君は綺麗だ
図書館の二階フロアから逃げるように退席したマリア達は、敷地内にある中庭へと移動した。
司書長は個室も勧めてくれたのだが、丁重に辞退した。こんなに妙な雰囲気のまま、個室でルーヴェルトと二人きりになるのは、いくら色恋に疎いマリアでも若干ためらわれたのだ。
中庭も多少は他人の目があるものの、あたりには木の葉のざわめきや鳥のさえずりが響いていて。二人の会話が周囲へ筒抜けになる心配は無さそうである。
「ここで良いだろうか」
「はい、お付き合い頂いて申し訳ありません」
「いや……構わない」
マリアとルーヴェルトは木陰のベンチを選ぶと、隣に並んで腰を下ろした。
図書館の窓際より少し近くなったその距離に、マリアはなんとなく落ち着かない。彼は隣で足を組み、やや浅く座っているのだが。
(脚が……脚が長いわ……)
ルーヴェルトの長い脚がどうしても視界に入ってしまって、実は先程からとても気になっている。
それだけでは無い。
隣から見える、美しい耳梁も気になる。
息遣いも気になる。
服の擦れる音も気になる。
良い香りも気になる……
気になるのは、彼の生々しい存在感。物語に登場する王子様が、そのまま目の前に飛び出したような……
(何考えてるの! 駄目だわ私は!)
ルーヴェルトに、話をしに来たというのに。
マリアは頭をぶんぶんと振って己の雑念を振り払うと、ようやく話を切り出した。
「お話というのはですね……」
「ああ」
ベンチで隣合うルーヴェルトは、じつに真剣な表情でマリアに向き合った。
「話がある」というマリアを見つめ、一言も聞き漏らすことの無いよう耳を傾けている。
「実は明日、ガーデンパーティーに是非と招待されているのです」
「パーティー?」
「そのパーティーへ参加することを、ルーヴェルト殿下にお伝えしておきたいと思いまして」
ルーヴェルトを待ち続けて五日目。やっと本題を伝えることができた。
マリアは、ほっと胸をなで下ろしたのだが。
「…………参加は、君一人で?」
「? はい」
隣に座るルーヴェルトはというと、マリアからの話に拍子抜けしたような顔でこちらを見下ろしていた。
「俺への話というのは……それだけか?」
「は、はい」
「そうか……」
彼は腕を組み、じっと何かを考え込んでいる。
「マリア」
「なんでしょう」
「俺はパーティーと聞いて、パートナーとして誘って貰えるものかと一瞬期待したのだが……違ったのか」
「えっ!」
今、マリアはそんな雰囲気でも出していただろうか。
そもそもルーヴェルトをパートナーとして誘うなど、恐れ多過ぎて考えもしなかった。それに明日のパーティーは特殊なのだ。彼を連れていく訳にはいかない。
「少し申し上げにくいのですが、明日のパーティーでは……義妹となる者が、縁談の無い私のために人を呼んでいるようなのです」
「なんだと?!」
「私のためと言われると断ることも出来ませんので……顔だけ出してまいります」
マリアがパーティーについて補足すると、ルーヴェルトが急に焦りの表情を見せた。
「それはどうしても断れないのか」
「ええ……今断ると、義妹の顔が立ちません」
「そうか……」
「ルーヴェルト殿下にお返事もしないまま、このようなパーティーへ出席することになってしまって……申し訳なく思っております」
深々と頭を下げたものの、ルーヴェルトはどうも納得がいかないようである。
納得できなくて当たり前かもしれない。自分の求婚を保留にしておいて、新たな出会いに参加するなど……いくら優しい人であったとしても腹が立つことだろう。
理由はどうあれ、彼を傷つけてしまうことにマリアの胸はズキリと痛む。
「本当に、もうしわけ……」
「俺も行こう」
腕を組んだまま何か思い詰めたようなルーヴェルトから、まさかの発言が飛び出した。
今度はマリアが拍子抜けする番である。
「……殿下も?」
「明日はどこで、いつから」
「オルティス伯爵家のテラスで、昼食会も兼ねて正午からですが」
「オルティス伯爵家か……それほど遠くは無い。了解した」
了解されてしまった。本当に明日、パーティーへ来るつもりだろうか。
明日の会場は、ペトロナの遊び仲間であるオルティス伯爵令嬢の屋敷。そこのテラスにペトロナの仲間内が集まって、パーティーが開かれる。そんな仲間内のパーティーに、第二王子であるルーヴェルトが参加するなんて。
「恐れ入りますが、本気でいらっしゃるおつもりですか?」
「正午には間に合わないかもしれないが、必ず向かう」
「急なお話ですし、お忙しいようですし、無理されなくても……」
「無理ではない。絶対に行く」
彼は意地にでもなっているのだろうか、パーティーには絶対に行くと譲らない。
「出会いが用意されると聞いておいて、そんなパーティーへ君を一人で行かせる方が無理だ」
「でも、すぐ帰りますし」
「マリアを他の男に横取りされるかもしれないだろう」
まるで訳のわからない主張を展開するルーヴェルトに、マリアは戸惑いを隠せなかった。なぜ、彼がこんなにも自分に執着するのか分からない。
「横取りって……誰も私なんて取りませんから大丈夫ですよ」
「いや、君は自分を分かっていない」
「ちゃんと自覚していますよ。地味で、本ばかり読んでいて……」
「──綺麗なんだ」
彼の小さく掠れた声が、マリアを止める。
「君は、綺麗だ」
ルーヴェルトの照れたような横顔は、ゆっくりとこちらを向いて。青い宝石のように澄んだ瞳が、マリアをまっすぐに見つめた。
その瞬間、胸に強い鼓動を感じて、やっと時が動き出す。
いつの間にか、頬が熱い。
手も顔も、全身が熱い──
「う、嘘です」
「嘘じゃない」
「だって、そんなこと」
……そんなこと、誰にも言われたことがなかった。
これまでも、恋愛事には無縁の日々を送ってきたのに。
「君は、これまで誰も寄せ付けなかっただろう」
「それは、結婚するつもりなど無くて……今では、縁談なんてひとつも無いのですよ?」
「マリアが結婚相手を探しているなどと知れ渡れば、皆、君を手に入れようとするに違いない」
ルーヴェルトはきっぱりと言い切った。
嘘のような言葉に「それは違う」と否定したくなるけれど彼の目は真剣で。
「俺も同じだ、マリア」
「ル、ルーヴェルト殿下」
「君を手に入れたい。誰よりも」
ルーヴェルトの熱い想いが、胸へと一気に注がれる。
頭上に繁る木々は、ザワザワと揺れて。
その音を遠くに感じるほどに、二人は互いを見つめ合った。