もしも恋物語なら
せっかくのパーティーを騒然とさせてしまったマリアとルーヴェルトは、早々にオルティス伯爵家から退散することにした。
オルティス伯爵家のタティアナは「責任を感じることは無い」と引き止めてくれたけれど、これ以上長居しても良いことは無いだろう。迷惑をかけてしまうだけで。
マリアはルーヴェルトに促され、畏れ多くも王家の馬車に乗り込んだ。
華美では無いものの美しく装飾された馬車は、内装も洗練されていて。ベルベットの座席はふかふかとしていて、振動も少なく心地よい。
「こんなにも乗り心地の良い馬車は初めてです」
「そうか。それなら俺と結婚して、好きなだけ乗ればいい」
(な、なにを平然と……!)
ルーヴェルトが実にサラリとそんなことを言うものだから、マリアは言葉に詰まって俯いた。
たしかに、彼と結婚すれば乗ることになるのはこの馬車だが。あまりにも世界が違っていて、そんな未来が想像できない。
隣に座るルーヴェルトはというと、じっとマリアを眺めているようで。二人きりの車内で羞恥心が限界に近付いたマリアは、抗議するように口を開いた。
「……そんなに見ないでくださいますか」
「マリアが着飾っているのに、見ないなんて勿体ない」
「ええ……?」
ルーヴェルトはきっぱりと言い切った。開き直った彼の視線は、やはり遠慮なくマリアへと注がれる。
「とても似合っている」
「ありがとうございます……」
「色々とドレスを贈りたくなるな。君のドレス姿をもっと見てみたい、きっと何を着ても似合う」
「そ、そんなことありません」
彼に見られていると思ったら、急に何もかもが恥ずかしくなるのはなぜだろう。ラベンダー色のドレス姿も、ゆるく流した髪型も、薄く施したメイクも、全部。
無意識のうちに、マリアは晒された首筋を手で隠す。
「なぜ隠す」
「だって恥ずかしいじゃないですか」
「恥ずかしい……!?」
マリアが恥ずかしがると、ルーヴェルトは目を丸くして驚いた。
「俺に見られて、マリアが恥ずかしい……?」
「はい。恥ずかしいです」
思えば、図書館ではなぜ平気だったのか分からない。
馬車の中よりも距離はあるものの、隣からはいつもルーヴェルトに見られていたらしい。
なのに、まるでそこには空気しか存在しないかのように、彼を意識してはいなかった。本の世界に没頭していたとはいえ、鈍感が過ぎるのではないか。
どんどん赤くなってゆくマリアの顔に、ルーヴェルトは視線をさ迷わせる。
「──わ、悪かった。見過ぎてしまったようだ」
「いえ……」
「もう見ないようにする」
彼は申し訳なさそうにそう言うと、今度はマリアからフイと顔を逸らす。金髪から見える耳は、ほのかに赤い。
(極端な方だわ……)
ルーヴェルトはどうやら全力で申し訳なく思っているらしい。マリアから顔を背けた彼は、もう一度「悪かった」と呟いた。そんなに、謝らなくてもかまわないのに。
馬車は度々、道の悪い場所を通りかかった。砂利の多い田舎道を、ガタゴトと馬車が揺れる。
揺れるたびに、マリアとルーヴェルトは、近づいたり、離れたり。けれど彼は、頑なにこちらを見ない。
「ふふっ……」
第二王子ともあろう人が、マリアの「見ないで」という一言を、律儀にも守ろうとしている。
頑張って、目を逸らし続けている彼の姿がどうしてもおかしくて。マリアは耐えきれずに笑ってしまった。
隣から聞こえるマリアの笑い声に気付いてやっと、ルーヴェルトは遠慮がちに視線を戻す。
「……笑ってるのか」
「申し訳ありません、おかしくてつい」
笑ったりして失礼だっただろうかと思うけれど。
照れたようなバツの悪いような、彼のそんな表情も、マリアを温かく解してゆく。
「君の笑う姿を初めて見た」
「そうでしょうか」
「俺の前でマリアは、本を読んでいるか困っているか、そのどちらかで……ああすまない、また君に見とれてしまっている」
もう見ないと言ったのに──と、ルーヴェルトが再び顔を逸らすから。
マリアはとっさに彼の服をつかんでしまった。
「か、構わないのです。恥ずかしいけれど、ルーヴェルト殿下になら見られても……」
つい先ほど、あまり見ないでと言ったのはこちらなのに。
彼の顔が逸らされると、寂しさを感じた。恥ずかしいと思うのに、見て欲しいとも思う。
なんて矛盾しているのだろう。どうしたというのだろう、自分は。
ほら、ルーヴェルトだって困っている。
何も言えずに、ただ黙ってマリアを見ている。
「すみません、訳が分からないですよね……私も分からないのです」
このように衝動的に誰かを巻き込むことは初めてで。掴んだこの手を、このあとどうすれば良いのかも分からない。
変に思われてしまったらどうしよう、この手を振り払われたらどうしようと、今になって彼の服をつかんだことに後悔をした。
けれど、戸惑うマリアの手を、ルーヴェルトの大きな手は優しく包む。
「マリア、君はもしかして」
「え?」
「……あれほど恋物語を読んでいるというのに、自分の気持ちとなると分からないのか」
「何の話でしょう?」
ルーヴェルトが何のことを言っているのかさっぱり分からず、マリアは首を傾げて思案する。そんな彼女を見て、王子はフッと微笑んだ。
「例えばだ。もし恋物語なら、君はこの後どうなる?」
「恋物語なら……?」
「そうだ。伯爵令嬢のマリアは出会いを求めて、王子と出会った。そして求婚されて、それから──」
ルーヴェルトは、熱い眼差しでマリアを見つめる。期待する答えを求めて。
もし恋物語に、もし自分が居たのなら。
ちゃんと分かっている。自分の立ち位置は。
「この後、私は……なんらかの罰を受けることになります」
「は?」
「分かっております。私は恋物語なら、完璧に悪役令嬢ですものね」
「何?!」
常々思っていた。自分はペトロナから見れば邪魔者で、ふてぶてしい悪役であるのだろうと。
今日なんてペトロナのことを「身内ではない」なんて冷たい言葉で突き放して、彼女のことを泣かせてしまった。たとえ悪気は無かったとしても、誰から見ても悪者だ。
仮にマリアの生きる世界が物語であるのなら、ヒロインは当然、華やかなペトロナだろう。
彼女は伯爵令息と恋仲である。しかし、伯爵家に居座る恋人の姉に邪魔をされ、なかなか恋人と婚約することができない。
それでも愛する恋人──ニコラスと結婚するため、ニコラスの姉マリアに男性を紹介しようとするのだが、意地の悪いマリアは、ペトロナの善意をすべて跳ね除けてしまうのだ。
依然として伯爵家に居座り、二人の仲を邪魔するマリア。
このあと悪役令嬢マリアの行く末は領地送りか修道院か、はたまた平民落ちか──
「義妹になるペトロナにとって、意地悪なお邪魔役なんです。私は」
「マリアこそ、何の話をしている?」
「えっ。もしも恋物語なら……ですよね」
マリアの答えに、ルーヴェルトは深くため息をついた。どうやら、彼の期待するような展開では無かったらしい。
「そうじゃないだろう」
「……といいますと?」
「いいか、ヒロインは君だとする」
「私!?」
思いもかけぬ配役に驚くしかないのだが、彼は至って真剣だ。
「俺にとって、ヒロインはマリアだけだよ」
ルーヴェルトの手には、徐々に力が込められてゆく。
優しい瞳からは彼の想いが伝わってくるようで、マリアは目が離せなくなってしまった。




