【電書化記念SS】語り継がれてしまった二人
婚約後しばらく経った、ある日のこと。
「……これは一体?」
いつものように図書館二階へ足を運んだマリアは、いつもとは違うフロアの様子に立ち尽くした。
いまや定位置となっている窓際席が、空席もないほど人で埋めつくされていたのだ。これでは、窓際には座れない。
仕方がないので他の席へ……と、諦めてフロアを見渡してみるものの、今日は異様に利用者が多かった。どのエリアにも、空席がほぼ見当たらない。
(どういうこと……?)
「マリア様、マリア様」
尋常では無い混み具合に呆然としていたマリアの耳に、囁くような呼び声が届いた。
「マリア様。どうぞ、こちらへ」
この遠慮がちな声は、司書長だ。
振り向いてみれば、彼女は周りの様子を伺いつつ、カウンターの中からこそこそ手招きをしている。
「司書長様?」
「申し訳ありませんが……理由は後ほどお伝えします。ですからどうか!」
どこか焦りを見せる司書長にぐいぐいと促され、マリアはカウンター奥にある事務室へと通された。
本来ならここは司書達が事務仕事を行う部屋であり、一介の利用者であるマリアなんかが立ち入って良い場所ではない。けれど今日は、半ば無理矢理通された。そうも言っていられないような事情があるのだろう。
司書長の気迫に負けたマリアは、とりあえず大人しく事務室で待つことにした。すると部屋の脇で、見慣れた人影が立ち上がった。
「マリア」
「ルーヴェルト殿下!」
どうやら、一足先に来ていたルーヴェルトも事務室に通されたらしい。脇に備え付けられたソファで、マリアを待っていたようだった。
「あの、これはどういうことですか?」
「俺にも分からない。何故このようなことに……」
「せっかくお越しくださったのに、このようなむさ苦しいところへ押し込んでしまい申し訳ございません。ただ今、お二人があちらへ向かわれますと非常に不味く……私からご説明いたします」
パタリと事務室の扉を締めた司書長は、心苦しそうに頭を下げた。彼女自身も困惑している様子で、あの混み具合が予期せぬものであったことが分かる。
「司書長様、頭を上げてください。今日はどうされたのですか」
「酷い混み具合でございましょう。これは……先日出版された一冊の本に原因がございまして」
「本?」
先日、ある一冊の本が発表された。
それが、これほどまでの影響を持っていたらしい。
「その……原因となった本とはどのようなものなのか、教えて頂いても?」
「ええ。マダム・ソレイユ先生による新作なのですが」
「マダム・ソレイユ先生の!?」
その名前に、マリアはピクリと反応した。
マダム・ソレイユは、恋物語を得意とする人気作家だ。この王立図書館にも彼女の作品は取り揃えてあり、当然マリアも読んだことがある。というか、まさに愛読している。
ただ、このところのドタバタで、新作が出ていたことに気付かなかった。しかも彼女の新作が、この混み具合の原因になっているなんて。
「売れっ子の作家様ですね。マダム・ソレイユ先生の本は大好きで、よく読みます」
「そうでございますマリア様。ご存知のとおり、大変人気のある作家様なのですが……ここだけの話、実はマダム・ソレイユ先生の正体というのが、図書館でお二人の恋路を見守っておりましたあの女性でして」
「えっ!!」
「くれぐれもどうか、ご内密に……」
司書長から告げられたマダム・ソレイユの正体に、マリアは目を丸くした。
パールの髪飾りが上品な、図書館二階の常連であるマダム。ずっとルーヴェルトの片思いを見守っていて、二人が無事婚約にまで至った際には涙を流しながら祝福してくれた……あの女性だ。
彼女も常連ゆえに、読書家であることは確かだった。しかしまさか――
「まさか、あの方がマダム・ソレイユ先生だったなんて」
「ええ。図書館へはインスピレーションを求めてやって来ていたようでした」
「そうだったのですか……」
「――嫌な予感がするのだが!」
ルーヴェルトは身を縮め、顔を青くして固まっている。残念ながら彼が感じている嫌な予感は、マリアにも汲み取ることができた。
陰ながらルーヴェルトの恋路を見守ってきた、売れっ子作家マダム・ソレイユ。その恋が成就した直後に執筆された恋物語。出版後、図書館は異様なほど人であふれ返っている……嫌な予感はぷんぷん漂う。
「申し訳ございませんルーヴェルト殿下。その予感はおおよそ当たりでございます」
「そんな……」
司書長は、二人の前に一冊の本を差し出した。
白地に金で縁取られた表紙は、ルーヴェルトのマントを彷彿とさせた。そして、タイトルは『窓辺の告白』。もうこの時点からして、あからさまである。
作者名は、マダム・ソレイユ。売れっ子作家であり、言わずもがなルーヴェルトを見守っていた彼女だ。
「こちらが、話題の本でございます。登場人物としてそれぞれお名前は変えられてありますし、架空の物語として公開されました。けれど……」
マリアとルーヴェルトは本を受け取り、恐る恐るページをめくる。
物語の舞台は図書館の窓際だった。
金髪が美しい主人公の少年は、物静かな少女に恋をしている。彼は密かな想いを抱えたまま、数年もの間、彼女へ話しかけることもできずにいた。
しかし運命の日、青年へと成長した主人公は、美しく変身をとげた彼女と出会う。このままでは彼女を誰かに奪われてしまう。焦りに駆られた青年は、彼女に思いを告げることを決意して――
「む、無理だマリア。もう俺には読めない」
「でも、マダム・ソレイユ先生の新作ですよ」
「新作もなにも……これは俺の話だ。俺の観察日記だ」
「そうですね、勘の良い方はすぐお気づきになるでしょう。このお話のモデルがお二人であることに」
主人公は金髪の少年で、恋する相手は物静かな少女。少年は図書館の窓側で、何年も片思いをしていて――思い当たるフシがあり過ぎる。
羞恥が上限に達したルーヴェルトは、ついに本から顔を背けてしまった。
しかしマリアのページをめくる手は止められない。
「素晴らしいです、マダム・ソレイユ先生……事実より大袈裟な部分は沢山ありますけど、それが物語をいっそう甘くホロ苦くして下さっていて」
「そうなのです! こちらのお話、とっても心揺さぶる仕上がりなのです。さすがロマンスの伝道師とも言いますか……加えて、主人公のモデルがルーヴェルト殿下でございましょう。新作として出版された途端、恋する少女達の間で爆発的にヒットいたしまして」
「爆発的に!?」
隣でうなだれるルーヴェルトが「嘘だろう……」と呟いた。思わず同情してしまう。
自分達の馴れ初めが物語になり、本として出版され、広く読まれている。信じられない話ではあるが、この図書館の混み具合はそこに原因があるらしい。
確かに、見渡す限り少女達の姿ばかりであった。ちょうど、マダム・ソレイユの恋物語を好むような。
「爆発的なヒットの結果、こちら――王立図書館の窓辺が読者間で聖地となったようなのです」
「聖地?」
「はい。図書館二階の窓辺で本を読むと、恋が成就するとか、しないとか。そのような噂がまことしやかに広がっているらしく……」
「――そんなはず無いだろう!」
うなだれていたルーヴェルトであったが、その噂を聞いた途端、我慢できないとでも言うように顔を上げた。
突然、声を強めたルーヴェルトに、事務室はシンと静まり返る。
「窓際に座るだけで恋が実るなんて、考えが甘すぎるんじゃないか。現に俺など、座っていただけでは十年間片思いのままだった!」
「落ち着いて下さい、ルーヴェルト殿下。きっと、ジンクスのようなものですよ」
確かに彼の言うとおり、ルーヴェルトはこの図書館の窓際で、十年間も報われぬ時を過ごした。そう簡単に恋が成就したわけではないのである。
少女達だって、本気にしているわけでもないだろう。おそらく、あわよくば聖地の恩恵にあやかりたいという位のもので……
「だが、しかし……」
静かな事務室には、ルーヴェルトの主張だけがやけに響いて。
次第に司書達がクスクスと笑いはじめ、彼はやっと我に返った。と同時に、耳までカッと赤くなる。
「……も、もう帰ろう、マリア。耐えられない」
「なんだかすみません、ルーヴェルト殿下」
空回りするルーヴェルトが可愛らしくて、彼の手をそっと握った。するとようやく青い瞳がこちらを向いて、はにかんだように微笑んでくれる。
「このようなことになり大変申し訳ないのですが……今日のところは、フロアへ出られないほうがよろしいかと思われます。ロマンスのモデルになったお二人ですから、きっと揉みくちゃにされてしまいますわ」
司書長は相変わらず申し訳無さそうではあるが、二人のやり取りに柔らかな笑みを浮かべた。
王立図書館を後にした二人は城へ戻り、ルーヴェルトの書斎へと場所を移した。
マリアは革張りのソファに腰掛けると、再び白い表紙を広げ始める。
「……っ、まだ読むのか」
「ええ。だって、マダム・ソレイユ先生の新作なのですよ? 読まずにはいられません」
司書長の配慮により、今日ばかりは特別に本の貸出しが許されている。例の、マダム・ソレイユの新作も勿論貸出しをお願いした。ここなら少女達の目もなく、落ち着いて読書にふけることができるだろう。
熱心に新作を読みこむマリアの隣で、ルーヴェルトが軽くため息をついた。彼としては、あまり読まれたくないらしい。
「俺達をモデルにしたストーリーなど、読まずとも結末まで分かりきっているじゃないか」
「いえ。それが、所々微妙に違うのです。出会いが図書館の中庭だったり、お互いに婚約者候補がいたりして紆余曲折が……」
「それでも最後は、無事に婚約するのだろう?」
ルーヴェルトは、ちらりと本を覗き込んだ。ページの残り具合からして、ストーリーはもう終盤に差し掛かっている。
しかし、作中に登場したあるイベントに、ページをめくる指はピタリと止まってしまった。見るからにマリアは動揺している。そんな彼女を、ルーヴェルトは怪訝そうに覗き込んだ。
「……婚約、するのだろう?」
「そ、そうですね。無事に婚約しました」
「ああ、やはり俺達と同じだ」
「そして……二人は結婚式を挙げております」
「結婚式?」
マリアにとって結婚式なんてまだ先の話で、現実味もなかったものなのに。
物語の二人が結婚式を挙げたことで、それが急に生々しさを帯びてしまって――本に目を落としたままであったマリアは頬を染め、あわてて白い表紙を閉じた。
(結婚式……もちろん私達は結婚するけれど、でもこんな、いきなり)
マリアの中では、最上級にデリケートな話題だった。どうせなら、もう少し心の準備をしてから臨みたかった。ルーヴェルトはどう思っただろうか。言うべきではなかっただろうか。
二人きりの書斎では、どうしても隣を意識してしまって。気まずい空気に耐えきれなくて、なにか違う話題を探していると、
「……悔しいな。物語に先を越された」
「えっ」
少し拗ねたような声色が、マリアの胸へ突き刺さった。
誘われるように隣を見上げてみれば、彼の甘い眼差しが胸を射抜く。
「俺だって、早くマリアと結婚したいのに」
本の上に乗せた手は、いつの間にかルーヴェルトの手に包まれていた。温かな手のひらは優しく、気まずさなんてサラリと溶かして。
目もそらせぬまま、ゆっくりと近付く口付けの予感に身を任せると――やがていつもの、優しいキスが落とされた。
「ルーヴェルト殿下、あの……」
「マリアは、どのような式を望む?」
「どのような?」
繰り返されるキスの合間に、ふわふわとした頭を精一杯回転させ、マリアはしばし考える。
「マリアの希望はすべて伝えて欲しい。その物語よりも、必ず素晴らしい式にしてみせるから」
「希望、といっても……そうですね……」
そう遠くない未来。ウェディングドレスは、ブーケは……考えるだけで胸が高鳴る。
けれど、一番望むのは――
「……私はルーヴェルト殿下と結婚できるだけで、もう夢のようなんです」
「欲がないな」
「まさか。欲だらけですよ」
マリアに『欲がない』なんてはずが無い。
だって、結婚によってルーヴェルトの隣を独占しようとしているのだから。
「私も、早く結婚したいです」
「マリア」
「早く……ルーヴェルト殿下の隣に立ちたいから」
ルーヴェルトとの結婚式。両親とニコラスを呼んで……ペトロナは、来てくれるだろうか。司書長やマダム・ソレイユ、出来れば図書館の常連達も参列してもらえたら、と思いを馳せる。
「……そうか。では、できるだけ早く」
「で、でも無理はなさらず――」
「言質はとったからな。マリア、早く式を挙げよう」
どのような式であっても、ルーヴェルトと一緒なら、きっと素晴らしいものになるに違いない。
マリアは彼の視線を独り占めすると、されるがままに口付けを重ねた。
後日。
物語に触発されたルーヴェルトが、急ぎ結婚式の手配を始めたのは言うまでもない。
突然ピッチを上げてきた結婚準備に、マリアは悲鳴をあげることになったのだった。