夢の中
天使のタリスマンの中で、トアリさんが優しく言った。
何も感じない空間。私とトアリさんは魂だけになって、向かい合っている。
五百年間も囚われていたのに、明るく話す彼女に少し悲しくなる。理不尽に命を奪われたトアリさんは、せっかく再会したのにファンゲイルと言葉を交わすこともできない。
状況は少し違うけど、ひどく共感できる。
(私がやるべきこと……うん、ここから出て、アザレアを止めないと。……でもどうやって?)
儀式はもう始まってしまった。
魂は天使のタリスマンに吸収され、神様の魔力で半分ほど満たされている。抵抗もできない。
『セレナさんなら大丈夫ですよ。だって、大切な人がいっぱいいるんでしょう?』
(うん。大切な家族だよ)
『その気持ちがあれば、必ず奇跡は起きます! なぜなら、私たちは聖女だから! 大切な人を守りたい。その願いが、私たちを強くするんです!』
ただの根性論……?
けれど、トアリさんの口調は自信満々で、妙な説得力がある。
『それに、外の人たちの想いも届いているはずです』
(想いが届くと、何か意味があるの?)
『ええ。私たちは聖女ですから。集中して、感じてみてください。きっと、力になりますから。心や祈りはどれだけ離れていても、どこにいても通じますよ』
祈りの力……それはたしかに、感じたことがある。
レイスから聖霊に進化する時、人々の祈りが私に流れ込んだ。そのおかげで条件を達成し、聖霊になれたのだ。
魔物だからじゃなくて、聖女の権能だったんだね。トアリさんは理論よりも感覚を重視するタイプみたいだから、いまいち要領を得ないけど、たぶんそういうこと話だと思う。
史上最強の聖女、かなり感覚派!
(みんなの想い……)
『ふふふ、アレンくんでしたっけ?』
(うん、私の幼馴染で、家族で……婚約者なの)
『わぁ、いいですね! そういう関係! 私もファンゲイルと結婚したかったなぁ!』
(……私も死んじゃったんだけどね)
『セレナさんはまだ間に合いますよ! ほら、早く出ないと神の魔力に負けちゃいます』
アレンは今、どこにいるのかな。
ううん、会ってなくてもわかる。アレンは私を助けるために動いてくれているはずだ。泣き虫で一人では何もできない私を、いつも引っ張ってくれる人。聖女として働いていた時も、彼との約束があったから頑張れた。
そうだ、私はいつだって、神様じゃなくてアレンを想っていたんだ。いるかもわからない偶像じゃなくて、アレンや孤児院のみんな、守るべき民……そういう人たちのために、私は頑張れる。
(アレン……みんな……)
聖霊に進化した時の感覚を、頑張って思い出す。
耳をそばだてるのではなく、自分の中に意識を向ける。人々の祈りはいつだって、私の中に届いているから。
『感じるでしょ?』
(うん……村の人たちがね、私を信仰してくれてるの。ちょっと恥ずかしいけど)
『わお、神様扱いは私もされたことないです。それで?』
(レイニーさんがね、ずーっと、毎日、私の無事を祈ってくれてた)
『うんうん、大事にされてるんだね』
そして、もちろん。
――セレナ!
アレンの声が聞こえる。
『セレナさん、もう説明はいらないですよね』
(うん! 大丈夫。ありがとう、トアリさん)
『いえいえ! 私が意識を保っていたのは、きっと今日のためですから』
(違うよ。トアリさんは生き返って、ファンゲイルと暮らすんだから)
『そんなことできませんよ~。言ったでしょう? これは魂の残滓でしかないんです。私はもうとっくに消えてるんですから』
トアリさんの魂が消滅寸前なのは、感覚としてわかる。意識を保ったままアンデッドにするなんて到底不可能だ。
でもそれじゃ、ファンゲイルがやってきたことは無駄だったの? トアリさんの魂を吸収した天使のタリスマンに望みを託して、やっと手に入れたのに……。
トアリさんもちゃんとファンゲイルに会いたいはずなのに、全てを呑み込んだような声音で言葉を続ける。
『セレナさん、最期に伝言を頼んでもいいですか?』
(……うん、任せて)
『ありがとうございます。じゃあ――』
彼女の言葉を一つ一つ、胸に刻み込む。
五百年越しの言葉だ。直接伝えることは、もうできない。
私まで悲しくなってくる。でも気丈に振舞う彼女に水を差すようなことはしない。私にできることは一字一句聞き逃さないことだ。
(ばっちり覚えたよ! ファンゲイルには、絶対伝えるから)
『よろしくお願いしますね。じゃあ、私は消えます。いえ、セレナさんの中に入ると言ったほうが正しいでしょうか?』
(えー、トアリさんの魂なんて食べたくないよ)
『ちゃっかり怖いこと言いますね……。そうじゃなくて、力だけ渡す感じですよ。ついでに神様の魔力も貰っちゃいましょう! 聖女二人分の奇跡なら、神様くらい余裕ですよ』
(トアリさんもなかなか悪いこと言うね!)
魂だけになっても、私たち二人は聖女だ。
聖女の奇跡は、ミレイユやファンゲイルの魔法理論でも説明がつかない。扱うのが難しい代わりに、無限の可能性を持つ。
――セレナ! 起きろ!
(アレン!!)
アレンの声が聞こえた気がした。黒い鎖に閉じ込められていても、魂だけになっても、彼の声が道標となる。どこにいても、一筋の光となって導いてくれる。
トアリさんの魂がすうっと消えて、なくなった。
『進化条件を達成しました。必要条件:神魔力 特殊条件:信仰』