シルヴェストレ伯爵家の事情
ルーヴェルトは「では、また」と眩しいほどの笑みを湛え、王族の証である白金のマントをひるがえし、颯爽と帰って行った。
「……お帰りになったな」
「はい……」
エントランスを出たところで王家の馬車を見送ったあと、残されたのはぐったりと力の抜けた父デメトリオと──大きな難問を抱えたマリアだ。
「……マリア。どうする」
「どうするって……どうしたらよいのでしょう」
「分からん……」
シルヴェストレ伯爵である父デメトリオは、なんとも無気力な人間であった。
出世欲など微塵もなく、最低限の領地と財産が守られるならばそれでよい。よく言えば手堅い性格をしており、悪く言うならば事なかれ主義……そういう男だった。
権力と繋がることよりなによりも、面倒ごとは敬遠したいのだろう。ルーヴェルトが帰った途端に、父は遠慮なく面倒臭そうな表情を浮かべた。
「ルーヴェルト殿下は第二王子だ。今のところ王太子の補佐に徹するようであるし、権力争いなども無いだろうが……」
「?」
「マリアを殿下にとなると、周りからのやっかみが面倒くさい」
マリアはガクリとうなだれた。
そうなのだ、父デメトリオはこういう男だ。もう少し、王族に嫁ぐかもしれない娘の身を案じてくれてもよいのではないだろうか。
「では、お父様から殿下へお断りしていただける?」
「いや、できんな。だから困っている」
「お父様……」
やはり、父に頼ることは出来ないらしい。マリア自身でどうにかするしかないようだ。
とはいえ、相手は王子である。一介の伯爵令嬢が、なんと断れば不敬にあたらず済むのだろうか。
マリアとデメトリオが腕を組み悩んでいたところ、シルヴェストレ伯爵家の屋敷へ、もう一台の馬車が止まった。
見慣れた小ぶりの馬車からは、桃色の髪をふわふわとなびかせながら、愛らしい少女が降りてくる。
「あら、お義父さまにお義姉さま。もしかして、お出迎えして下さったの?」
「ペトロナ……」
ペトロナ・フロレンティーノ、十八歳。
彼女こそ、マリアが結婚相手探しをする羽目となる原因であった────
話は半年ほど前に遡る。
マリアには二つ歳下の弟が一人いた。
ニコラス・シルヴェストレ十八歳。いわずもがな、シルヴェストレ伯爵家の跡継ぎである。
彼は小さなころから優しく素直で姉思い。マリアにとって、とても大事な弟であり、どうしようもなく守ってやりたい存在であった。
そんな彼が、半年ほど前に『一生に一度の恋』をした。
相手は同級生の男爵令嬢、ペトロナ・フロレンティーノ。
華やかで可愛らしい彼女は、王立学園のアイドルで。ニコラスも、これが実る恋だとは思ってもみなかったらしい。
しかし学園卒業を前に恋心に終止符を打とうと、ペトロナへ想いを伝えたところ……なんとニコラスの想いは快く受け取られ、晴れて二人は恋人同士となったのだ。
有頂天のニコラスにより、二人はトントン拍子で婚約する運びとなった。が、ここで問題が発生する。
「私、マリアお義姉さまと上手くやっていけるかしら……」
婚約を目前にして、ペトロナが不安を漏らしはじめたのである。
結婚願望の無い義姉、マリアの存在について。
「お義姉さまはご結婚なさるつもりが無い……となると、一生このお屋敷にいらっしゃるということでしょう?」
ペトロナが不安に思うのも仕方がないなと、マリアも思った。
義姉が結婚しない──シルヴェストレ伯爵家の人間として、ずっとこの屋敷に居座り続ける。そんなものは、目障りでうっとうしく、邪魔なことこの上なし。目の上のたんこぶである。
「大丈夫だよ。姉様は優しいから、きっとペトロナのことも大事にしてくれる」
優しいニコラスは、なんとかマリアとペトロナを取りなそうと精一杯頑張ってくれた。
けれど彼がフォローすればするほど、ペトロナの不安は大きくなる。「ニコラスは、お義姉さまの味方なのだわ……」という具合だ。
マリアも、未来の女主人となるペトロナに迷惑をかけぬよう、努めるつもりだった。
住む部屋だって、ペトロナの視界に入らぬよう屋敷の隅でかまわない。食事だって別でいい。
けれど、やはりそれだけでは駄目らしい。
ならば最終手段として、マリアだけ領地へ移ることも考えた。
領地では図書館通いは出来なくなってしまうけれど、それはもう仕方がない。跡取りであるニコラスとペトロナの安寧が遥かに大事なのだから。
けれどまたペトロナが言うのだ。
「お義姉さまがシルヴェストレ伯爵家にいるかぎり、どうしても気をつかってしまうわ」などと。
どうあっても邪魔者であるマリアは、頭を抱えた。
マリアとペトロナの板挟みになってしまっているニコラスが気の毒でならない。このままでは優しいニコラスがペトロナとの結婚を諦めてしまうような気もして──
そこで登場したのが父デメトリオである。
面倒ごとが大嫌いな、事なかれ主義の男。
「マリア。もう、諦めて結婚しなさい」
デメトリオは、マリアに向かって言い放った。
父はいつだって穏便に済む道を選ぶ。
この場合、ペトロナを説得するのは難しい。けれど実の娘であるマリアさえなんとかなれば、後継者であるニコラスの婚約が何の問題もなく進むのだ。
「手当り次第探せば、きっとマリアに合う男が見つかるだろう。夜会にでも顔を出して──」
マリア自身が『結婚したくない』などと公言していたため、シルヴェストレ伯爵家は縁談から遠のいていた。
よって、マリアが結婚するためには、伯爵家自らが動いて探す他ない。
そして伯爵である父は、相手探しをマリア自身に委ねてしまった。自業自得と言われたらそれまでだが、なんとも非情である。
つまり……愛する弟ニコラスの結婚は、マリアの肩にかかっているのだ──
「マリアお義姉さま。昨夜の夜会はいかがでしたか? 大丈夫でしたか?」
ペトロナは慣れた足でシルヴェストレ伯爵家へと上がると、マリアに夜会の話を切り出した。
この口ぶりは、分かっているのだろう。地味なマリアが、夜会でうまく立ち振る舞うことなど出来っこないことを。
「夜会……どうも私には向いていないみたいね」
「でもお義姉さまには縁談が無いのですから、ああいった出会いの場がなくては。夜会にも舞踏会にも、どんどん顔を出すべきですわ」
「そうね……どうしようかしら」
ペトロナがやたらグイグイと進捗を迫ってくるけれど。
とりあえず……ルーヴェルトの件について決着がつくまで、むやみに動くことは出来ないだろう。彼からの申し出に返事をしない限り、他に出会いを求めてはならない気さえしている。
「しばらく、ああいった所はこりごりだわ」
「そんな弱気でどうするのですか。私、早くニコラスと一緒になりたいのです。お義姉さま、どうか頼みますね」
彼女は、ニコラスのいない所となるといつもこうだ。マリアのことが邪魔であると隠そうともしない彼女には、尊敬の念すら覚える。
(ペトロナとニコラスは……私がルーヴェルト殿下と結婚して屋敷を出れば、それで喜んでくれるのかしら)
ペトロナの相手をすることがなんとなく面倒に感じて、マリアの思考は何気なく楽なほうへと流れていってしまう。
自分もデメトリオの娘だなと、マリアは自嘲気味に笑ったのだった。