ペトロナの涙
「初めまして。ニコラスの姉、マリアと申します。貴女はオルティス伯爵家の……」
「タティアナ・オルティスと申します。よろしければお見知りおきを」
ニコラスのテーブルには、この屋敷の主であるオルティス伯爵家ご令嬢、タティアナも座っていた。
艶のある黒髪が美しい彼女は、やわらかく穏やかな雰囲気の美人である。初対面であるマリアも、思わず見とれてしまうほどの。
「マリア様って、思っていた印象とはまるで違いました」
「そうなのですか? ペトロナからはどのように聞いていたのかしら」
「えっと……その」
タティアナは、気まずそうに言い淀んだ。
わざわざペトロナの名前を出したのは意地悪であったかもしれない。けれど陰口を言われる身として、このぐらいの反撃は許して欲しい。
「……とても地味な方だとお聞きしていたのです。けれどこうしてお会いしてみると、とってもお綺麗で」
「えっ」
「ニコラスの言っていたことが本当であったことが分かりました」
ルーヴェルトに続き、タティアナからも同じように気を遣われてしまった。
褒められ慣れていないマリアは助けを求めるように弟ニコラスへと視線を送る。すると肯定するように、彼も深く頷いた。
「姉様が地味って噂されるたびに否定してはいたんだけど、なかなか信じてもらえなくて」
「ニコラス……」
それだけ、社交的なペトロナの発言力とは大きいのだろう。けれど反論してくれていたという弟ニコラスに、じわりと胸が熱くなる。
「今日ペトロナが紹介したいって言っていた彼も、きっと会えば姉様に見とれて……あれ、いないな?」
ニコラスが会場をぐるりと見渡すが、それらしい男の姿は見当たらない。
マリアに紹介するつもりの男とは、さきほどペトロナと抱き合っていた彼のことであろうか。まだ彼女と一緒にいるのだろうか、それとも……
「彼は帰ってしまったわ」
背後から、ペトロナの声がした。彼女はするりとマリアの隣を通り過ぎると、何食わぬ顔でニコラスの隣へ腰掛ける。
「お義姉さま、せっかく来ていただいたのにごめんなさい。紹介しようと思っていた方なのだけど、急用ができてしまったの」
マリアが見た限りでは、あの男に突然急用ができたとは考えにくい。おそらく急いで帰したのだろう。これ以上は関係が露見しないように。
しかし何事も無かったかのように、ペトロナはにっこりと微笑んだ。彼女の笑みからは余裕さえ感じて、何も知らない者であればそれが嘘とは思えないほど。
彼女は分かっているのかもしれない。マリアが先程の出来事を、大事な弟ニコラスには伝えないであろうということが。
「私のためにお気遣いありがとう、ペトロナ。けれど、もうこのようなお膳立ては結構よ」
「あら、どうしてですか」
「自分の結婚相手は、自分で決めたいの」
怒りの収まりきらないマリアは、皆の前できっぱりと言い切った。
ペトロナの紹介する男なんてこりごりだ。もうあの男を紹介されることは無いにせよ、次に紹介される男もきっと似たようなものだろう。
しかし、マリアがはっきりと口にしたにも関わらず、ペトロナはそれを笑ってあしらう。
「何を言っているのですか。これまでもずっと、お義姉さまには縁談など無かったではありませんか。待っているだけでは時間だけが過ぎて、更に結婚など望めない年齢になってしまいます。ただでさえ地味なのですからもっと積極的に……」
「あらペトロナ、何を言っているの」
思わず耳を塞ぎたくなるようなペトロナの言葉を遮ったのは、オルティス伯爵家のタティアナだった。
「マリア様、とっても綺麗な方じゃないの。結婚相手なんてすぐに見つかるわ」
「タティアナ、でも」
「これまで縁談が無かったのは、『結婚したくない』と仰っていたからでしょう? ペトロナが心配しなくても大丈夫よ、マリア様なら」
そう言ってタティアナは、場をとりなすように笑顔を作る。
「タティアナ様……ありがとうございます」
「いえ、マリア様にぴったりのお相手が見つかりますよう、お祈りしておりますわ」
タティアナという人はペトロナの友人であるけれど、だからといって友人に同調して群れるような性分ではないらしい。
彼女がフォローしてくれたことで、マリアの心は不思議なくらい落ちついた。
反比例するかのように、ペトロナの顔からは笑顔が消えた。友人であるタティアナがマリアの加勢をしてしまったものだから、明らかに不満の表情を浮かべている。
「では、お義姉さまのご結婚はいつになるのかしら。いつまでもシルヴェストレ伯爵家にいらっしゃっては私……」
「──それなら、すぐにでも」
ペトロナの皮肉めいた詰問は、すぐ後ろから聞こえた低い声で封じられる。
「マリアから良い返事さえ貰えるのなら……すぐにでも結婚しよう」
椅子の背にぎしりともたれ掛かる、あの人の重み。
手を添えられている。まるで、マリアを守るかのように。
「……ルーヴェルト殿下」
振り返ると、ルーヴェルトが真後ろへ立っていた。髪は若干乱れており、マリアの元へ来るために急いでくれたことがよく分かる。
青空を背に立つルーヴェルトは、眩いばかりに輝いていて。マリアは思わず目を細めた。
「遅くなった。すまない」
「いえ、そんなことは……」
期待など、していなかったはずだった。
そもそもパーティーへ誘うつもりなど無かったのだし、マリアはまだルーヴェルトにとって何者でも無いのだから。
けれど、彼の声が聞こえただけでホッとした。
駆けつけてくれた彼の姿を見て、胸が苦しくなった。
「……本当に来てくださったのですね」
「絶対に行くと言っただろう」
今日はどんなに腹が立っても、陰口を言われても、大丈夫だったのに。ペトロナにもタティアナにも、ちゃんと笑顔を作れたというのに。
なぜだろう。今、ルーヴェルトを前にして、マリアはうまく笑えない。
「……どうして?」
「ペトロナ?」
「なぜお義姉さまに、ルーヴェルト殿下が?」
真向かいに座るペトロナが、大きな音を立ててカップを置いた。目の前の光景を認められないとでも言わんばかりに、その愛らしい顔を歪ませて。
ニコラスからも、聞いてはいなかったのだろう。
弟であるニコラスは、ルーヴェルトからの求婚を承知してはいた。けれど、それを恋人であるペトロナに漏らしてはいなかったらしい。
「ルーヴェルト殿下とは、この間の夜会でお会いしたの。そこからご縁があって」
「そんなこと、お義姉さまは何も仰っていなかったじゃないですか」
「殿下とはお会いしたばかりだし、まだ何も決まっていないのよ」
「でも、私に黙っているなんて」
「ええと……あまり家族以外に言いふらすことでも無いから」
王族相手の不確定な話を、誰にでも喋るわけにはいかない。ニコラスもそれを分かっていてのこと。
仕方のないことなのだが、マリアが弁解すればするほど、ペトロナの愛らしい顔は徐々に険しくなってゆく。
「私は身内じゃないって言うの? 意地悪ね……! お義姉さまも、ニコラスも!」
そんな言い方をしたつもりはなかったけれど、マリアとルーヴェルトのことは彼女にとって大変ショックであったらしい。
大きな瞳に涙をためた彼女は勢いよく椅子から立ち上がると、テーブルから去って行ってしまった。
「ペトロナ!」
顔を青くしたニコラスは、すぐさまペトロナのあとを追う。二人はテーブルのあいだをすり抜けながら、静まり返ったテラスを後にしたのだった。
とんでもない事になってしまった。二人が去ったテラスでは、ペトロナの話題で持ちきりだ。あちこちからヒソヒソと、マリアを非難する声が聞こえてくる。
自分だってびっくりだ。
あのペトロナを、まさか泣かせてしまうなんて。
「私、意地悪でしたでしょうか……」
「マリアのどこが意地悪だったと?」
騒然となってしまったテラスで、マリアとルーヴェルトは目を合わせる。
この事件で、マリアは「ただの地味令嬢」から「ペトロナを泣かせたキツい義姉」へレベルアップしてしまったのであった。
誤字報告くださったかた、本当にありがとうございました。
名前を間違えておりました…!!