あなたの視界に入りたくて
月夜のホールに、目もくらむほどのシャンデリアが煌めく。
グラシア城のホールには所狭しと男女が行き交い、笑顔で駆け引きを楽しんでいた。駆け引きの成立した男女は互いにウデを組みながら、薄暗いバルコニーへと消えてゆく。
マリアはそんな光景を、ホールの壁際で眺めていた。
覚悟を決め、ドレスで武装して挑んでいるはずなのに……思わずこの空気に怯んでしまいそうになる。
今宵の夜会のために準備したドレスは淡いブルー。ホールの光に照らされると雪のように光る繊細な布地は、実はペトロナが選んでくれたものだ。
夜会へ行くと覚悟を決めたマリアに対し、『つぎの夜会は戦場よ』と……なぜかギラッギラの闘志を燃やすペトロナは、それはそれは怖かった。
彼女は即刻、マリアを一流ブティックまで連れていき、ドレスの布地はこれ、アクセサリーはこれ、髪型はこうだから髪飾りはこれ……と、どんどん勝手に決めていった。口を挟む隙も与えずに。そうしてペトロナこだわりの一式が揃ったのは昨日のことだ。
マリアはペトロナにされるがまま身を任せた。
白い肌を際立たせるライトブルーのドレス。清楚なイメージを徹底した薄化粧。緩く編み上げられた亜麻色の髪には白と金の花飾り。イヤリングとネックレスは、大粒のサファイア……
どれもこれもマリアの良さを限りなく引き立ててくれている。
最終的に、マリアは全身をペトロナにプロデュースされ、可憐で愛らしい令嬢へと変身を遂げたのだった。
(流石ペトロナだわ……私が私じゃないみたい)
『いい?! 求婚されてるからって、バカみたいに受け身じゃだめよ。お義姉さまだけじゃないのよ! ルーヴェルト殿下を狙ってる女なんて死ぬほどいるんだからね!』
ここへ来る直前、百戦錬磨のペトロナからは恐ろしい言葉を頂いてきた。
ルーヴェルトからの招待状に胸をときめかせ、夢見心地であったマリアだが、今は身が引き締まる思いでホールの壁に立っている。
『君だけを待っている』────
たしかに招待状には、ルーヴェルトの直筆でそのように記されていた。けれど現実は厳しくて。
マリアは見たくない光景に直面させられている。
(ルーヴェルト殿下、囲まれてしまってるじゃない……?)
ホールに到着した頃にはもう遅かった。既にルーヴェルトの周りにはバリケードのような令嬢の壁が出来上がってしまっていて、今やマリアが入る隙間も見当たらない。
マリアはうっかり忘れそうになっていた。彼が美しい人であることを。
彼は王子である上に、もともと注目を浴びる人だった。なのに彼が「空気だ」なんて言って落ち込んだりするから……
(あっ……腕を触られてるし)
ひとり、積極的な令嬢がルーヴェルトの腕に触れた。じつにさりげなく触れるその動作が、彼女の経験値を感じさせる。
(あのドレスも、胸が見えちゃう)
ちょうどルーヴェルトの前に立つ令嬢は、胸の谷間がざっくり見える大胆なドレス姿であった。マリアの考えすぎだろうか、わざと谷間をアピールしているように見えなくもない。
モヤモヤした。彼女達はあんなにルーヴェルトのそばにいて、自分は壁際で佇んでいるだけ。
ペトロナは、ここまで綺麗にしてくれたのに。
ルーヴェルトは、招待状をとどけてくれたのに。
せっかく、覚悟を決めてここまで来たのに。
マリアの足は、無意識のうちに前へと進む。
ホールの人混みをかき分け、時々誰かとぶつかりながら。
「ル、ルーヴェルト殿下」
気づいて欲しい。どうかこちらを見て欲しい。
目が合ったなら、その時は────
「ルーヴェルト殿下!」
マリアはルーヴェルトを取り囲む輪のそばまで近付くと、後ろからその名を呼んだ。
どうしても、彼の視界に入りたい。
マリアにもやっと分かった。図書館で見つめ続けてくれていたルーヴェルトの気持ちが。
不躾にルーヴェルトの名を呼ぶマリアを、令嬢達は訝しげに振り返る。僅かに空いたその隙間から、彼もこちらを振り向いた。
見開かれたルーヴェルトの瞳が、やっとマリアを捉えてくれる。
「……マリア」
(やっと、やっと目が合った)
彼と目が合っただけで、モヤモヤしていたものはきれいさっぱり消え去って。代わりに、この胸は喜びでいっぱいになってしまった。自然とマリアの顔には花のような笑みが浮かぶ。
そうしてしばらく喜びに浸るマリアだったが、なんだかルーヴェルトの様子がおかしい。
「あの、ルーヴェルト殿下……?」
「………………」
マリアが呼びかけても、彼はずっとこちらを見たまま、微動だにしないのだ。
ここはホールのど真ん中。ぴたりと動きが止まってしまったルーヴェルト王子に周りが気づき、にわかにざわめきが広がり始める。
(ど、どうすれば)
周りを見渡せば、マリアは注目の中にいた。相変わらずルーヴェルトの動きは止まったままで、周りの令嬢達も困惑している。
(急に話しかけたりしたから?)
この場合、原因となった自分は一旦退却したほうが良いのだろうか。周りを巻き込み、困らせたい訳では無い。
「皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした。失礼いたします──」
マリアがひとまず退散しようとルーヴェルトに背を向けたその時、なぜか、後ろからバサリと布に覆われた。
温かくずっしりと重い、その布は白。
包まれている。彼のマントに。
状況を理解するまでに、時間がかかった。そして理解できた途端、胸が激しく騒ぎだす。
「マリア、これは駄目だ」
「駄目……?」
「綺麗すぎて、駄目」
ルーヴェルトはマリアの耳元で囁くと、マントごと彼女を抱き上げた。
「きゃあ!!!!」
その瞬間、ホールにはマリアと令嬢達の叫び声がこだまする。
しかしルーヴェルトは周りの反応を気にも留めず、マリアを抱きかかえたまま颯爽とホールを後にした。
「お、降ろしてください」
「降ろさない、君を誰にも見せたくない」
「どこへ行こうというのですか!」
「夜会より、二人きりになりたい」
マリアは何度も抵抗をするものの、ご機嫌な彼は歩みを止めず、彼女を抱きかかえたまま薄暗い廊下を進む。
「……十年間の片想いで、俺はとうとう幻覚でも見えるようになってしまったかと思った。自分の精神を疑ったが、どうやらこれは現実のようだな。マリアが本当に来てくれるとは」
「あ、当たり前ですよ」
「妄想のマリアより、現実のマリアのほうがずっと綺麗だ」
「なにを言って……!」
恥ずかしげもなくそんなことを口にするルーヴェルトは、至近距離で目を細める。とうとうマリアは耐えきれず、マントの中に顔を埋めた。
「駄目だ、見せて」
「無理です。恥ずかしいじゃないですか」
「馬車の中では、俺になら見られてもいいと君は言った」
「確かに言いましたが……」
いつの間にか二人は、誰もいないバルコニーに辿り着いていた。プライベートなエリアだろうか、先ほどの喧騒が嘘のように、辺りはしんと静かで。
そこでやっとマリアは腕の中から開放され、ゆっくりと地面へ降ろされる。
あれほど降ろして欲しいと言っていたのに、いざ降ろされてしまうと少し寂しい。もうずっと、マリアは矛盾した想いの中にいる。
「……先程も私、ルーヴェルト殿下に見て欲しいと思いました」
離れた身体は少し物足りなくて。
マリアはそっとルーヴェルトの袖を掴んだ。
「視界に入りたいと……そう思って我慢できなくて」
「──それは、なぜ」
顔を上げれば、期待を湛えた彼の目がこちらを見下ろしていた。袖を掴むマリアの手は、彼の大きな手に包まれる。
「す、好きだからです」
繋がれた彼の手は、熱い。
その熱が、マリアの心を後押ししてくれる。
「私、ルーヴェルト殿下のことが好きで……」
震える告白は、我慢の利かない彼の唇に消えていった。
「嬉しくて、死にそうだ」
「ル、ルーヴェルト殿下」
ルーヴェルトは、マリアをその腕の中に抱きしめる。
きつい抱擁からは、十年分の喜びが伝わってくるようで。
「……君が振り向いてくれた」
どちらともなく近付く顔に、再びマリアは目蓋を閉じる。
同時に重なる甘い唇。
月明かりの下で交わされるキスは、終わることがなくて。
遠くに聞こえる喧騒の中、二人は繰り返し互いの想いを求め合った。
次回で完結にしようと思います。
いつもいいねなどで投稿にお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました!