19【コンテストとアイドル】
「あんたはっ! テスト前なのに分からないところを聞こうとしても帰ってこないしっ! 集中しすぎておなかすいても、あんたが帰ってこないからご飯も食べれず集中できないしっ! おなかが空いてるから眠気も来ないしっ! あんた、一体全体今まで何してたのよ!」
……言えない。中学三年生とホテルから朝帰りしてきた直後だなんて、口が裂けても言えない。
「……昨日は、講習の日程組みで忙しくてな。塾のパソコンからじゃないとデータベースにアクセスできないから、徹夜で持ってる全生徒のカリキュラムを管理してたんだ」
「嘘ね」
「嘘じゃないって、信じてくれよ」
「嘘よ」
「なんで信じてくれないんだ」
「ミノワに電話して聞いたもの」
三ノ輪さん、なんで事実を伝えてしまったんだ……!
いや、退社後から行方不明になっている俺の情報を教えない方が教室長としてはおかしいけど! でも今回ばかりは嘘を言うか、じゃなくても知らないふりをしてほしかった……!
「ねぇ、あんた私が元の世界に帰るための勉強をするって言ったときには積極的に肯定した癖に、新しい女の子を手懐けたらそっちにお熱になるのね? 私はもうどうでもいいってことかしら?」
「そ、そうじゃないって!」
「どうだか。最近、私の扱いが雑になってきてる気がするんだけど気のせいじゃないのかもしれないわね」
「俺はお前のことも大事にしてるって!」
「一番とは言ってくれないのね」
サラは失望したような冷たい目線を俺に向けると、そのまま俺を押しのけて玄関を開ける。
「とにかく、私はもう出ないと学校に遅れるから。……じゃ」
バタンと閉まる玄関。
俺は最悪の感情のまま一人取り残されてしまった。
「……最悪だ」
俺は膝をついてうなだれた。
ひとまず気持ちを整理するため、俺も玄関を開けて外に出る。
瞬間俺は玄関の前に立っていた人物と目が合った。視線の主は隣人。
「おすそ分けしに来たんですけど……。もしかして、お邪魔でした? それとも、見ちゃいけないところを見ちゃいました?」
彼女は看薙小雪。特にこれと言って特徴的な部分はないが、常にこうして俺に気を配ってくれる、良き隣人だ。
しいて言うならば、おっとりしすぎていることだろうか。
「あぁ、いや、そういう訳では……」
「そうですか。それにしても、神崎さんって子供いたんですねー。」
「あっ、え……? あぁ、さっきの。見られちゃいましたか?」
「えぇ。割と、がっつり。神崎さんは、誘拐犯さんなんですか?」
「いえ、決してそういう訳では無いです! 本当に!」
「えへへ、ですよね。……それで、おすそ分けの件、ですけど……」
「あぁ、おすそ分け……」
「いりますか?」
そう言って看薙さんは紙袋を胸の前に掲げた。
あまり大きくはない胸が少し潰れる。サイズは小さくてもその女性を感じさせる行動に思わず顔をそむけてしまった。
「い、要ります」
「あは、良かったぁ……! それじゃ、今日もおいていきますね!」
そう言って彼女の差し出す紙袋を受け取った。
それを確認すると、看薙さんはいそいそと自分の部屋へ戻っていった。
「……あ、そうだ」
もしかしたら、看薙さんに相談してみれば何か、サラとの関係についても旗乃のことについても、ヒントがもらえるかもしれない。
そう思った俺は戻ってしまった看薙さんの部屋の前に立ってインターホンを押した。
『はーい、……ってあれ? 神崎さん。どうされましたか?』
「実は、ちょっと相談したいことがあって」
『なるほどぉ~。分かりました。鍵は開いてるので、そのまま入ってきて下さい~』
「あ、はい」
大丈夫か、この人。
鍵開けっ放しとか、俺が不審者だったらどうするんだ。襲われても文句言えないぞ。
だが、ここは相談に乗ってもらう側。文句は言わずに言われた通り入ることにしよう。
玄関を開け、看薙さんの部屋に入る。
「ちょっと散らかっててごめんなさいね~」
「いえ、そんなことないですよ」
ネットでよく聞く、女性の部屋は本当は汚い、ということは全然なく、とても綺麗に整頓されていた。
「それで、相談なんですけど……」
「そうですねぇ……。まぁ、その前に、一緒にお弁当食べませんか?」
「あぁ、それもそうですね」
俺は看薙さんに促され、抱えたままだったおすそわけの品を開ける。
紙袋の中から出てきたのは重箱に入った、運動会とおせちでしか見ないサイズの弁当。重箱なんて呼ばれてたりするアレだ。
「……これ、ホントにおすそ分けですか?」
「? そうですけど」
……嘘だ。これ、絶対作ってるだろ。
「まぁまぁ、そんな細かいことは気にしないでください」
「細かいことって……」
「細かいことです。それよりも、相談についてお話ししましょう?」
看薙さんは重箱を開け、いなり寿司を皿に盛りながら話す。
「……そうですね。俺が塾で先生をしてることは知ってますか?」
「そうですね。伺っておりますよ」
「その生徒が、アイドルを目指しているんです。ただ、何をすればいいのかわからなくて」
「なるほど~。アイドルですか~……」
看薙さんは微笑みながら頷く。
「私にはアイドルっていうのは良く解らないんですよね~」
「やっぱり……」
「と、言いたいところなんですけど。もしかしたら、役に立つ情報かもしれないので教えておくのもありかな、っていうお話はありますよ~?」
「本当ですか!?」
俺は看薙さんからの話に、思わず身を乗り出してしまった。
「とは言っても、本当に使える情報なのかは分からないですけどね~」
「それでも問題ないです! よろしくお願いします!」
「それでは。……実は、今年の年末にアイドルのコンテストがあるんですよ」
「そんなものが?」
「そうです。ちょっと待ってくださいね~?」
看薙さんはスマホを取り出し、何かを検索する。
「……あ、ありました。これです」
看薙さんが開いたページにはこう書いてあった。『Grand Idol Stage 2017』と。
「Grand Idol Stage、業界ではGISとかって略されますね。このGISは、アイドル界では結構有名なコンテストなんですよね。ただ、あんまりテレビとかに露出する機会はないので一般の人は知らないかもしれないですけど」
「そんなものが……。看薙さんは、どうしてそんなものがあるって知ってるんですか?」
「実は私、結構アイドルの追っかけとかが好きなんですよね。それで追ってたら、今後来そうなアイドルを効率よく調べることができる祭典があるって知って。それで、このGrand Idol Stageを知ったんです」
「そうだったんですね」
正直、看薙さんがアイドルが好きだっていうのは結構意外だった。
「もしかしたら、このコンテストが神崎さんの役に立つかなって」
「いやもう、ほんとに助かりました! ありがとうございます!」
俺は机に顔を埋める勢いで頭を下げる。
「それはよかったです~」
「さっそく、共有したいと思います!」
ふと時計を見ると、時刻は二時を回っていた。
「あ、もう二時……。そろそろ帰りますね」
「えぇ~? もう帰っちゃうんですか~?」
「テスト前で授業も午前で終わるので」
「なるほど~。それじゃ、また今度お話しましょう~」
「ええ、それじゃあ、また」
俺は食べきれなかった分の食材をタッパーに詰めてもらい、紙袋に戻した。
そして、そのまま紙袋を持って玄関に向かう。
「それにしても、中学生さんを二人も手籠めにしちゃうなんて、神崎さんはすごいですねぇー」
「はぁっ!? いや、そういうんじゃないですから!」
「隠さなくてもいいですよ。私はそういうのもありだと思ってますので~」
「いや、ホントに違いますから!」
「まぁ、神崎さんがそう言うならそう言うことにしておきましょうか」
「ほんとに、そういうのじゃないですから……」
俺は否定しながら玄関を開ける。
「それじゃあ、お世話になりました。今日はホントにありがとうございます」
「いえいえ。私にできることがあれば、また相談してくださいね~」
看薙さんに見送られ、俺は自分の部屋に戻ると、さっそくここで話をした内容を共有するため、旗乃を近くのカフェにメッセージで放課後に来るように呼び出した。
ただ、昼食を用意しておかないとまたサラの機嫌を損なわせてしまうので、机の上に昼食に関してのメモと残った重箱の食べ物をテーブルに置いておく。
最終確認を行うと、俺は呼び出したカフェに向かった。
◇◆◇
カフェに到着してから数十分。
『着いた』というメッセージと共に制服姿の旗乃がやってくる。
「それで、話って何?」
昨日の今日での呼び出しだからか、ちょっと不機嫌そうにこちらに話しかけてくる旗乃。
旗乃のことを知ってからまだ一日しか経っていないが、この態度を見ていると初回の授業を思い出した。
「それじゃ、さっそく本題だ。旗乃のことについて、少し考えてたんだが、提案させて欲しい」
「何よ、濁してないで早く言ってよ」
俺は、旗乃の要求に応え、勿体付けずに話すことにした。
「それじゃあ単刀直入に言おう。Grand Idol Stageにエントリーしてほしい」
それに対する旗乃の答えは。
「嫌よ」
その一言だった。