窓際のふたり
待つことに飽きて、頬杖をついて……もうどれほど経っただろう。
会いたいと思っているうちは、なかなか会えないものだなとマリアは思う。会いたくないと避けていたら、なぜだか鉢合わせてしまったのに。
王立図書館、二階の窓際。
マリアはいつもの席に座っていた。本を手にしてはいるけれど、なかなか集中して読むことができない。窓の外が気になって、ついつい眺めてしまうのだ。
窓からは、図書館の外門がよく見えた。門の前では度々馬車が停まって、常連の顔ぶれが降りてくる。
しかし、お目当ての人──ルーヴェルトは一向に現れない。
(今日もルーヴェルト殿下はいらっしゃらないかしら……)
ルーヴェルトに話をしたくてマリアが図書館に通いつめ、もう五日目を迎えている。いまだ、彼には会えていなかった。
もしかすると時間的にすれ違っているのかもしれないし、ルーヴェルトは忙しくて図書館自体へ来ていないのかもしれない。
そもそもつい先日、この図書館で会ったばかりだ。週に何度も来なくて普通である。けれど……
ペトロナの用意したガーデンパーティは、もう明日に控えていた。このままではルーヴェルトに黙ったまま、パーティに参加することになる。
そんなことになってしまえばとても後ろめたくて、なんとしてでも彼に伝えてから……と思っていたのに。
(……パーティ、行きたくないわね)
明日のパーティは心底憂鬱で、ルーヴェルトに話を通せなかったこともマリアの憂鬱な気持ちに拍車をかけた。普通なら明日に向けてパーティの準備に明け暮れるべきなのだろうが、今のマリアは到底そんな気分になれない。
気持ちはズンと沈んでしまって、目の前に立ちはだかる問題すべてから目を逸らしたくなってしまう。
(現実逃避をしたくなってきたわ)
マリアの場合、こういう時は恋物語を読むに限る。とっておきの甘いものを。
図書館の棚には、お気に入りの小説が数多く並ぶ。それを何度も繰りかえし読み、ヒロインの恋をなぞり、甘く幸せな気持ちを味わうのだ。
マリアは書棚からお気に入りの小説を一冊手に取り、窓際の席へと戻った。そしてさっそくページをめくると、物語の世界へと入りこむ。
今日読む物語のヒロインは、田舎町に住む普通の少女だ。
彼女はある日、お忍びで町に立ち寄った王子と恋に落ちる。
逢瀬をかさねる二人であったが、相手が王子であることを知ったヒロインは、深い悲しみと共に身を引こうとする。しかし彼女のことを諦めきれない王子はあの手この手で彼女へと愛を捧げる。
やがてヒロインは王子を受け入れ、紆余曲折を乗りこえ二人は結ばれる──
(はあ……最高だわ)
物語の世界に没頭して一気に読み切ると、マリアはパタリと本を閉じた。
これは何度も読み返している物語だ。
けれど読むたび、同じ結末を迎えるたびに、マリアの心は感動で満たされた。
なかなか余韻から抜け出せないまま、瞼を閉じて物語を反芻する。やはり本の世界は最高だ。
マリアはすっかり明日の憂鬱など忘れきって、物語の幸福感に浸った。その時だった。
「読み終わったか」
隣から、聞き覚えのある低い声がして。
マリアは一気に現実へ引き戻された。
この声は。
顔を上げると、そこにはルーヴェルトが座っていた。
彼はこのあいだと同じように、二つ空けた向こうの席に座っていて。腕を組んだまま、じっとこちらを眺めている。
「え……え……? ル、ルーヴェルト殿下」
「それはどんな話なんだ」
驚いて言葉が出ない。一体、いつからそこにいたのだろう。
「随分と夢中になっていたが」
「あの……恋物語なのです。町娘と、王子様の」
「そういう話が好きなのか」
「は、はい……好きです」
「俺が来たことにも気付かないほど好きなのか……」
ルーヴェルトは、がっくりと項垂れた。
「……やはりマリアにとって俺は空気のようだ」
「そ、そんなことは」
「現に、気づかなかっただろう。半刻はここで君を見ていたのに」
「そんなに?!」
なんと……マリアが物語に没頭しているうちに、ルーヴェルトは門をくぐり、二階までやって来て、3つ隣のその席でこちらの様子を伺っていたという。
その一連の動きに、マリアは正直な所まったく気付いていなかった。
「気まずさから無視されているのか、本当にこちらのことに気付いていないのか……どちらなのか考えていた。やはり君は後者だった」
ルーヴェルトは、見るからに落ち込んでいる。
そして彼を落ち込ませているのはこの自分。
「俺はどうしたらマリアの視界に入ることができる……?」
「お声がけ頂けたら良かったのに」
「君の読書を妨害できないだろう」
「そんな、妨害などではありません」
「邪魔者にはなりたくない」
何を言っても、マリアがルーヴェルトに気づかなかった事実は変わらなくて。彼は落ち込んだままで、どうすれば良いのか分からない。
そもそも今回はルーヴェルトに話をしたくて図書館へ来ていたのに、彼がこうでは……
「本当に、邪魔などではないのです。むしろルーヴェルト殿下にお会いしたくて、ここ数日は図書館へ通いつめていたのですから」
慌てて取り繕ったマリアの言葉に、ルーヴェルトの耳がピクリと反応する。
「……俺に、会いたくて?」
「はい。殿下にお話があって、毎日来ていました」
「毎日、俺が来るのを待っていたと……?」
うなだれていた彼の頭はむくりと起き上がり、端正な顔がこちらに向けられた。
大きく見開かれた青い瞳は潤んでいて、信じられないとでも言うような驚きを物語っている。
「マリアは、私を待っていたのか」
「そ、そうです」
「そうか……」
ルーヴェルトの白い頬は、たちまち赤く染まってゆく。これは喜んでくれているのだろうか。マリアが、彼を待ち続けていたということに。
なんだかこちらも顔が熱くなってきてしまった。赤面とは伝染してしまうものなのかもしれない。
「……君の話とは?」
「ええと……」
「ここでは話しにくいことか?」
なんとなく、ルーヴェルトの瞳に何らかの期待が滲んでいるような気がする。こんなに喜ばれてしまったら、明日のパーティのことが切り出しにくい。
二人は顔を赤くして、見つめあったまま黙りこくる。妙な雰囲気のままでいると、突然、背後から影が落ちた。
「ルーヴェルト殿下。マリア様」
現れたのは、王立図書館の司書長だ。
白髪頭の彼女は気まずそうな顔を浮かべ、なにやら手を揉んでいる。
「あの……こちらは人目がございます。よろしければ個室をご利用になって下さって構いませんので。お二人とも、どうぞそちらへ……」
司書長は非常にやんわりと、二人に退席を促した。
忠告を受けてやっと、自分達が騒がしかったのではないかと気付く。
「読書中の皆様に大変ご迷惑をおかけしました、申し訳ありません!」
「いえ……ほら、やっぱり皆さんね、お二人には興味がありますから……」
そう言うと、司書長はチラリと二階を見渡す。
マリアも彼女の視線を追いながら背後を振り返り──唖然とした。
なんと二階フロアの視線を一身に集めているではないか。
「私共も、お二人のお話であればもっとお聞きしたい位ではあるのですが……デリケートなお話でございますでしょう。これ以上は……」
「し、失礼いたしました!」
マリアは勢いよく席を立つと、急いで二階を後にする。
優雅に隣を歩くルーヴェルトは、可笑しそうに笑っていた。
誤字報告ありがとうございました!
あけましておめでとうございます。
皆様にとってよき一年になりますように、✩.*˚