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エサに釣られて

 マリアの愛する王立図書館は、王都の中心部にあった。

 白く荘厳な佇まいは美しく、利用できるのは貴族や有識者のみ。長い歴史のある、由緒ある施設である。


 一歩足を踏み入れると、室内はシンとした空気が流れていて。いつ来ても、慣れ親しんだ本の香りがマリアのざわざわとした心を鎮めてくれた。


 (やっぱり来てよかった……屋敷にいるより、気持ちがずっと落ち着くわ)




 先日の夜会からここ数日、どうしても図書館からは足が遠のいていた。

 なぜならルーヴェルトも王立図書館の常連で、ここに来れば出会ってしまう可能性があるからだ。


 しかしシルヴェストレの屋敷にいれば、毎日のように訪れるペトロナに、王子への返事を急かす父デメトリオに……そして「自分の結婚のせいで姉さんが……」と申し訳なさそうな弟ニコラスが、マリアの心を重くした。

 日々彼らと顔を合わせるだけで、なんとなく心身ともに疲れ果ててしまっている。


 屋敷で疲れた心は癒しを求めて、マリアを図書館へと向かわせた。

 図書館へは本が好きで通っていたけれど、もはやここはマリアにとって安らぎの空間となっていて。


 いつルーヴェルトと鉢合わせるかというスリルはあるけれど、幸いにも王立図書館は三階建ての大きな建物だ。気をつけさえすれば、すれ違うリスクも少ないだろう。


 考えてみれば簡単な話だった。つまるところ、いつもの定位置にいなければ良いのだ。


 マリアの定位置とは、二階の窓際。

 彼女は図書館の二階が好きだった。二階の西側には各時代毎の文学書がずらりと揃っており、読んでも読んでも尽きることの無い物語の世界が、幼き日のマリアを夢中にさせた。

 その頃から、マリアは決まって二階窓際の席へ座ることに決めていたのだ。


 幼い頃から座り続けたあの席には愛着もあるのだがやむを得ない。

 ルーヴェルトにとっても、二階の窓際はお気に入りのようであったから。


 王立図書館の常連である彼も、決まって二階の窓際へと席をとった。

 二階の西側は文学書ばかりであったが、東側には歴史書がみっちりと並んでいた。いつもルーヴェルトは窓際の席へ歴史書を山積みにすると、脇目も振らずに読みふけっている。


 (ルーヴェルト殿下が姿を現すとしたら、二階だわ)


 二階を避ければ良かったのだ。さらに言えば、一階よりも三階のほうが、ルーヴェルトに会うリスクは低いかもしれない。彼が立ち寄るのは二階だ。三階まで上がってくることは無いのでは……




 マリアはさっそく三階へ続く螺旋階段を登り、ぐるりとあたりを見渡した。


 三階には実用書や専門書などの棚が並んでいる。利用者の年齢層はやや高く、二階よりさらに落ち着いた雰囲気が漂っていた。


 マリアが三階へと上がってきても、誰ひとり気にする者はいなかった。皆がそれぞれ本と向き合い、心静かに各々の時間を過ごしている。


 (はあ、落ち着く…………)


 ルーヴェルトの影に怯えながら二階にいては、この開放感は味わえなかっただろう。

 三階に文学書は無いけれど、とりあえずは仕方がない。大好きな草花の図鑑や、世界各国の料理本など、興味深い本はたくさん並んである。いくつか選んで読んでみようと、マリアは棚を眺めた。


『スパイスの歴史』『肉料理古今東西』『世界おやつの旅』──昼食を済ませて来たはずなのに、どうしても食べ物の本が気になってしまう。壁一面を埋めつくす料理本に、マリアは心奪われた。


 そのうち『自家製ジャムの作り方』という本を手に取ってみる。その場で本をめくってみると、身近な果実を使ってできるジャムの作り方が事細かに載っていた。


 (これ、うちの庭で採れる果物で作れるんじゃないかしら)


 立ったまま、夢中でパラパラとページをめくる。所々に描かれたジャムや果実の挿絵は、さらにマリアの食欲を刺激した。


 (なんて美味しそうなの……!)


 桃のジャムを見て、鼻に抜ける甘い香りを想像したところで。


 ぐぅ…………


 音がした。

 それは、マリアのお腹の音だった。

 気の抜けるその音は、静かな三階に響きわたる。


 なんという不覚……伯爵令嬢にあるまじき失態。食べ物の本を見て、お腹を鳴らしているなんて。


 恥ずかしさに動揺したマリアは、本を棚へと戻そうと急いだ。

 素早く本を棚に戻すと、すぐ後ろから笑いを噛み殺したような息づかいが聞こえてくる。


 誰かいる。

 マリアの痴態を見て笑っている。


 恥ずかしながらも、おそるおそる振り向くと……

 そこにはなんとルーヴェルトが立っているではないか。


「ル……ルーヴェルト殿下……!」


 驚きを隠せなかったマリアを、ルーヴェルトは人差し指で制止する。

 ここは静かな図書館だ。大きな声は御法度なのだ。


 彼はマリアの耳元へと顔を寄せると、小さな声で囁いた。

 

「君はおもしろいな」

「いつからそちらに……」

「マリア。俺を避けていただろう」


 二人は小声でこそこそと顔を寄せ合った。


 避けていることが、バレていた。

 毎日のように図書館へ姿を現していたマリアが急に来なくなったのだから、ルーヴェルトから見れば避けられていると考えて当然かもしれないが。

  

「……避けたりして、申し訳ありません」

「否定しないのだな」

「はい」


 青ざめるマリアに対し、彼は目を細めて可笑しげに笑う。


 避けられて笑うなんて、どうかしている。マリアは明らかに不誠実な態度をとっているのに。


「お返事もしていないのに、どんな顔をしてお会いすれば良いのか分からなくて」

「別に、普通に会えばいい」

「普通って……普通になんてなれません」


 か細い声で呟くマリアに、ルーヴェルトはことさら嬉しそうな顔をする。意味がわからない。あと、こんなに笑顔が近くにあっては眩しすぎる。


「な、なんですか……」

「だめだ、顔が緩むな」

「?」

「俺を意識しているのだろう? それが嬉しい」

 

 な……なにを言い出すのだろうこの人は。


 身体中の血液が顔に集まったかのように、マリアの顔はたちまち真っ赤に染まり上がる。


「突然なにを仰るのです……」

「マリアはずっと俺のことを、空気かなにかと思っていただろう」

「そんなことはありません」

「いや、そうだった。俺が近くに座っていても、君の瞳は本しか見ない」


 (だって図書館だし……本を読みに来ているのだし……)


 マリアの本音としては図星なのだが、そこはぐっと口を噤む。


 彼だって、いつも歴史書を積み上げて黙々と読書にふけっていた。図書館とは、皆にとってそういう場所なのではないかと言いたいのだが。


「気にせず、君も二階に来れば良い」

「でも」

「つい先日、『白の森の御伽話』第十巻が入荷されたのだが」

「えっ!」


 それはマリアが長年、要望書を出し続けていた本だった。古い恋物語で、図書館では全十巻のうち第十巻だけ欠けていたのだ。


 (よ、読みたい)


「『エマ・ヨンパルトの手記』も二階閉架に入ったようだ」

「あの、幻と言われている!?」

「そうだ。手続きさえすれば、閉架のものでも問題なく読める」


 なぜ。

『白の森の御伽話』十巻も、『エマ・ヨンパルトの手記』も、マリアがずっとずっと喉から手が出るほど読みたい本だった。

 貴重で希少なその本が、なぜこのタイミングでぽんぽんと入荷されるのだ。


「読みたいだろう」

「ルーヴェルト殿下……歴史書だけではなく、文学書もお詳しいのですね」

「図書館の要望書には、目を通しているからな」

「なるほど……」


 (読みたい、けど)


 王立図書館蔵書の本は、基本的に貸出不可であった。

 読むにはフロア毎に手続きをし、そのフロアに備え付けられた席で閲覧する。それが利用上のルールとなっている。


 つまり、読むためには二階で読むしかないということだ。──ルーヴェルトと会うことは避けられない。


 理解した。

 ルーヴェルトは、マリアの要望書にももちろん目を通していて。王家の伝手を駆使すれば、マリアの望む希少な本も手に入れることができたのだろう。


 彼はここぞという時の切り札として、その二冊を用意したのだ。本が好きなマリアを釣りあげるために。




「読むか?」

「……読みます」


 贅沢すぎるほどのエサに、マリアは当然食いついた。

 ルーヴェルトは、エサにかかったマリアを見つめて満足そうに微笑んでいる。悔しい。


 マリアはルーヴェルトに連れられ、二階へと螺旋階段を降りてゆく。


 結局、二人は図書館二階の窓際──いつもの定位置に座ったのだが。

 マリアは窓から外を見下ろして、やっと気づく。窓からはバッチリと、図書館の正門が見えることに。


 ルーヴェルトはきっと、図書館へと訪れたマリアの姿をここで確認したのだ。そして館内にいるはずの彼女を探して……三階で、お腹を鳴らすマリアを発見した。

 

 (なんて間抜けなの、私は……)


 マリアとルーヴェルトは、二つほど席を空けて隣合う。


 いつもよりも近いその距離に戸惑いながらも、マリアは本の世界へ没頭していったのだった。

誤字報告ありがとうございました!

とても助かりました(;ᴗ;)

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