13【プリンセス、面談する】
「それでェ? 突然連れてきてどうしたんだい?」
「……室長、助けて下さい!」
俺は二週間後にテストが迫っているという事実に、何とか対策をしなければならないと思った。
短期間で詰め込むことができるのかは分からないが、とりあえず知識を詰め込むためには学習施設に入る必要があるだろう。
という訳で、ここだ。
住宅街から少し離れた、スーパーや雑貨店などが建っている商店街。そこに存在する小さめの三階建てのビルにこの「ヘクセ・スクール」は構えられている。
なんでも初代塾長兼現代表がドイツ人らしく、名前が「四条・H・エデルガルト」と言うらしい。
設立の理由は日本でも北欧諸国の子供たちがしっかりと授業についてこれるように、と言う物らしく。そのため、付近に数塾しかないこの塾はチェーンと言うよりかはのれん分け形式で運営されている。
そういった設立理由があるため、その伝統を濃く受け継いでいる現在もヨーロッパ出身の講師はどの塾にも必ず一人は在籍している。
ただ、日本人を受け入れていないわけではなく、むしろ日本で運営している為日本人の生徒は普通の塾と同じくらいはしっかりと在籍している。
そういった理由もあり、俺はこの塾でサラに授業を受けてもらうこともかなり合っているのではないかと思った。
「うーん、助けると言ってもねェ……。私はいったい何をすればいいのだい? ラーメンを打てばいいのかい?」
「いや、ラーメンは要らないです。……そうですね。サラをうちの塾で授業してもらえれば、それで」
「そうか、そんなことでいいのか」
三ノ輪さんはそう言ってうんうんと頷く。
「だとしたら、まずはサラちゃんと面談しないと始まらないな」
「わかりました」
俺は三ノ輪さんの返事に、横に座っているサラの方を向く。
「……ってことで、これから面談するんだけどいいか?」
「嫌って言ってもテストの成績が上がらないしね。それに、もともとそのつもりだから」
「気持ちは固まってるわけだ。それじゃあさっそく、私から一つ質問させてもらおう。サラちゃん、君の夢はなんだい?」
「……その質問、前にもカンザキからされたわ。学力を上げるのに関係あるの?」
「あぁ、大いにある。将来の夢として自分の未来が描けているということは、すなわちそこに至るまでのヴィジョンが見えている、と言うことだ。それはつまり、必要なことを見極められる力があると言うことだ。その能力は自分の弱点を知るという点において、大きな武器となる」
「ふーん。じゃあ言うわ。私の夢は元の世界に戻ること。勿論それは通過点で、戻った後は偉大な術師になりたいと考えているわ」
「偉大な術師、ねェ。ちなみに、何故その夢を抱くに至ったかは覚えているかい?」
「それは、私が術の本を読んで術を使って、それでうまくいったから。自分の中で術が一番得意だと思ったから、それを活かせることがしたいと思ったから」
「成程ねェ。ということはつまり、自分にできる力があるから、と言う安直な理由で決めたわけか」
「それはっ……」
サラはその問いを受けて、固まった。
反論しようと口を開くが、何も言い返せず口を閉じる。サラはそれを繰り返している。
「いやいや、これは否定じゃない。得意を仕事に、大いに結構。絵が描けるからイラストレーターになる。サッカーができるからプロサッカー選手になる。歌が好きだから歌手になる。そんな人たちは世の中にはごまんといるさ。これはいいことだ」
「だったら……」
「だが、仕事として好きなことを数十時間毎日続ける生活に、君自身耐えられるのかな?」
三ノ輪さんはサラに問いかける。
「好きなことを仕事にするというのは、好きなことが嫌いになるかもしれないという側面も併せ持っている。例えば、望まない方向の仕事を受けなければなかったり、苦汁を舐めることもあるかもしれないね。将棋棋士が竜王戦でトップになりたいのに、地方での観戦記者でしか稼げなかったり。有名漫画家になりたいのに、チラシの片隅に載るような絵の仕事しかもらえなかったり。こんな環境がずっと続いて、果たして正気を保っていられるかな?」
サラは黙ったまま三ノ輪さんの話を聞いている。
「この生活を続けている人を馬鹿にするつもりはない。有名な芸人だって、下積み時代は大抵長いものだからね。大事なのは、好きなことで嫌な思いをしたときに、それを受け止めきれる覚悟があるのかってことだよ」
しばらくうつむいていたサラだが、顔を上げたときにはその顔つきは鋭く変わった。
「私は、自分にできることがあるならそれを活かしたいと思ってる。だって、使える才能があるのにそれを使わないのは怠慢だと思ってるから。だから私は、誰に何と言われようと術師になる」
「うん、覚悟は決まっているようだね」
三ノ輪さんは嬉しそうに笑う。
「学力やそれに合わせた授業の量は私と神崎君で決めればいいだろう。私からサラちゃんに聞いておくことはあと一つだけだ」
「何?」
「君は何が目的で学ぶ?」
「それは、私が元の世界に戻るために必要だからよ」
「成程ね。自分に何が必要か、分かっているのか」
三ノ輪さんはそれだけ言うと黙った。
サラも質問される側だからか、口を開くことはない。
「……それで、授業をできるかどうかの結果は?」
三ノ輪さんに、俺は問いかける。
「そうだね……、日本語は問題なさそうだ」
俺の質問に三ノ輪さんは少し考え、そしてニヤッと笑った。
「うん。無理だね」
「そんな! 今のは確実にOKの流れだったじゃないですか!」
真剣な話をしている最中にいつものふざけた調子で言われた俺は、少し声を荒げてしまう。
しかし三ノ輪さんは再び真面目な表情に戻ると口を開いた。
「いや、別に私は君に嫌がらせをしたくて言っているわけじゃない。問題点があるから無理だと言ったんだ」
「……なんですか、問題点って」
「まず一つ。サラちゃんは自ら学ぶ意思がない。……いや、それは語弊があるか。サラちゃんは、やるべきだ、という使命感で勉強をしようとしている」
「……それじゃあダメなんですか」
「ああ。学問に興味が無ければやるべきことが達成されたとき、自学習は止まるだろう。それに、興味がない中で学問を学ぶという姿勢はあまり褒められたことじゃない。……勿論やらないよりはいいだろう。だが、やっていることに意味を見出せない学習というのは、その後の人生で何も生まないのだよ」
「それは……」
俺は反論したかった。なぜなら、ほとんどの小中学生、そして多くの高校生たちが、何故その学問を学んでいるのか理解できずに日々学習を行っているからだ。
この日本の教育制度という枠組みで、学問の本質を理解しながら学習を行っている人間はあまりにも少ない。中には、大人になっても連立方程式やイオン化傾向について学んだことに意味を見出せない人間もいる。
教育者たる俺達ですら、ほとんどの人間にはどこで使えばいいのか分かっていない知識があるものだからな。
だから、俺は学問とは視野を広くするために学ぶものだと思っている。
これまでの人類が積み重ねてきた歴史を知ることで、これからの在り方を考える力が身につくと思う。
だからこそ、興味が無くてもやる気があるなら勉強はするべきだろう。
……だが、三ノ輪さんの言うことも確かに一理あるのだ。
自分が好きでもっとその科目を知りたいと思わなければ記憶からその知識は抜け落ちていく。
テレビ番組なんかで、小学生の教科書の内容について小学生と戦う、という番組が視聴率をとれるのも、小学生の頃の興味が無かった内容が頭から抜け落ちていることが前提で構成されているからだ。
忘れるものを多くの時間を使って覚えるのははっきり言って労力の無駄だろう。好きで学んだものこそその後の人生で価値を生み出す。その点では三ノ輪さんの言っていることにも賛同できた。
「そしてもう一つ。これは俗な理由になるが、サラちゃんが塾に通う授業料を誰が払う?」
「…………」
「一応我々も職業として講師をしている。ボランティアではない。受ける授業料はどうするんだ?」
「だったら、俺の給料から天引きして……」
「講師に給料を払わないのは問題だろう」
三ノ輪さんはそこで一呼吸おく。
「だが、私も鬼じゃない。君がどれだけこの塾に貢献したか、という点では、君は計り知れない利益をもたらしているからね。そこで、私からの提案だ。サラちゃんは授業料を取らずに授業をしようじゃないか」
「本当ですか!?」
「その代わり」
喜ぶ俺の返事を遮るように、三ノ輪さんは言う。
「君には二つ課題を与えよう」
俺の、ゴクリという息を呑む音が響く。
「一つ。サラちゃんが自分から学問を学ぶよう、どの科目でもいい。学問自体に興味を持たせたまえ。そしてもう一つ。君に新たに担当の生徒を持たせよう。その生徒を、県立常ヶ丘高校に入学させるんだ」
三ノ輪さんはそう言い切った。
それがサラを塾で教える条件だと、そう言った。
「それはっ……!」
県立常ヶ丘高校。
そこは県内でもトップレベルの中学生たちが集まる高校で、偏差値は驚異の七十三。
全国有数の進学校で、正直そんな学校に生徒を入学させるとなると骨が折れるどころの話じゃない。
各科目九十点の得点をしないと安心して合格しそうだ、と言えないくらい合格までの壁は高い。
俺が通っていた高校の偏差値は高い時期でも六十に届かないくらいだったので、手に余る。
「その生徒はかなり難しい子でね。入塾の際に私とした面談でも、内心の多くは語ってくれなかった。本人の成績を見た限りでは合格は難しくなさそうなんだが……。まぁ、現状については実際に担当して本人と話をした方が早いだろう」
「……その生徒を常ヶ丘に合格させれば、授業料は免除していただけるんですか?」
「合格させることができれば、ね。もしできなかったときは、初回授業日から合格発表までの数か月分を請求させてもらう。サラちゃんの授業料を免除するには、それが条件だね」
過去、同期の先生が持っていた生徒が常ヶ丘を志望していた。
生徒も同期も優秀で、俺はてっきり合格するものだと思っていたが、現実に届いた合否通知は不合格。その後その生徒は偏差値六十八の私立高校に入学したらしいが、それだけのポテンシャルを持っていても不合格を通知されたのだ。
正直、俺にその大役が務まるのかどうか、不安は絶えない。
だが、先ほどサラは三ノ輪さんの前で「術師になる」と覚悟を見せたのだ。
……ならば。
「わかりました。僕の力で、その生徒を絶対に常ヶ丘に入学させてみせます」
その、サラの覚悟に俺が答えないわけにはいかないだろう……!
「うん、よく言った。そしたら、彼女は来週から君の担当でシフトを組ませてもらうよ」
三ノ輪さんは俺の返事に満足そうに頷くと、手元の紙にさらさらと今の話をメモした。
◇◆◇
「あんた、あんな啖呵切ってほんとに大丈夫なの?」
「俺も、正直不安しかないよ……」
授業料免除を目の前にぶら下げられた手前三ノ輪さんの前でああは言ったが、正直なところ自信は無い。
だが、俺が担当になった以上俺はやるしかないのだ。
その生徒にとって、担当だけが唯一その科目で頼れる先生なのだから。
「ねぇ……」
考える俺に、サラは小さく声をかける。
「私、あんたの重荷になってない……?」
そう言って、ワイシャツの裾をつまんで話しかけるサラ。
心配そうにこちらを見上げるサラの表情は、今まで見たことがない表情だった。
「重荷になってるかどうか、と言われたら、なってるな」
「……」
そう言われて、サラはさらに表情を曇らせる。
つまんだ裾がぎゅっと握られ、シャツには皺が寄ってしまっている。
「だけど、前にも言ったろ。俺はお前の保護者だ。子供なら、親の負担が、とか私のせいで、とかそんなことを考えるんじゃないよ。それは親として、当然やるべきことなんだから」
その答えを聞いたサラは、しかしまだ不安そうに言う。
「でも、私とあんたに血のつながりなんて……」
確かにそうだ。
家に転がり込んできたからといって、保護する必要は確かにない。だが、あの状況で放っておくほうがおかしいだろう。
「血のつながりが無くても、俺はお前にとって唯一頼れる大人なんだ。それ以上理由なんて必要ない」
俺はそう返した。
「……でも」
しかし、サラはまだ何かを言おうとする。
俺はそれを制すように、その頭に手を置いて少々乱暴に頭を撫でた。
「お前は俺の中ではもう家族なんだ。だからもうくよくよすんなって。ほら、帰ってカレー食うぞ」
この話はこれで終わりだというように、乱暴に会話を切る。
俺の返事を聞いたサラは少しだけ、表情が和らいでいた。かと思うと、突然サラは俺に抱きつく。
「うぉっ!?」
「……好き。……これからも、よろしくね」
俺の腰に手を回したままのサラが、小さくつぶやく。
「ちょ、どうしたんだよ、急に!」
俺は呼びかけるが、サラは顔を脇腹にうずめるばかりで返事はない。
引き剥がすわけにもいかずしばらくその体勢で居ると、数分して満足したのか腰から手を放した。
「急にどうしたんだよ」
「……何でもないわ」
その表情はいつの間にか今まで通りに戻っている。
そのままサラはタタタっと走っていくと、こちらを振り返ってニコッと笑う。
「さっきの、嘘だからね!」
そして、アカンベーのポーズ。
その笑顔がたまらなくいとおしくて、俺はこの少女を、ずっと守っていきたいと思った。
シャツには、二か所に涙の跡があった。