ガーデンパーティーの裏側で
パーティー当日。
妙に張り切るメイド達の手によって、マリアは再び美しく変身を遂げた。
母から譲り受けたラベンダー色のドレスは、シフォン生地が軽やかで。その色はマリアの亜麻色の髪と相まって、ガーデンパーティーらしい柔らかな印象を造り上げた。
夜会の時とくらべると肌の露出は控えめだが、髪はサイドへ流されるようにセットされ、どことなく色めいた魅力が漂う。
「変じゃないかしら」
「とってもお綺麗ですよ、マリア様!」
「パーティー、頑張ってくださいね!」
シルヴェストレ家のメイド達は、全力でマリアのことを応援してくれていた。
マリアお嬢様が婚活を頑張っているのなら……と、それは完全な善意からのようである。彼女達相手に、マリアは思わず苦笑いをつくってしまう。
(口が裂けても、すぐ帰るつもりだとは言えないわね)
弟ニコラスは「早めに迎えに来て欲しい」とペトロナから呼ばれていたようで、先に出発してしまっていた。オルティス伯爵令嬢と友人関係にある二人は、どうやら早いうちから顔を出すらしい。
支度を終えてから弟がいないことに気付いたマリアは、軽くため息をついた。
自分はオルティス伯爵家となんの面識もない。なるべくニコラス達と一緒に向かいたかったのだが、彼らが既に屋敷を出てしまっているようでは仕方がない。
気後れしながらも馬車に乗り込むと、オルティス伯爵家への道のりを進んだ。
(本当に、ルーヴェルト殿下はいらっしゃるのかしら……)
絶対に行くと、つよい口調で宣言していたルーヴェルト。
とはいっても、彼が今日のパーティーのことを知ったのは昨日の事だ。「正午には間に合わないかもしれない」と言っていたくらいなのだから、今日はなにか外せない予定が入っているのだろう。パーティーに参加できるとは限らない。
(……あまり期待しないほうが良いかもしれないわね)
心細さからだろうか。いつの間にか、ルーヴェルトが来てくれたならと、期待してしまっている自分がいた。
一人きりのパーティーで、隣に彼がいてくれたらどんなに頼もしいだろうか。彼と話せたら、どんなに安心できるだろうか。
マリアは揺れる馬車の中で、そんなことばかりを考えた。
パーティー会場であるオルティス伯爵家は、シルヴェストレ伯爵家から馬車で一時間ほどの場所にあった。
マリアは敵地に乗り込む心持ちで、覚悟を決めてから馬車を降りた。するとテラスより少し離れた物陰から、楽しげな声が聞こえてくる。
聞こえてくる声は二人分。
そのうちの一人──これはペトロナの笑い声ではないだろうか。可愛らしい彼女の声は、小さくても良く通る。もう一人いる声の主は、どうやら男性のようである。くぐもった男の声が、「ペトロナ」と彼女の名を呼んだ。
「『お義姉さま』ってのは、いつ来るんだよ」
「もうすぐいらっしゃるはずよ。うんと着飾って来ると思うわ。夜会の時も、派手なドレスを着たそうだから」
「でも着飾ったところで地味なんだろ? やる気出ないな」
「そんなこと言わないで。お義姉さまは結婚したくてお相手を探しているのだから」
……よりによって、自分のうわさ話をしている最中に鉢合わせてしまった。タイミングが悪過ぎて、これ以上歩みを進めることが出来ない。
いつもよりも甘ったるいペトロナの声に、ゾクリと違和感が走る。
「貴方も贅沢言えないでしょ。女遊びのせいで婚約者に逃げられて、その後は縁談のひとつも無いじゃないの」
「俺はその地味なお義姉さまより、可愛いペトロナと結婚したいよ。なあ、まだ婚約はしてないんだろ? ニコラスとの結婚は考え直さない?」
「もう……ニコラスも来てるのよ。誰かに聞かれたらどうするの。ろくでもないことを言わないで」
物陰から聞こえてきた会話に、マリアは耳を疑った。
自分へ宛てがわれる予定の男は、どうやらペトロナのことを好いているらしい。そのことをペトロナ自身も分かった上で、マリアの相手として用意した。会話から推測するに、そういうことだろう。
(ペトロナは……私とあの男、二人まとめて厄介払いしたいわけね)
ふつふつと怒りが湧いてきて、こぶしをギュッと握りしめる。
彼女の顔を立てなければと、憂鬱な気持ちを抱えながら無理矢理ここまでやって来たのに。
なぜペトロナの思うがままに動いているのだろうと、マリアは我に返った。
彼女は弟ニコラスの恋人ではあるけれど、マリアにとっては赤の他人だ。まだ義妹でも何者でもなく、ただ失礼なだけの男爵令嬢。
彼女へ気を遣うことも馬鹿らしくなったマリアは、そのまま二人の前へと姿を現すことにした。
取り繕う時間も与えないほど突然、目の前に現れたマリアを見て、二人の笑いがぴたりと止まる。
「お、お義姉さま!?」
目を見開いてうろたえるペトロナと、その隣で彼女の肩を抱く細い男。この軽薄そうな男が、おそらくマリアのために用意された男である。つくづく馬鹿にされたものだなと、ため息が出た。
「ペトロナ、今日はご招待下さりありがとう。ニコラスはどこかしら」
「……あの、テラスのほうに」
「分かったわ」
頭に血が昇ったまま、マリアは彼等を一瞥すると、まっすぐにテラスへと歩き出した。 後ろから引き留めるようなペトロナの呼び声が聞こえるが、振り返る義理も無いだろう。
広々とした見事なテラスにはテーブルがいくつも並べられ、想像していたよりもずっと沢山の人々が集まっていた。
ひとりきりで歩いているのはマリアくらいで、皆あちこちで輪になり、楽しんでいる様子である。
(ニコラスは……いたわ)
ニコラスは噴水近くのテーブルで、友人達数人と愉しげに笑っていた。呑気なものだ。
そんなニコラスへ向かって、マリアは脇目も振らずに風を切って歩いた。
初顔のマリアが歩くだけで、すれ違う者達が振り返る。あちらこちらのテーブルから、「誰?」「さあ……」という陰口なんかも聞こえてくる。けれどそんなものは、なんてことない。ペトロナへの怒りにくらべたら。
マリアがテーブルのそばまで近づくと、姉に気付いたニコラスはこちらへ嬉しそうに手を振った。
「姉様! 来てくれたんだね」
彼は、邪気の無い明るい笑顔をこちらへと向ける。
何も知らない。パーティーを楽しんでいる顔だ。
(……駄目だわ)
喜ぶ弟を前にして、マリアはやっと頭が冷えた。
(……言っては駄目)
本当は、ニコラスに暴露してしまうつもりだった。
先ほど見聞きしたことをすべて。
「ペトロナは、陰で別の男と抱き合っていたわよ」と。「浮気相手は、ペトロナと結婚したがっていたわよ」と。
感情に任せて、今そんなことを暴露したらどうなってしまうだろう。ニコラスは友人だらけのこの場所で、衆目に晒されて大恥をかいてしまう。
何より、彼を深く傷つけることになる。ペトロナがどのような人間であれ、ニコラスは彼女のことを愛しているのだから。
「……姉様?」
ぼーっと立ち尽くすマリアを見て、ニコラスは心配げに眉を下げている。
「……ニコラス。私もこのテーブルに混ぜて頂けないかしら」
「もちろん構わないよ」
マリアはテーブルの皆に了解をとると、ニコラスの隣へと腰を下ろした。
慣れない場所で精一杯笑顔を作り、湧き上がる自分の感情を必死に押し殺したのだった。