ex.人間と魔物
「そんな……聖女様が……」
セレナを捕らえたまま、『異端審問官』アザレアが忽然と姿を消した。おそらくは魔法の類だとは思うが、どこに行ったのかわからない。
レイニーは戦いの手を止めて、地上に降りたつ。動揺する神官たちの間を抜けて、『枢機卿』バレンタインに詰め寄った。
「これはどういうことですか!? 異端審問官がこの件に関わっているなど、聞いておりません」
「おやおや、レイニー卿こそどうなされたので? 魔物を殺すことに問題などないですぞ」
「魔物でも、彼女は聖女様です。バレンタイン卿は聖女様を使って何を企んでいるのですか!?」
「あなたほどのお方が、魔物を聖女呼びですと? 同じ枢機卿として恥ずかしいですな」
バレンタインはあくまで、セレナはただの魔物という立場を崩すつもりはないらしい。当然だ。聖女だと認めてしまえば、彼に害する権利はない。
レイニーは歯噛みしながら、なんとか深呼吸して彼から離れる。怒ったところでセレナは戻ってこない。彼女の場所を突き止めるのが先決だ。
せっかく再び会えたのに、また失ってしまった。敵を見誤っていたのだ。
それに、あの異端審問官の女性。遠目だったが見間違いでなければ、王国にいた子爵令嬢だ。セレナ処刑のきっかけを作った、偽物の聖女。
「最初から聖女様が目的だったということですか」
「何の話かわかりませんな」
突然強行された処刑。まるで最初から準備されていたかのように迅速な、王国の支配。唐突な『不死の魔王』討伐任務。
それらが全てバレンタインら『革新派』の謀略なのだとしたら、繋がる。
「レイニーと言ったかしら」
内輪もめを冷めた目で見ていたミレイユが、スカルドラゴンとともに降りて来た。
アンデッドの手勢はセレナによって山に運ばれたため、彼女一人だ。にも拘わらず、ミレイユに気負う様子はない。
「こちらとしても、セレナの捕獲は避けたかったことですわ。さて、提案なのですけれど」
不敵な笑みで、実力を認めた相手に手を伸ばす。
ワタクシたちと手を組みなさい、と。
〇
「君か。思ったよりも早かったね」
「『不死の魔王』ファンゲイル! 約束通り、セレナを返してもらうぞ」
セレナが『異端審問官』アザレアに連れ去られた頃。
別行動をしていたアレンは、ファンゲイルの元に辿り着いていた。
戦争のために多くのスケルトンが出払っているとはいえ、険しい道のりだ。しかし『勇者』のギフトに覚醒したアレンにとって、この程度は障害になりえない。身体能力が大幅に上がったことで、驚きの速度で単身登ることができたのだ。
ファンゲイルの位置に迷う必要はなかった。なぜなら連なる『不死の山』の一つを登り切ったところで、ファンゲイルの方から出向いてきたからだ。
宙に浮かぶ氷の玉座に座り人骨を抱く彼は、聖剣を構えるアレンと対峙した。
「あはっ、ミレイユじゃなくてもわかるよ。君の全身から湧き上がる聖魔力……化け物だね」
「お前に言われたくはないな」
「前に会った時はただの凡人だったのに……人間は面白いね。約束通り相手してあげたいんだけど、実は肝心の聖女ちゃんがここにはいないんだ」
「は?」
戦う素振りを見せないファンゲイルに、アレンは拍子抜けする。すぐにでも放てるよう溜められた魔力は、行き場を失って聖剣をただ光らせた。
ファンゲイルはどこか引きつった笑みで玉座から降り、地上に立つ。
「まさか、セレナはもう……?」
「なんか勘違いしてるみたいだけど、僕は何もしてないよ。君たちが攻めて来たから、戦争を止めるために山を降りたんだ」
「……行き違いということか?」
「そう。そして……ついさっき、攫われた。皇国の人間によってね」
そう、ファンゲイルは全て見ていたのだ。氷の望遠鏡によって、戦場の様子を山頂から。
ミレイユとレイニーの衝突については、介入するつもりはなかった。相手が破格の戦闘力を誇る『枢機卿』であっても、ミレイユの実力なら問題ない。未だ姿を見せない『蟲の魔王』の勢力がどこから現れるかわからない以上、ファンゲイルは冥国に残り警戒する必要があった。
しかし、状況は一瞬にして動いた。
セレナの誘拐は予想外だったのだ。いや、敵がセレナを狙っていることは承知していたが、彼女の探知を掻い潜った上でミレイユすら反応できない速度で捕縛する……そんな芸当ができるとは思わなかったのだ。
油断ともまた違う、あらゆる状況に対応しようとした結果できた穴を突かれた。
「……魔王の言うことなんて信じられない。断れない状況を作ってセレナを奪ったお前の言うことなんて」
「いいのかい? 君がここで時間を無駄にしている間に、彼女はまた遠くに行ってしまうんだよ」
「煙に巻くための嘘じゃない証拠はどこにある!」
口調とは裏腹に、アレンは攻撃しようとしない。ファンゲイルがあまりに無防備で突っ立っているからだ。
「僕が君を恐れている、と? 心外だね。氷狼」
「くっ……!」
ファンゲイルは自然体のまま、ノータイムで魔法を発動した。無防備なんかじゃない。どんな体勢からでも攻撃に移行できるだけだ。
氷で造られた背丈よりも大きな狼が、アレンに襲い掛かる。辛うじて聖剣で牙を受け止めた。
「いいよ、別に。君が聖女ちゃんを諦めるっていうなら、僕が貰う。僕にはまだ彼女が必要なんだ。同じ聖女の魂だから、まだまだ研究したいことがある。それに、皇国の好きにさせるわけにはいかないからね」
彼が杖を振る度、氷狼が一匹ずつ増えていく。アレンが切り倒す速度よりも圧倒的に早い上、切った狼も即座に修復される。瞬く間に、周囲一帯が氷狼で埋め尽くされた。
「君の敵は僕じゃなくて皇国だよ。どう? 一緒に来る?」
二つの場所で。
人間と魔物が手を組もうとしていた。