6【プリンセス、人心を知る】
授業終了のチャイムが鳴る。
時刻は二十二時丁度。
サラを置いて家を出てからかなり時間が経った。
これだけ時間があれば、サラは自分なりに結論が出せただろうか。
それとも、いまだに考え中のなのだろうか。
授業中はとにかくそんなことで頭がいっぱいになってしまい、生徒が演習をしている最中、ずっと上の空になってしまった。
帰宅の準備を整え、教室を後にする。
ちょうどその瞬間に、夕食の食材が冷蔵庫に入っていないことを思い出した。
「……そういえば今日は買い出しの日だったか……」
サラのことで頭がいっぱいになってしまい、冷蔵庫の食材事情を考えることを忘れていた。
本来であれば塾に来る前にスーパーで食材を買ってから授業に出る流れだったが、頭からすっぽりと抜け落ちていた。
まぁ、普段から三ノ輪室長には「毎週水曜日に冷蔵庫を君の野菜であふれかえらせるのはやめてくれ」と言われていたので、今日くらいは冷蔵庫がすっからかんな状態でもいいだろう。
とはいえこんな時間に野菜なんて売ってるお店もある訳がないので、仕方なく帰り際にコンビニでレトルトカレーを買ってから帰ることにした。
けだるげな深夜シフトの女子大生の「しゃーしたー」という言葉を背中に受けながらコンビニを後にし、電灯の少ない夜道を歩く。
少女の声に気づきふと顔を上げてみれば、近所の別の塾から帰る中学生くらいの女子二人が通り過ぎて行った。
ふとその姿が、一瞬だけサラに被って見える。
……もし彼女が学生生活を満喫できたなら、こうやって同級生と笑いながら帰るのだろうか。
彼女がもとの世界でどういった生活をしていたのか、という部分については、まだ心を許していないのか多くは語ってくれていない。
習慣についての情報、という意味であれば食生活や産業など、そう言った情報は教えてくれただろう。だが、彼女個人が一体どういう人生を歩んできて、どういう考えを持っていて、何を一番大切にしているのか、という部分に関してまでは、心を開いてはくれていない。
これまで対応してきた生徒たちは、勿論これくらいの短期間で心を開いてくれる人は居たが、大抵はもっとお互いのことを知ってから心を開く。
俺がただ焦り過ぎているだけなのかもしれないが、もしできるなら、そういう心の奥深くまでを俺に教えて欲しい、と感じる。
……考えごとをしていたせいか、気が付けばもう自分の部屋の前まで到着していた。
「あまり深いこと考えず、ゆっくり将来を考えた方がいいのかな」
もしかしたら、中学校に通わせるという俺が出した結論は早計過ぎたのかもしれない。
俺だけで決めずに、もっとサラと話し合った方がいいかもな。
部屋に戻ったらサラと話そう。そう考えて鍵を回したとき、違和感を覚える。
鍵が開いている。
「……っ!?」
ドアを蹴破り部屋に駆けこむ。
居間には……、いない。
キッチンにも、トイレにも風呂にも寝室にも、いない。
「サラ! サラ……っ!! いたら返事してくれ!」
俺はなるべく全部屋に聞こえるよう大きな声で呼びかける。
……返事は無い。
「くそっ、なんでこんなことに……!」
もしかしたら事件に巻き込まれたのだろうか? 泥棒? 誘拐?
いや、もしかしたら俺が帰ってくるのが遅くて探しに行っただけかもしれない。
……とにかく、町中を探し回らなければ……!
そう思い立ち、着替えも早々に再び玄関を飛び出し、近所の公園に向かう。
もしそこに居なければ公園近くの路地裏、そこに居なければその通りにあるコンビニ、もしそこに居なければ……、と、俺は頭の中で捜索ルートをシミュレーションしていく。
まず始めは、公園。
この時間帯では子供なんている筈も無く、閑散とした雰囲気がなんとも不気味だ。
先ずここら一帯を、と思い一通り歩いて回ったものの、ここには残念ながら痕跡は見つからない。
次は路地裏へ向かった。
ゴミ箱や乗り捨てられた原付など、隠れるための場所は探そうと思えばいくらでもある道。
「サラ……っ! サラっ!!」
声を掛けながら道を進むが、ここも反応は無かった。
その後も様々な場所を数十分探して回ったが、結局見つかる気配は無かった。
そして、あきらめかけ家からだいぶ遠くの小さな公園で休もうとベンチに向かっていたところ。
ついに、その姿を目にとめた。
缶コーヒーを両手で膝の上に抱え、うつむいているサラ。
「良かった……!」
探したんだぞ、と言おうと近づいたところで、違和感に気づく。
暗がりで見えなかったが、どうやらサラの周囲を不良三人組が囲んでいるようだった。
「なぁ嬢ちゃん、こんな時間にこんな人気のないところで、なーにしてんのぉ?」
「エンコー待ち? させ子ちゃん、ってやつぅ~?」
「……やめてください、私、そういうのじゃないんで」
「えぇ~? つれないこと言わないでさぁ、遊ばない? ……あ、それともそういう無理やりみたいなプレイが好きなわけ?」
「ちょっ、ちょっと……!」
不良たちはサラの手を引いて、どこかへ連れて行こうとする。
男三人の力に十四歳の少女が一人で勝てる筈も無く、サラは徐々にベンチから浮かされていっていた。
「ちょちょちょ、ちょっと! 何してんの!」
その状況の危なさに、慌てて俺は仲裁に入る。
「……は? なに、おっさん。おっさんはかんけーねーだろ」
「ひっこんでねーと、潰すぞ?」
「うっ……」
もともとオタク気質だった俺は、その圧に若干気おされる。
今までの俺だったら、見て見ぬふりをしてその場を通り過ぎていただろう。
しかし、今回は状況は状況だ。
……俺は、サラの為にも退く訳にはいかない。
「その手、放してくれませんか。親戚なんです」
「チッ、知り合いかよ。だったら、とっとと失せな。大丈夫、殺したりはしないからよ。ちょっと遊ぶだけ」
「そーそー。お嬢ちゃんも気持ちよーくなれるし、ウィンウィンだよねぇ~」
青年は、そう言いながら煙草に火をつけた。
見てくれは中学生以上だろうが、しかし明らかに成人しているようには見えない。
「未成年で喫煙は違法だよ、君たち」
「はははっ! おっさん、俺達みて注意されたら法律守るいい子ちゃんだと思ったわけ!? ウケる!」
「でも、ちょっとイラつくよな」
青年の一人がそう言うと、一歩こちらに踏み出した。
「おっさん、黙って帰れよ」
「……そんな言葉を聞いて、はいそうですかって帰るように見えるか?」
「……ったく、ここで帰っていれば痛い思いしなくて済んだのに、よっ!」
「うぐぅっ!!」
だいぶ鍛えているのだろうか。
Tシャツの上からでもわかるくらい筋肉の張った腕から、重いストレートが放たれる。
鳩尾に一発。その衝撃をまともに受けて、俺は一瞬宙に浮く感覚を味わった後、猛烈な痛みと吐き気に襲われた。
その痛みに、思わず跪く。
「うぅ……、うぅ……!」
「なぁおっさん、今なら見逃してやっからよ、失せな」
「できるわけ……、ない……!」
「……うざ」
青年は、今度は俺の側頭部に向けて強烈な蹴りを放つ。
その衝撃で側頭部から周囲に血が弾け飛び、一瞬だけ視界が真っ白になった。
「もうやめて! 私はどうなってもいいから!」
「おめぇ、うるせぇぞ!」
「ひぎっ……!」
視界の端には、髪をつかまれ苦痛に呻くサラの姿が。
両手を拘束されているためか、魔法を発動しようとする兆しは見えない。
「やめ……、やめろ……!」
「しゃべんじゃねぇよ!」
持ち上げた頭を押さえつけるように、後頭部から踏みつけられる。
その衝撃で、側頭部からだけでなく額からも出血した。
血が流れ、視界が赤く染まる。
「ふざ、けんな……」
それでも、サラを守るため満身創痍の身体を起こそうと青年の足を掴む。
「おいおっさん、このままやるならガチで死ぬぜ?」
「……知るか!」
何とか最後の力を振り絞って青年を転ばせる。
「……ってぇな」
しかしそれを最後に、足に力が入らなくなってしまい立ち上がれたもののすぐに膝をついてしまった。
「タケシ、あれ貸せ」
「マジ? やっちゃうの?」
「いいから」
そんなやり取りをした青年は、タケシと呼ばれたもう一人の青年から何かを受け取る。
暗闇で何を受け取ったのかは分からない。
しかし、一歩踏み出して街灯の光が反射したのを見て刃物だと気づいた。
「人殺しをするつもりなのか?」
「ああ。お前が初めてだ、良かったな」
さっき転ばされた影響か、フラフラとした足取りでこちらに近づく青年。
しかし俺は痛みで跪いた状態から動くことすらできない。
「一人は寂しいだろうからな、この女もヤった後は殺してお前と一緒にしてやるよ」
そして青年が俺の前に立つ。
そのまま刃物を振り上げた。
「きゃあぁぁぁああ!!」
サラの悲鳴が周囲に響く。
その瞬間、俺は意識を手放した。