12【プリンセス、定期テストの危機】
「空間魔術……」
サラがこちらの世界にやってきてから明確に与えられた「目的」。
俺が提示した仮の医者という目的が一月もしないうちに変わってしまったのはしょうがないが、それにしても魔術がどうとか空間がどうとか……。
俺が全く知らない世界ということもあり情報がうまく頭に入ってこない。
「フェノアを繋ぐことは簡単なことではありません。魔術的にルーン文字を理解し、あなたの世界との距離を正しく測定し、重力場を生成し、特異点を生み出して、最後に空間と空間を繋ぐ必要がある。つまりこれはブラックホールを生み出すようなものです。素人がやって一朝一夕で身につくものではありません」
俺はそのセリフを聞いて、一つだけ違和感を覚えた。
「ちょっと待ってくれ。崎葉先生はこの世界の土着の存在じゃないのにルーン文字を理解できるのか?」
俺の質問に、崎葉先生は少し考える素振りを見せた。
「うーん、ルーン文字を理解できる、というと少し語弊がありますね。私が理解しているのはルーン文字の源語であって、ルーン文字を使って書かれたゲルマン語ではありません」
「……は?」
良く分からない。
ルーン文字の存在くらいは俺もライトノベルとか漫画を読むから知っている。
だが、ルーン文字はゲルマン語とイコールではないのか?
「ルーン文字というのは別の世界からこの世界へと流れて来たものです。起源は私の世界ではないですが、最初の使用者たちはこの世界でも魔法を使うため、ゲルマン語とは別に魔術的に使用していたルーン文字も存在するのです」
「……そ、そうなのか」
もう俺には何が何だか、オカルトすぎてさっぱりわからない。
結果、同意して頭を縦に振るくらいしかできない。
「現に現地では未だ解読されていないルーン文字の書物などが発見されています。……正しい読み方を知る者のほとんどは宗教破壊によって駆逐され、我々のような長い時を生きる者か別世界からの渡来人か、僻地に住む魔女くらいしか残っていませんが」
そう言う崎葉先生の表情は、最後の部分を話すときに少しだけ暗くなった。
「さて。私の伝えるべきことは伝えました。サラさん、あなたが空間魔術を習得しようとしまいと私には関係ないですが、もし習得したいのであれば、学びなさい。この世界での地学を。この世界での化学を。この世界での数学を」
崎葉先生は続ける。
「この世界の学問の発展の裏には、常に魔術がありました。時には占星術が、時には呪術が、時には錬金術が。科学を知るということはつまり、魔術を知ることにつながります。占星術によってケプラーの法則は生み出され、呪術によって偽薬効果は生み出され、錬金術によって硝酸が生まれ、ダイナマイトが錬成された。サラさん、もう一度言います。魔術を修めるならば、科学を修めなさい」
崎葉先生はそう言い残すと、黙ったままの俺とサラを残してベランダに出て、そして飛び降りた。
「ちょちょ、何早まってるの!?」
慌ててベランダに出るが、地上にも周囲にもすでに人の姿はない。
上を見上げると、人の姿をした飛行物が羽を生やす瞬間だった。
「……ガチで悪魔なのかよ……」
俺は割と心の本心で人間であって欲しいと思っていたのだが、それは叶わぬ夢だったらしい。
……俺、明日からどんな顔して崎葉先生と会えばいいの……?
崎葉先生の姿を仕方なく見送った俺は、リビングに戻って席に着く。
サラは相変わらず俯いたまま喋ろうとはしなかった。
「……なぁ、サラは崎葉先生の話、理解できたのか?」
俺は話のほとんどが門外漢であり蚊帳の外状態だったのだが、それはサラも同じなのだろうか。そして、崎葉先生の言葉は本当に信用に値するのだろうか。それが分からなかった。
「一応ね」
力なくつぶやくサラ。その姿は途方もないこの後のことを憂いているようにも、これから何をするべきなのか考えているようにも見えた。
「崎葉先生の話自体は信じるに値するものはあると思う」
「……それは、どうして」
「あんたの脳みそにあった、錬金術が化学を発達させたっていう歴史とも辻褄が合ってるし、ルーン文字自体は私も書庫で見たことがあったから」
「ってことは、崎葉先生が言ってたルーン文字の源流っていうのはサラの世界なのか?」
「それは分からない。でも、やってみる価値はあると思う」
「……分かった」
俺はそこで、本当にそれは意味があることなのか、とは聞かなかった。
もしその知識が将来役に立たなかったとしても、経験は役に立つ。一つの物事に向かって取り組んだという事実が人を強くする。
それに、意味があるかないかを口に出すのはタブーだろ。だって、それは子供の成長を止めるから。
「プロのサッカー選手になる」と言ってサッカーに直向きに打ち込んでいた生徒が、ある日突然サッカーをやめたことがあった。本人に何故かと問いたら、親から「もう受験だから、なれるか分からないものに打ち込むんじゃなくて現実を見なさい」と言われたそうだ。
一年前はスペイン遠征に行ったと喜んでいて、将来有望だと思っていた子が、だ。
確かに本人の技量は高いと言えるほど高くはなかった。全国でもトップ100くらいの腕前で、プロになれるかなれないかかなりシビアだった。
だが、可能性はあっただろう。本人の才能を伸ばしてくれるコーチがいて、伸び伸びと練習できる環境があって、得意なポジションを活かせるチームだったなら。日本代表の可能性も、あったのではないか、と。
今となっては後の祭りだ。高校ではサッカー部に入ったらしいが、受験勉強に半年打ち込みサッカーの練習がほとんどできなかったこともあり、レギュラーになれはしても総体で成績は残せていないらしい。
俺はそんな子供を一人でも減らしたいと思う。
少しでも才能があるなら、その才能が活かせそうな環境を作りたい。
そこで努力した経験は、たとえ結果が実らなくても生涯の宝になると信じているから。
だから、俺はサラの選んだ道を何も言わず応援する。
「差し当たって、話があるわ」
「な、なんだ」
サラからの、俺の元に来て初めてであろう大事そうな告白。
俺はそれを一言一句聞き逃さないよう耳を傾けた。
「二週間後にテストって、なんで教えてくれないのよ!!!!」
静かな部屋に響くサラの声。
空気が凍った。
「ちょ、ちょっとまて。俺もその情報は知らないぞ……」
「嘘ね。塾講師のあんたが知らない訳ないじゃない」
「……あ」
そういえばそうだった……。
最近入院だなんだって授業してなかったし、ここ最近は市役所に行って手続きとか諸々で忙しかったから完全に忘れてたけど、二週間後は定期テストだった……!
「で、でも俺から読み取った知識があるんだし、定期テストくらいなんとかなるんじゃないのか?」
「無理よ! 日本史に世界史は知らない国の知らない歴史だし、数学の計算技術だって私の世界とはやってることのレベルが違いすぎ、日本語に英語だって知らない言語なのよ! こんなの、どうやって点数取れっていうのよ!」
「それもそうか……」
確かに、サラはこちらの世界に来てからまだひと月ほどしか経っていない。
そんな状態でいきなり定期テストとは無理があるかもな。
……というか、残り二週間?
「残り二週間で中二レベルまで学力を上げないといけないのかよ!」
「そうよ、あんたが私に学校に行くことを提案したんだから、責任持ってなんとかしなさいよね!」
そんなこと言われたって、二週間で対策できる量なんて限られてるし……。
これ、詰んでね?