初恋は実らないなんて
ルーヴェルト視点のお話です。
王立図書館、二階の窓際。
窓から射し込む光が金髪を眩く照らすが、頬杖をつくルーヴェルトの表情は闇のように暗い。
机には、ここへ来る口実のように積み上げられた歴史書が数冊。ルーヴェルトは広げていた資料をぱたりと閉じると、今日何度目かのため息をついた。
もうずっと、マリアが来ない。
彼女は毎日のように図書館に通いつめていた常連だったはずなのに、来ない。
避けられていることは明白だった。
避けられて嬉しい、意識されて嬉しいと、そう思えた時期もあったが、そんなものはもうとっくに過ぎ去っていて。今はただただ落ち込むばかりである。
(俺は嫌われてしまったのだろうか……)
パーティーからの帰り道、馬車の中では確かにマリアからの好意を感じたはずだった。
初めて見た、彼女の笑顔。こちらの袖を掴む小さな手。恥ずかしそうに見上げる潤んだ瞳。すべてから、好意がにじみ出ているようで。
身震いするほど可愛らしかった。抱きしめずに思いとどまった自分を褒めてやりたいくらい、心を開いたマリアは愛しくて。彼女が自分の気持ちに気付くまであと少し待とうと、そう思えた。
最高に幸せなひと時だったのだが、それは自惚れだったのだろうか。都合よく期待し過ぎていたのだろうか……
『俺にとって、ヒロインはマリアだけだよ』
好かれていると思って調子に乗って、あんなことを言った自分を上下左右から殴ってやりたい。彼女はもしかして引いたのではないか。もしそうだったなら……
夜会でいきなり声をかけたことも、パーティーに図々しく顔を出したことも。
ひとつ気になり始めると、これまでの言動すべてが駄目だったのではないかと深みに嵌ってゆき……ついにルーヴェルトは、机に力無く突っ伏した。
****
マリア・シルヴェストレ伯爵令嬢は、王子ルーヴェルト・グラシアの初恋相手である。
それは十年前、少年ルーヴェルト十一歳が、初めて王立図書館へ訪れた時の話。
「どうぞ」
ルーヴェルトが、うっかり本を落として。幼いマリアはそれをたまたま拾って、彼へと手渡した。ただそれだけの事だった。
(──なんて、綺麗な)
本を拾ってくれた彼女に、目を奪われたのが恋の始まり。
窓際で陽に透ける亜麻色の髪が、ページをめくる彼女の横顔が、やけに図書館に溶け込んでいて。
静かに文字を追うその姿から、目が離せなくなってしまった。
彼女に強く惹かれたルーヴェルトは、歴史書を何冊か借りると、同じく窓際へ席をとることにした。
そのうち彼女はこちらを振り向くだろうか。目が合ったなら、挨拶を交わそう。名前を聞いて、話をして……笑う彼女が見てみたい。
そんな期待を胸に抱きつつ、わざわざ彼女の視界に入る席へと座り、ちらちらとその時を辛抱強く待ってみたのだが。
彼女は本と向き合ったまま、少しもルーヴェルトに気づく気配がない。
ルーヴェルトがわざとらしく伸びをしても、彼女の後ろを通り過ぎても、彼女はチラリともこちらを見ようとしないのだ。
ルーヴェルトは愕然とした。
こんなことは初めてだったのだ。
王家の金髪は人の目を引くし、王子という立場はそれだけで関心を集める。そのため、ルーヴェルトには自分は目立つという自覚があった。
いるだけで人から注目されてきたルーヴェルトは、当たり前のように彼女からも視線を望んだ。それなのに。
まるでそこにルーヴェルトが居ないかのように、彼女からは無視をされている。いや、これは無視では無い。そもそも、彼女の意識から外にいるのだ。王子であるはずの、この自分が空気扱いされている。
生まれて初めて自信を失っていたところ、本を読み終えた彼女はやっと席から立ち上がった。
と思うと。足取りも軽く、再び書棚へと向かったではないか。相変わらずルーヴェルトに気付かぬまま。
屈辱でいっぱいになったルーヴェルトは、意地になって彼女のあとを追った。彼女の目の前には、書棚一面に並んでいる恋物語の数々。
隣に立つ王子ルーヴェルトを一瞥もせず、彼女は目の前に広がる恋物語に瞳を輝かせていた。
(たった一度も、こちらを見ない……)
無意識に、唇を噛みしめる。
悔しかった。
自分よりも、書棚を眺めているなんて。
「……ほ、本ばっかり読んで変なやつ。恋物語みたいな結婚なんて、出来っこないのに」
彼女の視線を奪う本に思わず嫉妬して。
現実の世界へ気を引きたくて。
ルーヴェルトは、つい彼女を挑発するような事を言ってしまった。
「え……?」
後悔したときにはもう遅い。
一寸の間を空けて、暴言に気付いた彼女がルーヴェルトに振り向く。
やっと自分に向けられたその丸い瞳は、ぽかんと呆れているようだった。
「あ、その、急にごめん、べつに深い意味はなくて……」
とっさに取り繕うルーヴェルトに対し、彼女は慌てて淑女の礼をする。
「し、失礼いたしました殿下。本に気を取られておりまして」
「いや……」
ルーヴェルトの金髪を見て、すぐに王族だと気がついたのだろう。彼女が敬礼するその姿は、幼いながらとても美しいものだった。
丁寧な敬礼から顔を上げた彼女は、改めてルーヴェルトに向かい合う。そして小さく首をかしげて何か考え込むと……
「──物語のような結婚はできっこない、それはそうかもしれませんね。なら、私は結婚などしなくても構わないです。実は、あまり現実の結婚に対して夢もなくて……」
彼女は納得したようにうんうんと頷きながら、先程のルーヴェルトの暴言に同意してしまった。
「そ、そんな……!」
ルーヴェルトは焦った。彼女の反応が、まったく予想しない方向へ流れてしまっている。
(違うんだ、君の気を引きたかっただけなんだ! 君のような人なら、どんな恋物語だって紡いでいけるだろう。騎士でも魔法使いでも、なんなら王子だって君の虜になるに違いない。幸いにも俺は王子で、歳も近くて、だから……)
言い訳はぐるぐると頭を回るのに、彼女を前にしてうまく言葉にすることが出来ない。
もたもたしているうちに彼女はお目当ての本をさっさと選ぶと、「失礼します」と去ってゆく。
ルーヴェルトはサラサラと砂になった。撃沈とはこの事だった。
暴言について弁解はできなかったものの、ルーヴェルトは図書館で出会った彼女のことをどうしても忘れることが出来なくて。伝手を頼り、なんとか彼女のことを調べ上げた。
名はマリア・シルヴェストレ。シルヴェストレ伯爵家の令嬢で、年齢はルーヴェルトより一つ下。跡継ぎである弟が一人、彼女自身に婚約者はまだいない。
(まだ、婚約者はいない!)
マリアに婚約者がいないことを、ルーヴェルトは拳を掲げて喜んだ。
その理由を聞くまでは。
「マリア嬢は、ある日を境に『結婚などしたくない』と公言するようになったと申しておりまして……婚約も、するつもりは無いようです」
側仕えの者から聞いた『理由』に、全身から血の気が引いていく。
『ある日』とは、きっとあの日のことだ。
彼女の決断は完全に、ルーヴェルトの暴言が原因であった。
****
あれから十年。長かった。
最近では、母である王妃から「そろそろ婚約しろ」とせっつかれ、城では「うちの娘はどうでしょう」と縁談を持ってくる者も後を絶たない。
『夜会』という名の顔合わせも、たびたび開かれるようになってしまった。
周りからじわじわと追い詰められるようなプレッシャーを感じつつも、ルーヴェルトはどうしてもマリアのことが諦め切れないでいる。
なにせ、図書館へ行けば彼女に会えてしまうのだ。
相変わらずマリアは本ばかり読んでいたし、依然としてルーヴェルトは空気のままだったけれど。
彼女が、すれ違えば挨拶をしてくれる。視界に入れば、会釈をしてくれる。
それだけでルーヴェルトの胸は最高に満たされて、マリアを何度でも好きになった。
だから、夢のようだった。あの夜会にマリアが来てくれたことが。彼女に求婚して、スタートラインへ立てたことが。
やっとここまで来たと思ったのに。
初恋が実らないというのは本当であったのか。
しかし────
もうすぐ、つぎの夜会がやってくる。
ルーヴェルトは誰もいない窓際を見つめ、固く拳を握りしめた。
誤字報告、ありがとうございました!!
申し訳ありませんでした…!