1【居候のプリンセス】
「……んで、大体わかった?」
「あ、あぁ。まぁ、なんとなくは。ただ、ちょっと信じられないというか……」
まさか、転移してくるなんてことが本当にあるなんて思ってもみなかったんだが。
「ま、あんたの記憶を読み取った限り術なんてこの世界には存在してないみたいだしね」
彼女はアッティア・クナサラ。
どうやら彼女は異世界にあるエティマドンナ、という国の皇太子と婚約しているらしく、十四歳の誕生日、皇太子との結婚式を翌年に控えたその日に手違いでこちらに転移してきてしまったらしい。
ちなみに、転移した原因は不明。
そして、彼女が住んでいた国、というか世界には魔法が存在しているらしく、急に日本語が話せるようになったのもそのおかげなんだとか。
魔法を使って俺の記憶からこの世界の知識や情報を読み取ったようで。
ただ、俺の頭の中を全部見たところで記憶できないらしく、必要そうな情報だけ抜き取ったらしい。
「あんたの世界にある魔法、っていうのがこっちの術と一番近いニュアンスだけど、正確にはその魔法、っていうのとは扱いは全然違うからね。そこらへん、ちゃんと分別つけといてね」
「え、そうなのか? こう、土を盛り上がらせて壁を作ったり、雷を手から飛ばして攻撃したりとかできないのか?」
「できるにはできると思うけど、あんたの所の科学技術みたいな感じで学問として発達してきたものだから、あんたが考えてるような、何でもできるようなものとはそもそもが違うと思うわよ。……というか、そもそも私まだそこまで術を習ってないし……」
成程なぁ……」
そこまで聞いて、俺はひとつ聞いていないことがあることを思い出した。大事なことだ。
「なぁ、アッティア・クナサラちゃん」
「長いし呼びにくいでしょ? サラでいいわ」
「じゃあサラちゃん。君は、元の世界に帰れるのか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「……え? 帰れないの?」
「私の術の知識量だと、そうなる……、かも……」
「じゃあ、今後どうするんだ?」
「…………」
俺はそこまで聞いて、サラが目じりに涙を浮かべていることに気が付いた。
……そうだ。突然こんなところに飛ばされて、見知らぬ二十八の男しか頼れる人がおらず、帰り方も分からない。
そんな状況に置かれているたった十四歳の女の子が、平気なはずがないだろう。
寂しさや不安、恐怖といった様々な感情にもみくちゃにされ、これまで気丈にふるまっていたことの方が凄い。
「…………っ、……うぅっ……」
しかし、事ここに至っても嗚咽をあげはするものの、涙は決してこぼさないようにしているその様子は流石次期女王だ。
……こういった状況の時、俺はどういった言葉をかけるのが正解なのだろうか。
「……その、なんだ。今日はそのベッド使っていいからさ、もう休みなよ。心の整理をする時間も必要だろうしさ」
そう伝えると、彼女は小さくコクリと頷いた。
終始何を言えばいいのか分からなかった俺は、たった一言、そう伝えてリビングのソファーへと向かう。
寝室を出る際に覗き見た彼女の横顔は、とてもいたたまれなかった。
◇◆◇
ソファーに横になり、一体どれだけの時間が経過していたのだろうか。
気が付けば俺は眠っていたらしく、体を起こしたときには既に朝になっていた。
時計を見れば午前十時。
「……もう朝なのか」
塾講師の仕事が始まる時間なんて、生徒の学校が終わってからなので高が知れている。
だが、大学に通っていた頃からの習慣で、なんとなくこうして朝の早い時間に目が覚めてしまう。午前十時が早い時間なのかは個人の見解によって変わるが、俺にとっては早い。
朝食の準備をしようと身体を起こし、キッチンに向かう。
その途中の廊下で、人とぶつかった。
「あ、ごめん」
……ん、人?
俺に同居人は居なかったはず……。
「お前誰だ!」
「え? ……は?」
「……あ」
ぶつかったのは、昨日俺のクローゼットにやってきたプリンセス。
服装は俺のTシャツ一枚。
「……あ、そう言えばサラがうちに来たんだっけ」
「あんたの頭、鶏?」
「うるせ。というか、その服」
「あぁ、引き出しに入ってたから勝手に使ってるわよ」
「せめて、下もなんか穿けよ……」
「しょうがないじゃない。あんたのパンツ、全部でかすぎて私の足じゃ丈が長すぎるのよ」
「……だからって」
俺は呆れたように一言言うと、腰をおろして視線をサラの目と同じ高さに合わせた。そして、じっとサラの瞳を見つめる。
「……サラ、気持ちに整理は、ついたか?」
「そんなすぐには無理よ。……でも、ちょっとは落ち着いた……、かも」
「そうか」
俺はその返事を聞いて、キッチンへと向かう。
「落ち込んだ時にはな、美味い飯を食って悩み事を一旦頭の隅に置いておくのが一番だ」
そう言いながら、コンロに火をつける。
「一人暮らしのおじさんが作った料理、いうほど美味しいのかしら」
「うっ、いちいち鼻につくいい方するよな、サラって」
「いいじゃない別に。……というか、いつの間にか呼び方がサラちゃんからサラになってるし」
「サラちゃんの方がいいか? 俺としては、別にどっちでもいいけどな」
フライパンを揺らして油を伸ばし、目玉焼きを作る準備をする。
「……いい、サラで」
「そうか。……それで、飯食ったらサラはどうすんだ? おっさんと一緒に暮らすのが嫌なら警察のとこでも行くか?」
「……昨日、私、ずっと考えてたの。どうすれば元の世界に帰れるのかって。……でも、思いつかなかった。……だから、元の世界に帰る方法が見つかるまでこの世界にいるしかないなって」
「……それで?」
「昨日、おじさんの頭の中を見たとき、塾の生徒の子たちと楽しそうに話してるのが見えた。他にもいろいろ見たけど、悪い事をたくらむような人にも思えなかった」
「……」
「だから、暫くここに居させて頂戴」
「……おし、分かった」
出来上がった目玉焼きをパンの上に乗せ、テーブルへと運ぶ。
「そっちの世界には卵なんて幾らでもあるだろうさ。俺が作ったのも塩胡椒をちょっと振っただけのよくある目玉焼き。……だけど、すきっ腹には美味しいと思えるはずだ」
サラは恐る恐る両手でパンを持ち上げ、ぱくっと頬張る。
「……おいしい」
「だろぅ!」
サラは二口目以降はぱくぱくと食べ進めていく。
しばらくして、最後に残った一口をぺろりと食べると、サラは満面の笑みを浮かべた。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」
「……言うだけの事はあるじゃない?」
「だろ?」
「……でも、グラビアアイドルの写真集を買うのは止めた方がいいわよ。キモいから」
「はっ!? ちょ、それを何処で!?」
「言ったでしょ、記憶を覗いたって」
「おいっ、それはすぐに忘れろっ!」
出会ってまだ数時間、もうすでにこの少女を憎たらしいと思い始めてきているが、そんな中にも愛らしさが見えてしまい、何処かしょうがないか、と心の中で許してしまってきている。
彼女との同居生活はまだまだ始まったばかり。