14【プリンセス、ラッキースケベられる】
「……あなたが担当ですか」
目の前に座る少女はそう言った。
切れ長で鋭い目。何物も寄せ付けないような殺気立ったオーラ。例えるなら刃物と形容できるその少女は、つまらなそうに俺を一瞥した。
「あ、あぁ。今日から数学を担当する神崎マヒロです。よろしく」
「…………板谷旗乃」
短く板谷さんは、そうつぶやいた。
……成程。三ノ輪さんが難しい生徒だと言っていたが、それはこういうことだったのか。
「それじゃあまずは趣味と将来の夢を教えてもらえるかな?」
俺は努めて冷静に質問する。
「……それ、数学の授業に必要なワケ?」
しかし、板谷さんは俺の話に対して全く態度を変えることなくそう言った。
「必要と言えば、必要だね。生徒の人となりを知れなきゃ個人個人に合わせた指導ができない。宿題を出すなら大量にした方が定着するのか、少ない方が定着するのか。何回も同じ単元を演習した方が定着するのか、応用を演習した方が定着するのか。そんな風に人に合わせた教え方を判断するためにも、君の趣味とか夢とか、性格が知れることはたくさん知っておきたいんだ」
俺の返事を聞いた板谷さんは煩わしそうに溜息をつく。
「……趣味はダンス。将来の夢はテレビに出ること」
「へぇ、芸能関係に興味あるんだ」
意外だな。
身につけている服は紺のパーカーにホットパンツ、その下にはタイツに包まれた足が伸びている。
身長も俺より少し低いくらいで百六十ちょっと、といったくらいだろうか。そのプロポーションからも分かるように、非常にスタイルがいい。読者モデルなんかで雑誌に出ていてもおかしくないくらいだ。
「何か今、テレビに出るためにやってることとかあるの?」
「……先生には言いたくない」
俺はなるべくフレンドリーに感じてもらえるように質問したつもりだったのだが、しかし板谷さんの回答は拒絶。
これ以上質問するのもプライバシー的によくないだろう、と見切りをつけ、俺はこれ以上の詮索を諦めて今後のことについて質問することにした。
「それじゃあ次の質問。君の志望校について教えてもらってもいいかな?」
こういうのは本人が自分の情報を教えている、と感じてもらうためにも、あえて「○○先生から聞いたんだけど」と聞かない、という手法がある。
俺の質問に板谷さんは少し複雑そうな表情をして俯いた。
「…………庵田高校」
「えっ?」
俺はその返事に、思わず驚いてしまった。
志望校は、確か常ヶ丘高校だったはずではなかったのか?
「……何?」
板谷さんは怪しげな表情を俺に向けてくる。
「い、いや、ごめん。室長から聞いてた話とちょっと違ったからね」
ここは、正直に思ったことを伝える。
庵田高校と言えば、校則が緩いことと制服が人気なことで地元では有名だ。
そのため、偏差値は五十四だがレベルの高い生徒も多数在籍していると聞いている。
「室長から聞いた話だと、君の志望校は常ヶ丘、って話だったと思うけど?」
常ヶ丘と庵田。偏差値で言ったら二十近くも違う高校だ。
偏差値の高い高校で常ヶ丘と迷っている、という理由で出してくるような高校の名前ではない。
「……それは親が私を入学させたいだけ。私は庵田でいいって言ってるのに」
「……な、成程」
生徒と保護者で志望校の内容が食い違うことは往々にしてある。
大抵の家庭であれば保護者が一歩引き、「本人が望むなら」と本人の志望校を尊重してくれるのだが、中にはそうもいかない家庭もある。
「ちなみに、学力的に今模試の偏差値はどれくらいなんだ?」
「……三計六十八、五計六十四」
「なんだ、高いじゃないか」
現状でこれくらいの偏差値が出ているなら、常ヶ丘の合格には手が届く可能性は高いだろう。
「……私は常ヶ丘高校には絶対に入学したくない。自分の時間が確保できなくなったら、本末転倒だから」
「自分の時間? 遊ぶ時間とか、テレビに出るための準備に使う時間のこと? だったら、常ヶ丘に入学したとしても時間は……」
「嫌なのっ!」
時間は取れるよ、そう言おうとしたところで板谷さんは叫ぶ。ちらりと見えた横顔は悲痛な表情をしていた。
周囲の授業中だった先生たちが驚き、一瞬静かになる。が、すぐに授業を再開した。
「……ご、ごめんよ。君にとって高校の選択がデリケートな問題なのはわかった。志望校の話は、また今度にしよう」
うつむいたまま、板谷さんは頷く。
そのまま数学の授業に入ったが、お互い重い雰囲気のままの授業となってしまった。
◇◆◇
「……はぁ、やっちまった」
初回授業というのは、お互いの距離感を掴むためにも、お互いの関係を構築するためにも重要だ。
それがこんなスタートなんて、正直言って最悪だ。
帰り道を歩いている最中も、ずっと陰鬱な気持ちのままだった。
「……ただいま」
部屋の明かりは消えている。
おそらくサラはもうすでに眠ってしまったのだろう。
俺は今すぐにでも、この気持ちをどうにかしたかった。
「……シャワー浴びるか」
今回の授業で得られたものは限りなく少ない。
本人と家庭で何故志望している高校が違うのかも、将来の夢についての詳しい話も、家で何をしているのかも、何もかも分からないままだった。
本人が庵田高校を志望しているのにもさまざまな理由があるのだろう。
どうすれば詳しい話を自分から話してもらえるか。その案を考えるためにはゆっくり風呂にでも浸かったほうが効率はいいだろう。
「……ひゃっ!?」
俺は風呂に入ろうとバスルームの扉を開けた。
すると俺の視界に、風呂上りで一糸纏わぬサラが映りこんだ。
「ちょっ、サラ!?」
「……ッ! ふざけんな! 出てけ、ヘンタイっ! この間の一件でっ! 見直したと思ったのにっ! さっそくっ、こんなことっ! ふざけんなっ!」
「やっ、ちょっ、サラっ!?」
サラは手元にあったものを次々と投げつけてくる。
石鹸のボトル、歯ブラシ、ドライヤーなどなど。
「ちょっ、分かったっ! 出る、出るから投げんなっ!」
急いでバスルームを後にする。
よくよく考えればわかったことだ。普段は俺の手を借りないと晩御飯も用意できないサラが、晩御飯も食べずに寝るわけがないのだ。
「はぁ……。だからって、物は投げつけないで欲しかったぞ……?」
そのまま床に座り込み、頭を抱える。
板谷さんに嫌われ、追加でサラにも嫌われたらお話にならんぞ……。
「……ん?」
がっくりとうつむいたときに、頭の上から何かが落ちる。
さっき投げつけられた時に俺の頭に乗ったのだろうか。
「ハンカチか?」
そう思って手で広げる。
両手で開いた布は、三角形をしていた。
「これ、パンツじゃねぇか!」
すぐにどうにかしないと、と思い立ち上がろうとして。
「……それ、私のパンツでしょ」
「あ、いや、違うって、いや、違くないけど……! というかそもそもこれは……」
「うるさい言い訳するなさっさと死ねっ! 中学二年に興奮するとかっ! ガチでヘンタイっ!」
俺には何も抵抗できないまま、再びサラにボコボコにされた。