『蟲の魔王」ネブラフィス
『蟲の魔王』なんていうから、もっとおどろおどろしい虫の化け物なのかと思っていた。下半身はたしかに蜘蛛だけど大きさは人間くらいだし、上半身に至ってはまんま人間だ。彼女の身体は人間基準だとかなり煽情的で、美しい。虫じゃなかったら社交界で熱烈なアピールを受けることだろう。
なんで高位の魔物って人間みたいな姿してるんだろうね。
「それにしても、この子が聖女か~! 人間が魔物になるなんて、面白いな!」
「ネブラフィス……だよね?」
「おう、そうだぜ」
「なんで魔王が皇国の味方をしているの?」
ずいぶん気さくな魔王だね。ファンゲイルとはまた違うタイプだ。
彼女は八本の脚で素早く近づくと、私の顔をまじまじと眺めた。
動けないから話すくらいしかやることがない。みんなが助けてくれることを期待して、今は情報収集に努めよう。
「味方ってわけじゃねぇよ。あくまでビジネスだな。オレみたいな新参の魔王は単純な力じゃ敵わねえ。だから頭を使ってるわけよ」
「それが皇国?」
「後ろ暗い人間ってのはどこでもいるもんだ。そういう奴らは魔王の力を求めてる。特にオレの配下は便利な奴が多いから、結構儲かるんだぜ?」
数が多く移動に制限の少ない虫の魔物は、情報収集にもってこいだ。彼女は虫の魔物ならではの武器を使って、人間に取り入っているわけだね。
皇国と手を組むことはリスクも大きいだろうに、豪胆なのか何か策があるのか。
少なくとも、アザレアの派閥は魔王を利用することに躊躇はないみたいだね。
「大したことしてないじゃないの! もっと働かないと消すわよ?」
「ひでーなぁ。人造人間の術式完成させたのオレだろー? タリスマンが王国にあることも、ファンゲイルの住処も全部教えてやったのになー」
まああんたごときに消されないけど。と口角を上げた。
ネブラフィスも魔王の一角。新参と言っていたけれど、相応に強いはず。
そして私が手も足も出なかった『異端審問官』のアザレア。どんな魔法を使っているのかもよくわからない。
うん、絶対絶命!
「ねえ、今どういう気持ちなの? あなたが信仰する神様の依り代になれるのよ? ふふ、羨ましいわ」
「ならないよ。神様なんて知らない。私は私の大切な人のために、絶対に生き残る」
「残念ねぇ。あなたはもう死んでるわよ。私が殺したから。あとは魂を有効活用するだけ」
「死んで肉体がなくなっても、私は聖女なの。生きていたころと変わらない、アレンの婚約者なの!」
嫌味に舌を出すアザレアを、怯まず睨み返す。
負けない。五百年の悲願だかなんだか知らないけど、他人の都合で私の人生を左右されてたまるか。
私はただ、当たり前の幸せが欲しい。アレンと過ごす未来が欲しい。
「ムカつく……ッ!」
ぱしっ、とまた頬を叩かれた。
死霊の私を当たり前のように殴ってくるなぁ。
痛いけど、アザレアは私を殺せない。
「神を呼ぶ? それって本当にあなたがやりたいことなの?」
「ええ、もちろんよ。それが『異端審問官』の使命だもの。皇国にいる『革新派』の神官たちもみんな、神を降ろしてギフテッド教の権威を高めることを望んでいる」
「そっか……弱いね」
「は?」
「『異端審問官』の使命、『革新派』の願い。結局あなたの気持ちはないじゃん」
アザレアはまだ二十歳前後だ。
境遇はもしかしたら、私に似ているのかもしれない。幼い頃に勝手に使命を背負わされ、大人の都合で動くことを強制される。ギフトの方向性は正反対だけれど。
一つ違ったのは、私には心の拠り所があったこと。
孤児院の家族のためを思えば、苦しいことも耐えられた。レイニーさんには悪いけど、教義よりも大切なものが胸の中にあるから、私は私でいられたのだ。
でも……想像でしかないけど、アザレアにはそれがなかった。だから大人たちに言われるがまま、他人の思想に染まるしかなかった。
「負けないよ。私たちの気持ちは。あなたなんかに」
アレンは絶対来てくれる。
柱に縛られてなかったらもうちょっと格好ついたんだけど、仕方ないね!
「盛り上がってるところわりーな」
その時、ネブラフィスが口を挟んだ。
「たった今、オレの配下が手に入れたみたいだ。……そろそろ届くぜ」
それは、私にとって悪い報告だった。
「天使のタリスマン」
「ふふっ。ふはははっ」
ファンゲイルがトアリさんの首にかけていたそれが奪われた。それはファンゲイルが負けたことを意味する。彼が、トアリさんへの攻撃を許すわけがないから。
ミレイユは? レイニーさんは? アレンは?
わからない。でも、決定的なのは、儀式の材料が揃ってしまったこと。
「威勢だけは良かったわね。でも、終わりよ。あなたは消えて、アタシたちは神を手に入れる!」