5【プリンセス、将来を考える】
「ということでサラ、今後は昼は中学校に通い、夜は俺が家庭教師をすることにします」
これは俺が昨日、ずっと考えていたことだ。
◇◆◇
「いやぁ……。私は……」
俺の背中の上で、サラは何やら呟いている。
バスに揺られる振動が心地よかったからか、満腹になった満足感からか、サラはバスに乗っている最中に眠ってしまった。
目的のバス停に着き起こそうとはしたものの、眠りは思った以上に深く揺すった程度では目を覚まさなかった。
もしかしたら知らない世界で、知らない男の家で安心して眠ることは難しかったのかもしれない。
俺は仕方なくサラを背負ってアパートに戻ることにした。
その道中、俺はサラについていろいろ考えた。
サラは、もし今後生涯を終えるまで元の世界に帰れなかった場合、こちらの世界で働く必要がある。
そのためには、こちらの世界での一般常識が必要だ。俺の担当科目は数学だから英語や社会は教えられないが、もしその科目の学力が不安ならうちの塾に通わせればいいだろう。
そう考えた結論だったというのに……。
◇◆◇
「嫌よ。あんたみたいなネクラそうなおじさんから勉強を教わるなんて、死んでもイヤ」
俺は、目の前のお姫様にそう言われた。
これまで、とはいっても数日の付き合いだが、そんな中でも見たことのない強い否定。
「とは言っても、君ここでできることなんてそんなないでしょ……」
「そ、それは……。と、とにかく、私は嫌だからね」
まさか、これまでの態度から結構まじめだと思ってたのに、ここまで否定されることになるとは、思ってもみなかった。
「せめて、どうして嫌なのか理由を教えてくれよ」
「私はこっちの世界に定住する気はさらさらないの。もしここで学校になんて通ったら、私が元の世界に帰ることを諦めたみたいになるじゃない。私はそこまでするなら、学校に行く時間を使って元の世界に帰る方法を探すわ」
「見つかるあてはあるのか?」
「ないわよ。だから探すんじゃない」
……成程な。考えようによってはそう捉えることもできるのか。
「じゃあ強制はしない。でも一つだけ質問させてくれ。サラの世界での数学の水準はどの程度だった?」
「何、お説教?」
「違う。……いや、違くないが。とにかく、教えてくれ」
「まぁ、こっちの世界の方がやってることの難易度は確実に上ね」
「そうか。なら朗報だぞ」
「……なによ」
「もし元の世界に戻れたなら、こっちの世界で学習した知識で知識チートができる」
「なによ、そのチートって」
「つまりな、サラが得た知識を使えば宰相にだってなれるかもしれないってことだ」
「……私、王族なんだけど?」
「う……。で、でも、釣銭を誤魔化されたときにいち早く気付けるとか……」
「買い物は使用人がやるし、それくらい私だって気づくわよ。私の知能レベルを無礼てるわけ?」
「いやそういう事じゃないんだ……。くそ、万事休す……!」
これほどまでに打つ手がないなんて……!
正直、日本という文化を学んでもらうためにもなんとかして中学校という小さな社会に出しておきたかったんだが……。
この様子を見ていると、梃子でも意思は変わらないだろうな。
なんとかして気が変わって欲しいんだが、なにか興味を引くような一手は無いだろうか。
中学校という環境に置かれることによって、彼女が受ける影響というのはかなり大きいんじゃないのか、と俺は思う。
現代日本における高水準の教育に、社会の縮図ともいえる環境。ここで学ぶことができる意義というのは、彼女にとって大きいと俺は感じている。
だが、これはあくまで俺の思想。
彼女自体が嫌がっている状況で無理やり学校に入れることはかえって悪影響を与えることになりかねないし、それとは別に俺の心配事として、明らかに外国人風の見た目の彼女が中学校に入った後でいじめられないかも心配だ。
そうも考えた俺は、悩んだ末にサラに対してある妥協案を提示した。
「試しに、一か月だけ入学してみてもらえないか? もしそれで意義が無いとか、学校には行きたくない、ってなったらやめるってことで。それでいいからさ、なんとか心変わりしてくれないか?」
「えぇ……? 逆に、どうしてそこまで私に中学校に通わせたいわけ?」
「どうしてって、それは……」
……どうして、だろうか。
特に考えてなかった。理由はいくらでもある。さっきも考えたような、将来の為とか元の世界で役に立つとか、そういうのだ。
だが、どうしてここまでサラを気にかけているか、というのは、簡単に答えが出るものではなかった。
俺は、サラを家に匿ったのも行く当てがなさそうだったからだし、その直接的な意思決定を後押ししたのも室長の「家においておけばいい」という発言があったからだ。
俺はサラの家族でもなければ保護者でもない。
俺は、何故ここまでサラを気にかけているのだろうか?
直接的な、本当の意味での俺の心の中にある「サラを匿う理由」は見つからない。
──でも一つだけ、確実に言えることがあるとしたら。
「俺は、君の将来が見たい。台風で突然部活が休みになって一緒に喜んだり、成績が落ちて一緒に悩んだり。そういう、君が今後どうなっていくのか、っていうところが、一番知りたいんだ」
塾講師というものは、その職業の性質上多くの生徒に関わる。
生徒それぞれから将来の夢を聞き、それを叶えるためにできる事を一緒に考える。そうやって心に寄り添う職業だからこそ、塾講師という人間は多くの人間の人生を変える可能性がある。
人生は物語で、百人人間が居れば、百通りの物語を知る事ができる。
総体で優勝するくらいスポーツ万能でスポーツ推薦を目指す生徒が居れば、複雑な家庭環境に置かれていて閉塾後も自習したいと強請る生徒もいる。
そして、それぞれの物語に、俺は講師として介入することができる。
それは残酷な事かもしれないが、同時に良い事でもある、と俺は思う。
先生のお陰で合格できた。志望校には落ちたけど、先生のお陰で勉強が楽しくなったから、高校に入った後も勉強続けられそうだよ。そういう、生徒の声を聞けるたびに、俺はこの職業をやっていてよかった、と思った。
「俺は、サラの物語が見たい。どんな人間になっていくのかそれが見たい。そしてあわよくば、俺はそれを支えたいんだ」
いつか将来、サラが元の世界に帰ることになってしまったとしても。それまでは、俺の目でどうなっていくのかを見届けたいんだ。
「……サラ、何か夢は無いか?」
「何よ、急に。……しいて言うなら、元の世界に戻ること?」
「そうじゃない。大人になって、自分がどうなっていたいかだ」
「大人になって……」
サラは俯き顎に手を置いて考えるしぐさを見せた。
しばらく考えて、サラは呟く。
「……私は、もっと術の勉強がしたい。もっと、今よりたくさんの術を知って、それで偉大な術師になるの。そして、たくさんの人の役に立ちたい」
「……そうか」
サラの口から出たのは、求めていたものだが求めていたものじゃなかった。
現代日本に居ては術の勉強なんかはできないし、元の世界に戻らない限りサラの夢がかなうことはないだろう。
でも、そうじゃないだろ。塾講師なら。先生なら、生徒がどれだけ難しい目標を立てたとしても、それを真っ向から否定しちゃいけない。
「人を助けたいって夢、俺はすごくいいと思う。君の世界では術で人助けができるんだよな」
「そうね」
「現代日本じゃ、残念ながらその夢はかなえられない。でも、その代わりに人を助ける職業はたくさんある」
俺は一呼吸おいてサラに提案した。
「サラ。医者、目指してみないか?」
「は……? 医者?」
「そうだ。医者はすごい。医療過誤が起こればすべての責任を負わなくてはならないプレッシャーと戦いながら、常に職務を全うしようとしている。それは偏に、それぞれの医療従事者たちが自分の力で一人でも多くの人物を救いたいと考えているからだ。医者は皆気高い意思を持って仕事にあたっている。俺は、サラにそんな人たちになってほしいと思う」
もちろん無理に、とは言わない。強制することはよくないことだからな。
過去に、両親に強制されて希望ではない志望校を受験した生徒を持った。彼は志望校ではない学校を受験させられたため夏を過ぎても勉強に対するモチベーションを持つことができず、結果的に不合格になってしまった。
俺はその悔しい気持ちを忘れられない。どれだけ講師が尽力したところで保護者の意見にはあくまで提案という形でしか提示できないし、生徒に対しても、その学校を目指す以上不本意な課題の量を出す必要に駆られてしまう。
だから、強制するのはよくない、ということは俺が一番わかってる。
「嫌ならそれでいいし、俺からももう今日はこれ以上中学校に通うことを打診しない。とりあえず一晩考えてみてくれないか? それで無理なら、それでいい」
俺はサラにそう言った。
「……分かったわ。でも、考えるだけだから」
サラは俺の言葉にそれだけ返事をすると、俺の寝室へと戻っていった。
「……授業から帰ってくる頃に心変わりしていてくれるといいんだが……」
俺はそんな悶々とした気持ちを抱えながら家を出て、授業に向かった。
シンボリルドルフ? 強いよね
序盤中盤終盤、隙が無いと思うよ