ケートス
巨大な魚を模した黒い鎖が、空中をゆったりと泳ぐ。尾びれから頭の先まで滑らかに動くそれは、まるで生きた魚のようだ。
よく見ると、魚を形成する鎖は常に回転し続けている。少しでも触れたら八つ裂きになるだろう。
「さあケートス、聖女を喰らいなさい」
アザレアがそう言うと、鎖の魚は金属音を鳴らした。
尾びれから魔力を放出し、推進力を得る。まっすぐ私たちに突っ込んできた。
「聖結界!」
「ホーリーセイバー」
聖結界で足止めすると同時に、アレンが聖剣を額に叩きこんだ。ホーリーセイバーというスキルによって拡張された刃渡りは、空間が歪むほどに濃い聖魔力を纏っている。
しかし、ケートスに触れると制御を離れ、霧散した。
「無駄よ! 『異端審問官』は咎人を裁くためのギフト。聖属性の魔力は全て喰らい尽くすわ」
ケートスが巨大な顎を開いて突進してくる。私とアレンは、左右に散って回避した。
「勇者も聖女も、魔力を吸いつくした上で奴隷にしてあげるわ! 魔力がなければ抵抗できないもの。神よりも扱いやすそうね?」
『異端審問官』には、人を支配する魔法もあるのかな。神もコントロールするつもりだったみたいだし。
今の私は神魔力を手に入れたから、もし奴隷にされたら結果的に目的を達したことになる。
「させないよ! ホーリーレイ!」
魚の軌道から離れて、アザレアにホーリーレイを放つ。ケートスという魔法は強力で、打ち崩すのは難しそうだ。だから、本体から倒す!
「霊域、聖域、聖結界」
進化したことで、魔力は無尽蔵と言ってもいいほどにある。
とにかく柔魔を展開しまくって、空間を戦いやすいように作り変えていく。聖域はアレンの魔力も上がるはずだ。
『異端審問官』も聖職者には違いないけど、私が拒絶している限りは魔力を利用されることはない。
「小細工ね。でも、アタシには勝てないわよ。――魂の銀河」
霊域で満たされる教会の中に、アザレアの魔力が割り込んでくる。
ていうか、いつの間にファンゲイルとネブラフィスがいなくなっているね。教会から出て、違うところで戦っているみたい。
「魂の通り道に、アタシは干渉できるのよ。アタシの魔力は銀河を通って、どこからでも出すことができる。つまり……」
突然、私の背後でアザレアの魔法が発動した。銀河の入口が開く。
「――っ!?」
空間そのものを切り裂いたような、黒い結界。そこから、小さな魚が一匹、飛び出てきた。
「エンジェルウィング!」
私の胸に突進してくる魚に向けて、翼を振るう。
よし、大丈夫。神魔力なら鎖の魚にも対抗できる。
「一匹だけじゃないわよ?」
アザレアの余裕そうな声。それと同時に、そこら中で銀河の入口が開いた。
魚も一匹や二匹ではない。巨大なケートスを中心に、たくさん小魚が泳ぎ回っている。まるで水中にいるかのようだ。
ただ泳ぐだけではない。『魂の銀河』を自由に出入りして、瞬間移動のような動きをしている。おかげで、どこから攻撃が来るのか読めない。
「アレン、気を付けて!」
「ああ、小さいやつなら大丈夫だ! なんとか切れる!」
吸収されるよりも多くの魔力を籠めれば、対抗できるみたいだね。
でも、それだけではじり貧だ。
「逃げてばかりね。いい気味だわ」
空中を魚たちが泳ぐ姿は、どこか幻想的だ。
霊域で空間を把握しているけれど、『魂の銀河』を使った瞬間移動のせいで反応が遅れる。
「うっ、いったーい」
腕の当たりを魚が掠めた。
たったそれだけで、存在が削られる感覚がある。何度も受けたらまずい。
「なら……! 不定形結界、硬魔……天女の羽衣」
時間稼ぎにしかならないけど、ないよりはいいよね。
硬魔で作った布で、魚たち突進を受け流す。硬魔も構わず喰らう魚たちだけど、一瞬でも時間が稼げれば十分だ。
「いきなさい、ケートス」
小魚に気を取られていると、たまに大魚が攻撃に参加してくる。動きが緩慢な分、触れられればひとたまりもない。
「セレナ、俺の後ろに!」
「でも……」
「俺は勇者になったんだぞ? 魚くらい、大丈夫だ」
アレンは私の前に躍り出て、聖剣を構える。
「ホーリー……セイバァアアア!!」
すごい、私の全盛期でも、こんな大量の魔力を一度に出すことはできないよ。
聖属性の硬魔に特化した『勇者』のギフト。皇国の虎の子『聖騎士』よりも上位の力を持つそれは、近接戦闘では最強を誇る。
「はぁあああああ!」
白く輝く聖剣が、天井に届きそうなほど大きくなった。
上段から振り下ろし、ケートスを正面から受け止める。
アレン、すっごく強くなってるね。目の前の背中は、とても大きくて、頼もしい。
空気を震わせるほどの衝撃音が響いて、アレンは聖剣を下ろした。ケートスは……バラバラの鎖となって、地面に落ちる。
「反撃だ」
アレンが聖剣をアザレアに向けた。