偉大な魔術師(無自覚)vs宇宙からの使者(三十と一夜の短篇第59回)
カーテンを閉めきり天井の照明を消した暗く狭い部屋のなか。少年がひとり、広げた紙のうえに光を並べていく。
両親はそろって出かけていた。親戚の法事がなにやらと言って、帰ってくるのは明日の昼過ぎになる。中学校二年生の少年はひとりで留守番できるだろう、と置いていかれた。
昨夜、そのことを伝えられたとき少年は心の中で「時が来た!」と叫んだものだ。
少年はこのときを待っていた。
「くっ、くくくく! まるで世界が僕のために動いているようじゃないか」
少年が光ーーー卓上用ライトを並べ終わると、紙に描かれた文様が暗い部屋のなかで浮かび上がるように照らし出される。
そこに描かれているのは、彼が親の目を盗んですこしずつ仕上げた最高傑作の魔法陣だ。
「ふふ。今日という日を迎えるために、そうとう苦労したものだ。ここの五芒星がなかなかうまくいかなくて、何度もコンパスを引き直したものだよ……」
少年は過ぎし日を振り返り、ひとり笑ってみせる。気分は世紀の大研究を成功させた天才魔術師だ。
「さて、魔法陣にろうそく……は火事になると危ないからスタンドライトも配置した。あとは」
胸元から取り出した一冊の黒いノートをめぐり、少年はにたりと笑う。
ノートに記してあるのは少年が学校の図書室や市の図書館、果ては県の図書館まで出向いて読みに読んだ魔術関連の書籍からかき集めた魔術の情報だ。
暑い夏も寒い冬も自転車をこぎ、せっせと調べ物をした汗と涙の結晶である。
お小遣いはもらっているものの、魔術書を買うわけにはいかない。小遣いの大半が魔道具作りの材料を買うのに消えているのである。自分で使う道具を自分で作るのは、天才魔術師には必要なスキルなのだ。
「これだ。この呪文を唱えれば、ついに僕にも召喚獣が手に入る……!」
ふふふ、と陰気に笑った少年は、ノートのあるページで手を止めた。
ちなみに黒いノートは文房具店で購入したなんの変哲も無いものに、少年が修正液で魔法陣や魔術っぽい文字でそれらしく装飾したものだ。ネットでそれっぼい文字を見つけては書いたものだから、ヘブライ語やラテン語が入り混じっていることに少年はまだ気づいていない。
気づかないまま、彼はさまざまな言語が入り混じった呪文にひらがなで発音を記したものをせっせと読み上げていく。
「べんどらー、べんとらー、えーる、えろ、えろ……ひむ。えろ、えろ……えろーほー、えろひむ……ぷるうぃす、えっと……うんぶらすむす……あですて、ふぃでれす!」
えろ、で言い澱み、ところどころつっかえつつ少年は自作の呪文を唱えあげる。大変たどたどしい音読だが、少年の脳内では向かい風を浴びながらきりりとした顔でスラスラ呪文を唱える自分の姿が思い描かれている。顔はもちろん超イケメンだ。
「よし……言えたぞ!」
少年のなかではイケメンがきりっと呪文を唱え終えたところで、彼は顔をあげた。
予定ではこのあと、魔法陣が光を放ち中心から召喚獣が現れるはずなのだが……。
「……なにも、起こらない?」
魔法陣は白い紙の上で黙として動かず、それを照らす明かりも揺れることない。まあ、スタンドライトが揺れるとしたら地震でも起きた場合だろう。
さらに雰囲気を壊すように、閉めたカーテンをはさんで留めていた洗濯バサミがぱちんとはじけて落ちる。カーテンを束ねるタッセルは、ずいぶん前に少年自身が取り外してしまったのだ。拳に巻き付けて力を封印するのにちょうど良かったために。
「まさか、失敗か」
第三者がいたならば「むしろなぜ成功すると思っていたのだ」と言われそうなつぶやきを少年が愕然とこぼしたとき。
カーテンがひらりと揺れて、外の光が部屋にさした。光は少年の描いた魔法陣を照らし出している。
「……なんで、風が?」
カーテンの向こうの窓は閉めてある。なのに、カーテンが揺れた。
なぜ。
少年が窓に目を向けたとき、魔法陣を照らす光が膨れあがり、かっとはじける。
「うわっ⁉︎」
魔法陣から風が吹き付け、少年は窓にへばりついた。
その背に追ってぶつかったのは風ではなく、鈴を転がすような声だった。
「うちを呼んだのはダーリンだっちゃ?」
驚き、振り向いた少年は魔法陣のうえに浮く美少女に目を剥いた。
たっぷりとした緑の長い髪、起伏のはっきりした身体を隠すには心もとない布は黄色と黒のトラ柄で、つり目がちな目が色っぽく少年を映している。
「き、きみは……?」
少年は見知らぬ美少女を呆然と見つめる。
『おや? この格好では通じない?』
困ったのは美少女だ。
地球上において大多数に『宇宙人』として認識されている形態をとって出現したはずが、目の前の少年には通じていないらしい。
宇宙からの使者としてファーストコンタクトを大切にしたい美少女は、ふむ、と考えて形を変える。
ぐにゃり。長い緑の髪がさらに伸びて彼女の全身を覆ったかと思えば、美少女の姿が見る間に変わる。
「おっす! おら宇宙人だ! おめぇ、地球人だな?」
黒髪の筋肉質な男に変じた美少女は、快活な笑顔とともに元気に少年に声をかけた。
オレンジ色の胴着に硬質な黒髪が映える男だ。
「す、姿が変わった……! も、もしやきみは、変体可能なタイプの万能型魔獣なのか⁉︎」
しかし筋肉質な男の姿を取っても、少年の反応は芳しくない。そして形態とともに模倣した発言で宇宙人である旨をストレートに告げたというのに、目を見開いた少年の耳には届いていないようだ。
『ふむ、これは……ファーストコンタクト失敗か』
「はああ! 今しゃべったのは魔獣のことばなのか? うわああ、うわあ! 独自言語を持つ魔獣なんて、すごいものを召喚してしまった……! 自分の才能が怖い!」
興奮して飛び回る少年の姿に、宇宙からの使者は「あながち失敗でもないのか?」と首をかしげた。
そして、黄色い帽子を被った緑のカエルめいた姿へと形を変える。
二足歩行のカエルは、真っ黒い瞳孔に少年を映してビシリと敬礼をしてみせた。
「我が輩は召喚獣ではなく、宇宙人であります! 地球を侵略すべく、まずはファーストコンタクトを」
「召喚は大成功だ!」
宇宙人の宣言をさえぎって、少年がキラキラと輝く笑顔で叫び声をあげる。
二足歩行のカエルの手を取り、少年はくるくると回り出した。
「すごい、すごいぞ! 独学で召喚してしまった! しかも変身するし、喋るし! 才能が怖い!」
はしゃぎ、飛び回る少年に振り回されながら宇宙人は焦っていた。
『なぜだ、なぜこの者は怯えない⁉︎ これだけの数の宇宙人の姿を突きつけたというのに、恐れおののくどころか喜びを露わにしている、だと……!』
地球上の全人類を恐怖の元に支配してやろうと、宇宙人を呼ぶ言葉、なるものを唱えている者の元に姿を現したというのに、得られた反応は予想外も良いところだ。
宇宙人であることを知らしめ、即座に脅威を察知して怯えさせるはずであったのに。
『よもや……よもや我々の調査に不備があったということか!』
うなって、宇宙人は撤退を決意した。
ひと目見れば「うわあ、宇宙人だあ!」とわかる姿形を調査したつもりであったのに、まったく想定外の反応をされ。
言語も習得したはずであるのに会話が通じない。
これすなわち、調査不足。あるいは、調査事項についての理解が不足しているということだと判断したのだ。
『くっ……地球侵略の策は練り直しだ!』
言って、少年の手から抜け出した宇宙人が着地したのは魔法陣の真上。
出現時の座標と同じでなければ、帰路は開かないのだ。
魔法陣に緑のカエルの姿をした宇宙人が立ち、少年を見据える。
「今回のところはこれぐらいにしといてやるであります! 次は覚悟するがいい、地球人め!」
叫ぶがはやいか、宇宙人は月の裏側に停泊させていた小型宇宙船へと転移した。そして、はるか銀河の彼方で待つ母艦へ向けて光速移動を展開する。
『急いで戻って、作戦の練り直しを伝えねば。我らが長き時をかけて行って来た地球の調査に不備があったと、報告をせねば……!』
目にもとまらぬ速さで地球から遠ざかる宇宙人は知らない。
彼らの狙った反応と、実際の地球人の間に生じた齟齬が「ジェネレーションギャップ」から来るものだと。
長く時間をかけて調査内容を精査するほどに、その齟齬は増していくのだということを……。
宇宙人が転移を行ったそのあとには、目を輝かせた少年が残された。
「僕は……僕は、偉大な魔術師だ!」
自身を稀代の魔術師と思い込んだ少年の厨二病が完治するのが先か、宇宙人が再度、地球へやってくるのが先か。
それはまだ、誰にもわからない。
ただ、少年が地球を侵略の危機から救ったと気づくことはないだろう。