第二部エピローグ
アザレアとの戦いから、数日が経った。
私たちは事後処理のため、冥国に滞在している。
数日間休養し、改めて話そうということで玉座を囲んでいた。私とアレンにレイニーさん、そしてミレイユが思い思いの場所に立つ。
「気分が悪いですわ……。なぜ下賤な魔力を持つ者を二人も魔王城に入れないとならないのですの? ファンゲイル様が汚されてしまうわ」
ミレイユが嘆いている。
神官たちは王国に帰ったけど、レイニーさんとアレンは私の側についているんだよね。
あはは、人類最強格の二人に守られてます! たぶんファンゲイルでも突破できない!
「聖女様、あの者を滅する許可を」
「あら、まだ戦いたいんですの? 冥国一の魔導士の力、見せてあげてもよろしくてよ」
レイニーさんとミレイユは、なんだかんだ仲がいいね。これを言うと怒られるけど。
私がアザレアに攫われ、アレンとファンゲイルが助けに来ている間、二人は共闘していたみたいだからね。冥国と王国軍を守るため、虫たちと戦ったのだとか。
広範囲殲滅が得意な二人に蹂躙された虫の魔物たちが不憫だ。
ゴズとメズが、参戦したのに出番がなかったと嘆いていた。幹部入りは遠そうだ。
「レイニーさん、それより、アザレアはどうなりそう?」
「……あのような者に気を掛けるとは、お優しいのですね。しかし、厳罰は免れないでしょう。人造人間の作成に、聖女様の殺害。他にも、皇国内で色々悪事を働いていたようですから」
「そっか……」
「本当ならば、審判にかけるまでもなくわたくしが消してしまいたいのですが……。神の名の元に逝けるだけ、救いでしょう」
アザレアがやったことは、到底許されるものではない。私の気持ちなんて自己満足でしかない。私が殺したわけじゃない、って思いたいだけなんだろうな。
「しかし」
レイニーさんが柔らかい表情で言葉を続ける。
「革新派の神官を洗い出すのに、彼女の協力は不可欠です。それが終わるまでは生き延びられますね。態度が良ければ、処刑は免れるかもしれません。本国の裁判官次第ですが」
「そうなんだ」
良かった、とは言わない。
きっとアザレアにとって辛い日々が続くと思うから。
でも、五百年前から続く悲劇の結末としては悪くないんじゃないか、と思う。
「わたくしはこれから、皇国に戻ります」
「えっ、またしばらく会えないの?」
「はい。皇国はどうやら、綺麗な部分ばかりではないようですから。それを薄々感じながら、わたくしは傷心にかこつけて逃げていました。しかし、もう逃げません。胸を張って聖女様にお仕えできるよう、皇国の闇を全て消してまいります」
『革新派』の中で実行役を担っていたアザレアは倒したけど、彼女をこの道に引き入れた者たちがいるはずだ。『異端審問官』ほどのギフトは持たずとも、脈々と意思を受け継いできた者たちがいる。
レイニーさんは、それと正面から争うつもりなんだね。
「困ったら言ってね? 私は聖女で……レイニーさんの仲間だから」
「……はい。ありがとうございます」
レイニーさんははっとしたような表情で、少しだけ目に水滴を浮かべた。
皇国は巨大な組織だから、一筋縄ではいかないと思う。でも、レイニーさんは強いから、きっと大丈夫だ。
せっかくまた会えたのに、また離ればなれになるのは寂しい。すぐ戻ってきてね。
「セレナは俺に任せてくれ」
「ええ、信頼していますよ」
ぐっと拳を握ったアレンに、レイニーさんが応える。おお、師弟っぽい!
ギフトの使い方を教えて貰ったんだよね。いいなー、私もレイニーさんと修行したい。神魔力の使い方とか知らない?
「やあ、みんなお揃いだね」
「ファンゲイル様!」
遅れて、『不死の魔王』ファンゲイルが階段を上がって来た。腕の中には、すっかり見慣れたオシャレした人骨がいる。
「お体は大丈夫なんですの?」
「うん、すっかり良くなったよ。聖女ちゃんが聖痕を取ってくれたおかげだ」
人造人間の扱う複数人分の聖魔力は、ファンゲイルに治療できない傷を与えていた。魔力が残留し、アンデッドの再生を阻害するのだ。
魂が破壊されるまで動き続けるアンデッドにとって天敵である。
「えへへ、私は天使になったからね!」
「素晴らしい能力だよ。ぜひ研究したい。今度、じっくり視てもいい?」
「え、えーっと、それはちょっと……」
ファンゲイルの目が妖しく光る。
背中の翼がぞわぞわする。怖いよ! 解剖されちゃう。
「おい! セレナに近づくな!」
「ククク、勇者くんは本当に聖女ちゃんが大好きだね」
この二人も、私を助けるために協力していた組み合わせだ。
人間と魔物でも、ちゃんとわかり合えるじゃん。間に立つ身としては、二人が普通に会話しているのが嬉しい。
魔物は絶対悪なんて言われているけど、人間や動物と同じく、自分のために生きているだけなんだよね。利害がぶつかれば争うことはある。でも、みんなが悪人というわけでもない。
自分自身が魔物になったことで、それがわかった。
虫の魔物を産む『蟲の魔王』ネブラフィスも、彼女なりの信念があるようだった。ファンゲイルと殺し合ったけど、不利になった瞬間逃げ出したらしい。地の利はネブラフィスにあるので、逃げるのは簡単だ。
狡賢いというか、なんというか。利害だけで動くタイプだ。
「ファンゲイル、それで、トアリさんだけど……」
「うん。どうなったか聞かせてもらってもいい?」
「ごめんね……天使のタリスマンの中に、まだ少しだけ魂は残っていたけど……」
ファンゲイルが己の身を魔物に堕としてまで、蘇生を願った少女。
トアリさんは、タリスマンの中で私を助けてくれた。魂の残滓だけって言っていたけど、たしかにあの場所に、生きていたのだ。
彼女がいなかったら、私は神様に乗っ取られて、アザレアの思い通りの展開になっていたと思う。
だから、私も助けたいと思ったんだけど。
「トアリさんはね、最期の力を使って私の魂を守ってくれたの」
「トアリは歴代最強の聖女だったからね。力を失っても、そのくらいの奇跡なら起こせるか。それに、優しい子だった」
「うん。だから、意識はもう消えちゃったと思う。……でもね!」
魔力を操作して、身体の中から球体の不定形結界を取り出す。
淡い光を放つそれを、私たちの間に浮かべた。
「意識はないし、もう力も残ってないけど……それでも、トアリさんの魂は保護できたの。『天使』になって、魂に上手く干渉できるようになったから。魂だけじゃ、ファンゲイルは満足できないかもしれないけど……」
言い訳のように並べる言葉は、途中で途切れた。呆然と魂を見つめるファンゲイルの瞳から、ぽつりと涙が零れたからだ。
「トアリなのかい……? いや、僕にはわかる。これはトアリの魂だ」
小さく呟いて、手を伸ばした。
不定形結界ごと、トアリさんの魂を抱きしめる。愛おしそうに、表情を綻ばせた。
「ああ、やっと会えたね。ずっと探していたんだよ? トアリ、僕は君を蘇らせるために、長い時を生きてきたんだ」
「タリスマンの中でね、トアリさんに伝言を頼まれたんだ。もう会うことはできないから、代わりにファンゲイルに伝えて欲しいって」
魂を保護したとしても、意識を取り戻すのは難しい。それは他でもない、ファンゲイルが一番知っていることだ。
死因が特殊で、意識が残っている可能性があったからこその希望だった。でも、それはもう潰えた。
ファンゲイルに、ゆっくりと伝える。トアリさんの言葉はしっかりと魂に刻み込まれているので、完璧に覚えている。
彼はトアリさんの魂を見つめながら、真剣な顔で聞き入っていた。きっと、トアリさんの声に聞こえてるんだね。
「……これでお終いだよ」
言い切った頃には、私の頬に涙が伝っていた。なんで私が感極まってるの! アレンがそっと手を繋いでくれた。ちょっとだけ胸を借りる。
ファンゲイルは噛みしめるように目と閉じて、人骨を強く抱き寄せた。
「ありがとう」
そしてたった一言、それだけ呟いた。
ファンゲイルが追い求めた奇跡が叶うことは、おそらくない。
手が届きそうなところでまた、失ってしまった。声すら聞けずに。
でも……ファンゲイルの顔は晴れやかだった。
ファンゲイルはゆっくりと歩き、玉座に座った。頬杖をついて、口元を緩める。
「さて、じゃあ……研究を再開しようか」
「え? 諦めるんじゃないの?」
「まさか。ついにトアリの魂を取り出すことに成功したんだよ? 大きな前進じゃないか。それに、知らないかもしれないけど、僕は諦めが悪いんだ」
それは知ってるけど!
いつもと変わらない様子のファンゲイルに、空気が弛緩する。
「ファンゲイル様、ワタクシも協力いたしますわ。……まだチャンスは遠そうですわね」
「チャンス? まあ、ミレイユにはこれからもお世話になるよ。さっそく、魂から記憶を復元する術式を作ろう」
ミレイユははぁ、と艶めかしいため息をついた。頑張れ!
魔王が活動継続を宣言したのは、私にとっていい事なのかよくわからないけどね。でも、最初は倒すべき相手だったのに、今では仲間意識すら芽生えている。
レイニーさんとアレンも敵意はもうないみたいなので、これで良かったと思おう。
せっかくアレンと再会できたのに、戦いたくないもん。
殺し合いとか争いとかやめて、アレンとゆっくり暮らすんだ!
聖女でも天使でもない、一人の女の子として。そのくらい、望んでもいいよね?
「ああ、そうだ。聖女ちゃん、肉体欲しい?」
「え、人間に戻れるの!?」
「うん、人造人間の身体でよかったら」
「うげ」
人造人間って、あの……?
髪の毛もないし、継ぎはぎで気持ち悪いんだよね……。スケルトンの身体より嫌だよ……。
「今のままでいいです……」
「あはっ、そっか。でも、もしかしたら人間に戻る道もあるかもね」
人間に戻る、かぁ……。
一度死んだ身でそんなことを願うのも欲しがりすぎかもしれないけど、戻れるなら戻りたい。
天使の身体は歳を取らない。だから、アレンが大人になって、どんどん老けていっても、このままだ。孤児院の子どもたちが老衰で亡くなることになっても、私は魔物として生き続けなければならない。
うん、できれば一緒に歳を取って死にたいよね。でも……。
「人間に戻れたらいいなって思うけど、それより今は、アレンと一緒に暮らしたい」
「そうだね。僕との契約はもう気にしなくていいよ。研究はだいぶ進んだし……二人の時間を大切にしなよ」
それは、ファンゲイルが何よりも欲したものだからだろう。彼の表情は柔らかくて、どこか切ない。
私は深く頷いて、アレンと向かい合った。
「アレン」
「ああ。……やっと帰れる」
「長かったね」
九歳の時に交わした約束をようやく果たせそうだね!
〇
『ゲイル、お久しぶりです。封印されていた天使のタリスマンを見つけてくれた時、本当に嬉しかったんですよ? またゲイルの姿を見ることができたなんて、感激です! ふふっ、ちょっと色白になっていましたね。
わたしにとって宮殿で過ごした日々は、かけがえのない大切なものです。嫌なことも、ゲイルと話すと全部忘れられました。ゲイルも同じだったら嬉しいです。
でも、わたしの死体とイチャイチャするのは、そ、その、恥ずかしいです! あっ、嫌なわけじゃないですよ? あの頃はそんなことしなかったのに、ずるいですよ! わたしだってくっつきたいのに。
ゲイルがわたしのことそんなに好きだったなんて、知らなかったです。
もし生き返ることができたら、一緒にいられたのになぁ、なんて……。嘘です。不可能なのは分かっていますよ。
でも一つだけワガママを言ってもいいですか?
どうかわたしのことを忘れてください。……なんて言っても、ゲイルは忘れてくれないでしょうね。
だから、絶対にわたしのことを忘れないでください。大好きなゲイルの中で、ずっと生き続けさせてください。何百年も、何千年も。意識が消えてしまっても、それだけでわたしは幸せですから。
なので、わたしのことは気にせず、好きに生きてくださいね!
魔王なんてやめて、前みたいに魔法の研究に没頭したらいいと思います! 研究をしているゲイルが、一番楽しそうなので。
さようなら、ゲイル。わたしの大好きな人』




