4-7 旧レーギア(4)
洞窟を抜けると急に明るいところへ出た。 しかし一面真っ白な霧に包まれており、すぐ側にいるはずのホーリーもエレインもグレンさえの姿も見えなかった。
「ホーリーさん、エレインさん、離れないでください、離ればなれになってしまうとヤバイですよ」 俺は呼びかけてみたが返事は無かった。 恐る恐る進んでいると少しずつ霧が晴れてきた。 目の前の光景には見覚えがあった。 目の前には祭壇がたくさんの白い花で飾られていた。 正面には大きな写真が2つ掲げてあった。 写真に写った人物はもちろん知った人物だった。 祭壇の下には白い布で覆われた長方形の棺が2つ並んでいた。 俺は棺の顔の部分のフタを開け、中の顔を見た。 中の女性の顔は安らかに見えた。 ただその顔の額には化粧で目立たなくしてはあるが、深い傷があった。 俺は自然と涙が流れてくるのがわかった。
「母さん・・」 俺は独り言のようにつぶやいた。 いつの間にか隣に誰か立っていた。
「兄さん」 俺は隣に立っていた兄に言った。
「お前のせいだ、お前のせいで父さんも母さんも死んだんだ。 役立たずのくせに、お前なんか生まれてこなければ良かったんだ」 兄は目に涙をため、悔しそうに罵った。 俺は涙が止まらなかった。
ホーリーは小屋の中にいた。 外からは人の悲鳴や怒声、馬のいななき、剣のぶつかり合う音が混じり合って聞こえてきた。 父さんが外の様子をうかがいながら、母さんに言った。
「もう逃げられない。 兵士が辺りにあふれている。 お前はホーリーと一緒にどこかに隠れてくれ」
「2人も隠れられる場所なんかないわ」 母さんはホーリーの腕を持って小屋の隅に引っ張ってくると、舞台で使う衣装を入れていた衣装箱のふたを開けた。 中から無造作に衣装を取り出すと、ホーリーをその中へ押し込んだ。
「いい、この中でじっとしているの、何があっても声を出してはダメよ。 そして決して、出てきてはダメよ」 そう言うとホーリーを箱の中にしゃがませ、その上に衣装を載せてフタをしめた。 それと同時くらいに剣を持った兵士が入ってきた。 ホ-リーは箱の中から、脇の板の節の抜けた穴から部屋の様子を見ていた。 父さんは手に持った棒で兵士に向っていったが、あっさり棒をはじき飛ばされ、剣を腹に突き刺された。 ホーリーは悲鳴が出そうになったが、衣装の端を口に押し当て必死にこらえた。 母さんの悲鳴だけが聞こえた。 さらに兵士は刺した剣を横に払うと、腹に横一文字の裂け目ができ、腹から内蔵がはみだしてきた。 父さんは腹を押さえながら、床に倒れ込んだ。 兵士は母さんの方へ向って言った。
「おとなしくしろ、おとなしくするならば殺さない」 その後は、服が破ける音がして、ベッドが何度もきしむ音が聞こえてきた。 ホーリーの節の穴からは、外の様子が見ることは出来なかった。 見ることができたのは、動かなくなった父さんの姿だけだった。 しばらくして別の兵士の声がした。
「おい、そんなことしている場合じゃないぞ、敵の援軍が現れた。 撤退命令だ」 兵士は慌ただしく服を着ると出て行った。 ホーリーは静かになったので、母さんが心配になり、恐る恐る衣装箱を開けた。 箱の外に出ると、声も出なかった。 母さんは、裸でベッドに横たわり、のどをナイフで掻き切られていた。 ホーリーは呆然と立ち尽くし、涙だけがほほを流れていた。
エレインが霧の中を進んで行くと、急に霧が晴れてきたかと思うと、見覚えのある場所に立っていた。 石がゴロゴロ転がった、地面。 周りには葉が全て枯れ落ちた木が数本、目の前には石積みの壁を土で塗り固めた見慣れた家。 雪が降りそうな空模様なのに家の煙突には煙が上がっていない。 エレインは理由を知っていた。 冬を越せる十分な薪を準備できなかったのだ。 薪だけではない、小麦やジャガイモ、豆などの食料も十分な備えが無かったのだ。 この年は干ばつで作物がほとんど取れなかったうえ、それが原因で隣国と戦争になったのだ。 このままでは厳しい冬を越せず、飢え死にする人々が多数出るだろうと言われていた。
いつの間にか目の前に母親が立っていた。 埃をかぶり薄汚れた茶色の服を着ていた。 無造作に束ねた赤茶けた髪には白髪が交じっていた。 やせた顔はまだ三十を過ぎたぐらいのはずだが、日焼けと不十分な栄養のせいでかさつき、顔にできたしわのせいで五十代にしか見えなかった。 母は泣きながら両手を伸ばすと、エレインの首に当てた。
「ゴメンね、ゴメンね。 父ちゃんと母ちゃんを許しておくれ」 母は泣きながら、ヒビやあかぎれで荒れた、老婆のような指に力を入れた。
「母ちゃん、苦しい・・・」 エレインは言った。
「ゴメンね、このままでは冬が越せないの、許しておくれ」 母はさらに指に力を入れた。
「母ちゃん、死にたくない・・・」 エレインがそう声を絞りだすと、急に母の指から力が抜けて、首から手を放した。
「やっぱり、私にはできない」そう言うと、母は「ワーッ」と泣き出し、家に駆け出し戻っていった。
エレインがその場に座り込んで、咳き込んだ後、深呼吸して呼吸を整えていると、今度は父が見知らぬ男を連れてきた。 父は男に言った。
「この子です。 名前はエレイン、八才ですが同じ歳の子よりも体が大きいので、大抵のことはできます」そう言うと、今度はエレインに向って言った。
「エレイン、良く聞くんだ。 お前はこのおじさんについて行って、お屋敷でお仕事をするんだ」
「お仕事って何をするの?」
「お屋敷で、子守をしたり、馬の世話や、家事のお手伝いをするんだ。 そこではお腹いっぱい食べられるし、すきま風の入らない部屋で暖かいベッドで寝られるんだぞ」
「うん、分かった」 泣きそうになるのをこらえながら言った。
「父ちゃんは、見送るのが辛いから家に戻る。 元気で暮らすんだぞ」 父はエレインを抱きしめてそう言うと、家に戻っていった。
「じゃあ、行こうか」 鼻が高く目つきが怖い男が笑いながら言った。 エレインはなぜかその男がすごく怖くて、近づくことが出来なかった。 男はエレインがぐずぐずして歩き出さないことにイライラしだし、怒鳴りだした。
「さっさと歩け、お前は自分の父親に銀貨3枚で売られたんだぞ」 それを聞いてエレインはショックを受けた。 だが、父も母も恨む気にはなれなかった。 小さい弟や妹がいる、私がこの家を出て行くしかないのは分かっていた。 ただ無性に悲しかった。 男はそれでも言うことを聞かないエレインに業を煮やし、ナイフを抜いて近づいてきた。
(えっ、あの男に殺されるの) そう思った時、遠くで「グオーーーッ」という咆哮が聞こえた。
(えっ、あの声はグレン? あたしは何をしているの?) エレインは素早くナイフを取り出すと、左の腕に浅い傷を付けた。 腕に痛みを感じると共に、次第に意識がはっきりしてきた。 すると目の前の光景が崩れ去り、目の前には3人の黒い外套にフードをかぶった男がナイフ持って近づいてきていた。 男たちは目と口の部分だけ細く穴の開いた白い仮面をかぶっていた。 エレインの両脇にはカケルとホーリーが、涙を流しながら呆然と立ち尽くしていた。
「ホーリー姉、カケル、目を覚ませ。 目の前の光景は幻覚だ」 エレインは叫びながら、ホーリーの体をゆすり、カケルのほほにビンタを入れた。 2人はハッとして周りを見直していた。 ようやく2人も事態を理解して、目の前の男たちに対して剣を抜いた。
「チッ、術が解けたぞ。 もう少しだったのに、退却だ」 真ん中の男が、左右の男たちに言うと、3人は洞窟の一つに消えて行った。
「大丈夫か?」 エレインが俺の顔をのぞきながら言った。
「ええ、もう大丈夫です」
「腕から血が出ているよ」 ホーリーが薬と包帯を取り出しながら言った。
「大丈夫だよ、ホーリー姉。 自分で付けた傷だから、つばでも付けとけば直るよ」
「ダメだよ」 そう言うと、薬を付けて包帯を巻いた。
「それより、またグレンに助けられたな」 と言うと、エレインはかゆそうに首をかいていたグレンの頭をなでた。
「それにしてもあいつ等、人の一番きついところ突きやがって。 後で誰か突き止めてぶん殴ってやる」 エレインが言った。




