30【解脱】
スカートは翻り、幾重にも生地が折重ねられたパニエは上半身を包むように広がって、静かに月光を反射している。
そのせいで彼女がどんな表情をしているのかは読み取ることはできないが、腕から伝わる感覚には、抵抗の意思は見られなかった。
掴んだ足を離すまいと強く握り締めながら、俺は精一杯声を張り上げる。
一方のサラの方は、まもなく地面にぶつかると思っていた状態から助けられてしまったため、呆けたままだ。
「甘えるなよ、小娘っ……!」
俺は、伝わるかわからないまま、再度言葉を発する。
「なぜ王女としての自分の役割が分かっていながら、その責任を放棄しようとする!?」
「だ、だって……」
サラを引き上げようと、腕に力をこめながら、なおも俺は問い続ける。
「お前が死んで悲しむ奴がいるとか、そんな話じゃない。なぜ国のためを思って苦しむほどの優しさと、その重圧に耐えきれずに飛び降りる決意ができるほどの強さを持っておきながら、その強さを国のために使わない!」
「そっ、それはお兄様とお父様がっ……!」
なんとか腿が手すりまで持ち上がったあたりで、俺はサラの腰を抱いてベランダの内側に引き戻す。
「それが甘えだって言ってるんだ。お前なら、阻むもの全てを押しのけて、君臨することだってできるだろう……!」
「でも、私には国を率いる才能はないの……!」
「そんなの誰が決めたんだ!」
「みんなよ!」
言いたいこと、思っていたこと。それら全てがコントロールできなくなり、俺はもう、自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。
だが、抱いていた思いは変わらない。
「お前には才能がある。力だってある。それを使えば、お前が思うように国の形だって変えられるんだ……!」
「どうして初めて会った人にそんなことがわかるのよ!!」
だが、俺の思いは、目の前のサラには届いていなかった。
もし、親兄弟から常にそうやってマインドコントロールされていたのなら、そんな固定観念が心の奥底にこびりついてしまうのはわかる。
しかし、過去の彼女が語った『多くの人を自分の魔術で救いたい』という願いは、そんな固定観念を捨て、自分の人生を歩み始めた証拠の一言だったはずだ。
……人間とは、弱い生き物である。
意思の力で、自分の限界を越えることも、逆に自分の限界よりも遥かに低いところで頭打ちになることもある。
人間とは斯くも弱き生き物なのだ。
意思の力で何もかもが変わるからこそ、何をするにしても、まず意思を強く持たねばならない。
「お前は、……サラは、自分にどれだけの能力があるのかわかっているか?」
……俺は、静かに尋ねる。
「……そもそも、私に、能力なんて」
その返事に、俺は一呼吸を置いて話し始める。
「今から話すことは、俺の話でも、お前の話でもない。そんな個人の話じゃなく、人類全体の話だ」
「……どういうこと?」
「……人間というのは、自分の認識で能力の限界が変わるって話だ」
「……それが、なに?」
人生というのは、意外にも自分の能力だけで決まることというのは少ない。
もちろん、トップのスポーツ選手や漫画家の上澄み、GAFAクラスのCEO、そういった人間には才能は必要だ。
だが、どこかの成金の社長や大企業の役員クラスなら、俺はむしろ才能は必要ないと思っている。
人間とは、自分に自信のある者に惹かれると俺は考えている。
自分に自信があり、人に好かれる者こそ、富を得られる。
極論の話で言えば、人に好かれる能力さえあれば、俺は国の王にだってなることはできると思っている。
国の顔として君臨し、そして、政治は自分を信じ、そして自分が信じるものが回す。
それによって破綻が生じる可能性は低くはないが、可能か不可能かの話で言えば、それは可能だろう。
だからこそ、意思は強く持たなければならない。
……自分を、信じなくてはならない。
「人に好かれる素質があるということは、人を率いる素質があるということだ。真に人を率いることができる人間は、上のものからは疎まれても、下のものからは常に仰ぎ見られ続ける。そして、その信頼を糧に、自分の信じる正義を貫くことができる。……俺が知っているサラは、そんな力を持っていると思っているんだがな」
「どうして、初対面のあなたがそんなことを……」
ベランダにしゃがみ込み、俯きながらサラは力無く答える。
「本当に、覚えてないのか……」
目の前のサラは、明らかに俺の家に転がり込んできたときよりも幼い。
そして、こちらにやってきた頃からの記憶はない。
もし転生や転移といったシステムがあり、俺自身がサラの過去の時代にやってきたのだとしたら。
俺は、この絶望の淵に立っている少女を救えるのではないか。
「……よし、わかった」
「わかったって、何が?」
「サラ、俺が、今日から君の先生になろう」
「その話、さっきも聞いたわよ」
「……はは、そうだったな。まぁ、改めて、だ」
俺がそばにいることで、この少女を救えるのだとしたら。
死なば諸共、最期の刻まで一緒にいようではないか。
「俺は神崎マヒロ。今日から君の先生になる。よろしくな」
「アッティア・クナサラ。……よろしく」
「俺は、君を信じている。……まぁ、初対面でいきなりこんなことを言われても困るかもしれないけどな。……でも、これだけは信じてほしい。俺は、どんなときでも君の味方だ」
「私の味方……。本当に?」
「ああ、本当だ」
「……もし、私が国を捨てて亡命しようとあなたを誘っても?」
「ははっ、君は間違ってもそんなことはしないだろう?」
「そっ、それは……! ……そうだけど」
「君がしたいと望むこと、何でもしよう。帝王学を望むなら、できることは全て教える。魔術を学びたいなら、学べるように国王に掛け合おう。だからサラ。君の望みを教えてくれ」
俺の声かけに、サラは逡巡する。
しばらくの沈黙。
「……私は、国を平和に導くために、できることは全部やりたい……!」
サラが決意を口にする。
瞬間、世界は崩れ去った。




