5-11 暗殺者
軍議の後、テントの中で、俺はグレンと食事をしていた。 戦地なので、肉と野菜を煮込んだポトフのような煮物と、塩漬けの牛肉を焼いたものと硬いパンの食事だった。 アンドレアスとセシウスは各部隊を回って、兵の士気を鼓舞していた。 ユウキとジュリアンは、開戦時の警備体制についての打ち合わせを別のテントで行なっていた。 ホーリー達は、テントの外で警戒をしているはずである。
少し前、外のかがり火の光が届かない闇の中を、2つの黒い影が音も無く動いていく。 それには周辺にいる兵士も、テントの入り口に立っていたリースも気づいていなかった。 2つの影の行動は大胆だった。 闇の中を縫うように、素早くかつ一気に音も無く丘を登ってきたかと思うと、目標のテントに近づいた。 テントの側の草むらに身を潜ませると、しばらく様子を監視していた。 丁度、テントの中では軍議が行なわれているらしく、話し声は聞こえたが良く内容までは聞き取れなかった。 もう少し近づこうかと思った時に、軍議が終了したらしく、男達がゾロゾロ出てきた。 黒い影の一人が、小さく舌打ちした。 舌打ちしたその顔はまさしく黒かった、黒豹の半獣人は全身を黒の服で包み込み、黒の布で覆面もしていた。 もう一つの影の方も同じような服装をしているが、こちらは黒豹では無く普通のヒョウの獣人だった。 橙のレギオンの斥候であることは明らかである。 しかし通常の斥候であれば、ここまで危険を冒して侵入してくることはないだろう。 よほど自分たちの腕に自信があったのだろう。 軍議の内容を聞きそびれたことがよほど悔しかったらしく、斥候以上の行動に移ったのだ。 しばらく様子を観察して、テントの中には王一人だと言うことを確認すると、黒豹の方がテントのそばまで音も無く駆け寄った。 だがその動きに気づいたものが2人、いや一人と一頭が気づいた。 一人は、テントの近くの木の枝に乗り、幹に背中を持たれながら周囲を警戒していたホーリーである。 確実に動きを捕らえた訳ではなかったが、一瞬の闇の動きに違和感があった。 そしてホーリーの勘は警告を発していた。 ホーリーは素早く木から飛び降りた。
もう一方はグレンだった。 テントの外の雰囲気の変化に反応して、テントの外に向って唸り声を上げた。
「どうした、グレン」 スプーンを置いてグレンの方を向こうとしたとき、右手の腕輪の石が赤い光を発しているのに気づいた。
(危険が迫っているということか) そう思った瞬間、グレンが睨んでいた方のテントがナイフで縦に引き裂かれ、そこから黒ずくめの男が入ってきた。
「王だな」 そう言った男の手にはナイフが握られていた。 グレンが今にも火を噴きそうだった。
「グレン、手をだすな」 グレンにこの状況で火を吐かれたら、テントが火事になってしまう。 それにこいつは生きたまま捕らえたいと思ったからだ。 グレンは俺の顔を見ながら、不満そうに唸り声を上げたが、言っていることは理解したようだった。 男はナイフを手に近づいて来た。 その時テントの裂け目から入ってきたホーリーが叫んだ。
「カケル、そのナイフに触れてはダメよ、毒が塗ってあるわ」
男はナイフを俺の腹部めがけて、素早く突きだした。 俺は不思議と怖いとも思わず、体も自然と動いた。 体を左に捌くと、男の右手首を右手で捕らえると、そのまま左の蹴りを男の右脇腹に入れた。 男は苦しそうにしゃがみ込んだ。 おそらく肋骨の何本かが折れたに違いない。 ホーリーの声で異常を察知したリースがテントに入って来た。
「賊ですか?」 リースが剣を抜いた。
男は、左手の爪で俺の顔面を切り裂こうと、攻撃してきた。 俺はそれを避けようとして、思わず手を放してしまった。 男はその一瞬を見逃さず、自分の背後のテントの生地を切り裂くと、外に転がるように出て行った。 リースが男の後を追って出て行った。 ホーリーは、他に賊が忍んでいる可能性を考えたのか、リースについて出て行こうとしたが、思い直して俺の側を離れなかった。
黒の男は闇の中に溶け込んでいった。 その時、ジュリアンが異常に気づいて弓を持って外に出てきていた。 ジュリアンは、男が逃げた方を向いて弓を構えると、矢をつがえ弦を引き絞った。 ジュリアンの能力を持ってすれば、暗闇は問題ではなかった。 暗闇の中でも、標的が白い人型に見えるのだった。 ジュリアンが男に狙いを絞ったときに、側をもう一人の男が走っていることに気づいた。
(ちっ、もう一人いる) ジュリアンが矢を放つと、右の脇腹を押さえながら走っていた男が、突然前のめりに倒れ前方に転がった。 もう一人は、驚いたように一瞬立ち止まったが、状況を理解したのかすぐにまた一人で走り出した。 その男は、完全に獣化して、4足で走り始めた。 ジュリアンはすかさず2本目の矢をつがえて、弦を引き絞ったが矢を放つのをやめた。
「リース、ここを50メートルほど下ったところに、男が倒れている。 調べたいので回収してくれ。 おそらく死んでいると思うが、念のため兵を何名か連れて行くんだ」 ジュリアンはリースに指示をした。
一時間後、王のテントには、アンドレアス、セシウス、ユウキ、ジュリアンが集まっていた。 テントは賊に切り裂かれた部分の応急処置が施されていた。 テントの周囲には10名の兵士が警護にあてられた。 アンドレアスは、不快感を隠そうともしなかった。
「ジュリアン、分かっていることを話せ」
「はい、カケル様の暗殺未遂を実行した男は、黒豹の獣人でした。 橙のレギオンの刺客と見て間違いないと思われます。 侵入者はもう一人おりましたが、残念ながら取り逃がしてしまいました。 申し訳ございません」
「何だと、それでは軍議の内容を聞かれているかもしれないと言うことか」 アンドレアスは更に不機嫌になった。
「それは、何とも申し上げられません」 ジュリアンが恐縮しながら言った。
「おそらくそれは無いと思われます」 あごに手をやりながら考えていたユウキが、静かに言った。
「なぜ、そう言い切れる」 アンドレアスが、ユウキを睨み付けるように言った。
「まあ、落ち着いてください、ご説明します。 そもそも今回の戦争、客観的に見れば、向こうがだんぜん優勢のはずです。 通常、優勢な方は暗殺という手段を採りません。 暗殺という手段を採るのは、不利な方が不利な形勢を逆転するためにとる手段だからです。 それに今回のことを良く検証すると、大分ずさんなことが分かります。 計画的というより、たまたま良い機会が巡ってきたので実行してみたという感じです。 私の考えはこうです。 二人の潜入の技術に長けた斥候が、こちらの陣営の情報収集のために潜入しました。 しかし、難なく王のテント近くまで潜入できたにもかかわらず、作戦に関する情報を聞き逃したのだと思います。 このまま手ぶらで帰るのは、悔しいと思っていたところへ、たまたま新しい王が一人でいる。 そこで、新王の器量がどの程度のものか、見てみようとしたのだと思います。 少し脅してどのような反応をするか。 もし暗殺に成功するならそれはそれで、大手柄程度に考えたのだろうと思います」
「俺もユウキの意見に賛成だ。 今回兵を率いている、ゴラムという将軍だが、奇計を用いるよりも、正攻法で攻めるタイプの将軍だという。 その将軍の性格からすれば、暗殺などは最も嫌う手段のはずだ。 おそらく斥候が独断でやったことだろう」
「斥候が暗殺を行なうなど、通常はありえない。 新王が立ったばかりでなめられたということか」 アンドレアスが独り言のように言った。
「おそらく、通常はそっちが本職なのでしょう。 そう言った汚れ仕事が得意な者が、今回斥候を任されたといったところじゃないですか。 いずれにしろ、もう作戦の変更はできません。 当初のとおり行くしかありません」
「分かった。 ジュリアン今後はカケル様を一人にするな」
「承知しました」




