ひとつ薄いから、対応する隼瓊も困っているようだった。それを感じるのだろう、明婉の表情はますます硬く、声はますます小さくなるという悪循環に陥っている気配がある。


(これ、長公主様も、困ってるんじゃ……)


 もちろん、言い出したのは明婉で、秘華園は巻き込まれた側なのだけど。思いがけずに大事になって、ひっこめ辛くなっているならお気の毒なことだ。とはいえ燦珠に何ができるという訳でもないし──


「ねえ──燦珠?」

「は、はい。何でしょう!?」


 と、いつの間にか当の明婉が間近で首を傾げていて、燦珠は慌てて背筋を正した。次の建物に向けて、廊下を進んでいる時のことだった。最初に話した縁からか、年のころが近いからか。明婉は、場繋ぎに声を掛ける相手に、燦珠を選んでくれたらしい。


「ほかの三人は……えっと、《探秘花タンミーファ》? で皇帝や探花たんかや公主を演じると聞きました。貴女は、何の役なの?」


 可憐な野の花、という印象に違わず、明婉の声はそよ風のようにふわりと柔らかい。舞台に出る時の調子で大声を出したら吹き飛ばしてしまいそうだから、燦珠は彼女の基準では抑えめの声量で答えた。


「牡丹の花精です」

「あの……それは、どういう?」

「芳絶さんの皇帝や、星晶と姸玉──探花と公主が真ん中で演じている時に、周りで踊っています。八人いるうちの、ひとりが私で……皆で花が咲くみたいに、隊列を入れ替えたりして──」


 明婉は、《探秘花タンミーファ》の題名も内容もよく知らないようだった。群舞と言ってもよく分からないだろう。身振りも交えて説明すると、明婉は不思議そうに首を傾げた。


「あんなに上手なのに、そんな小さな役で良いの?」

「はい! 私は群舞を演じるのは初めてですから。大好きな演目ですし、花びらの一枚になって舞うのも楽しいです。皆でひとつになるみたいで……!」


 拳を握っての熱弁に、明婉は軽く肩を震わせて目を見開いた。まるで、栗鼠リスか小鳥を驚かせたようで、しまった、と思う。でも──好機でも、あった。


(そうだ、どうせだから……!)


 先ほど、華麟と話した時にちらりと話したことを纏めるべく、燦珠は軽く息を整えた。明婉を怯えさせないように、にこやかな笑顔を心がけて、できるだけ穏やかに言葉を紡ぐ。


「私はずっと、役者になりたかったんです。でも、市井では男しか舞台に立てないから、秘華園に入りました。ここでは、女でも堂々と唄って、舞うことができるから……! だから、どんな役でも幸せです」

「そ、そうなの……」


 燦珠の語る内容が信じがたいのか、明婉はやはり引き気味だった。会ったばかりの役者風情にいきなり身の上話を打ち明けられたのだから、無理もない。でも、燦珠の本題は、ここからだ。


「……だから、長公主様が役者になりたいなら応援します。でも、もしもそうでないなら──天子様にご相談なさっては……?」

「お兄様に!?」


 小声で囁いた燦珠と裏腹に、明婉はこれまでで一番の大声を出した。本来あるまじき無作法なのか、慌てた様子で口を塞いだ長公主に、燦珠は畳みかける。


「とても優しい──っと、慈悲深い御方ですから。役者にも御心を砕いてくださいます。妹君なら、なおのことだろうと──」


 明婉は、何かに悩んではいるのだろう。それが縁談についてなのかはともかくとして、父君にも兄君にも言えないでいるらしい。でも──実の妹君に言うのも何だけど──皇帝は、優しい方だ。昨年の変での喜燕きえんへの計らいからも、厄介な存在であろう霜烈そうれつを生かしてくれていることからも、分かる。


(絶対に、悪いようにはしないと思うんだけど……)


 役者になりたく()()ならそれでも良いから、とも含ませたのが、伝わったのだろうか。明婉はほっとしたように肩の力を抜いた。


「ありがとう、燦珠。でも、いけないわ」


 恐らくは初めて、心からと見える微笑みを見せた後──でも、明婉は首を振った。


「言ってはいけないことなの。お父様にも、お兄様にも……」

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2025年1月24日 角川文庫より1、2巻同時発売!

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