3-10 魔獣(3)
旅の行程では、一番の難所にかかっていた。 道幅は狭く一列にならないと通れないような、岩の山道になっていた。 ゴツゴツした岩が転がり、道らしき筋が峠に向ってつづら折りに続いていた。 標高が高くなってきているためだろう、晴天の日中にもかかわらず、肌寒かった。 これでもこの部分は、山脈の中でも昔の12王に削られたため、一番低く通り安い部分なのだという。
一行が峠に近づいた時、それは起こった。 晴れていた空が急に暗くなり、「バサッ」と大きな音がしたかと思うと、ロシナンテが「ヒギ――!」と大きな悲鳴を上げた。 俺はロシナンテのすぐ前を引き綱を持って歩いていたが、驚いて振り向くと巨大な紺色の鳥がロシナンテの胴にしっかり両足の爪を食い込ませていた。 鳥かと思ったら、そうではないと気づいた。 首から上は赤い毛が覆った、見たこともないような獣のような頭を持っていた。 その魔獣はロシナンテをつかんでそのまま大きくはばたくと、空に飛び立った。 その時俺は持っていた綱が腕に絡まり、一緒に空に引き上げられてしまった。 慌てた俺は綱を放そうとしたが解けず、このまま落ちたら死んでしまうと思い、ロシナンテの胴に縛られた帯にしがみついた。 ロシナンテは意識を失ったのか、首をうなだれて動かなくなっていた。 魔獣は高度を上げると南の峰の方へ飛んで行った。
「カケルとロバがバウーラにさらわれた」エレインが叫んだ。 ジュリアンは弓をかまえて魔獣に狙いをつけたが、矢を放つのを止めた。 矢が当たった弾みで、魔獣があばれカケルが落下してしまうことを恐れたのだった。
「俺が追う」セシウスが言った。
「私も行く!」とホーリー。
「だめだ、俺の方が速いし、それにこれがもし敵の策略だったとしたら、戦力を削くのは得策とは言えん。 大丈夫だ、必ず助ける」と言うと、馬をジュリアンにまかせ、まるで猿か山羊が岩を跳ぶように走りだした。
(俺たちが歩いていたところが、どんどん小さく遠ざかっていく。 綱が絡まった右手が痛いし、左手もそんなに持たない。 こんなところから落ちたら間違いなく助からないな) 魔獣は尾根を越えると、昔の噴火口のようなところへ向っていた。
(あそこへ降りるつもりなのだろうか。 とにかく早く降りてくれ) おそらく実際に跳んでいた時間は数分であった。 すり鉢状のクレーターに降りて行くと、俺は驚愕の光景を見た。 すり鉢の底には、同じ魔獣がもう一頭いたのだ。 さらにその横にも、一頭の黒い巨大な生物が横たわっていた。
(魔獣の巣に来てしまったのか?) 魔獣は地面が近づくとロバを放し、地面に降り立った。 俺は地面が近づいて来ると体を丸め衝撃に備えた。 地面に着いた瞬間に絡んでいた綱が緩み手から外れた。 そのまま受け身を取るように前方に数回転して、岩に当たって止まった。 しばらく動けなかったが、ようやく体を起こし、綱でしびれて感覚がなくなった右手をさすった。
(ロシナンテは大丈夫か?) そっと岩の後ろに回りこみ、陰からのぞいた。 俺はあまりの衝撃に、涙が出てきた。 ロシナンテは、2頭の魔獣にかぶりつかれ、胴体が2つに分かれていた。 バリバリ音を立てながら、骨ごと食われていたのだ。 その横には黒い巨大な恐竜のような生き物がいた。
(えっ、あれはドラゴンじゃないのか?) だがそのドラゴンは様子がおかしかった。 首を伸ばして頭を地面につけ、目は開けているがうつろであった。 しかも左目は銛のようなものが突き刺さっていた。 よく見ると、背中にも十本近い太い杭のような銛が突き刺さっていた。 腹にも数本刺さっていた。 傷口からは緑色の膿のようなものが出ていた。
(あの銛には毒が塗ってあったのだろう。 あのドラゴンは死にかけているんだ)
魔獣がロバを喰い終えると、鼻をひくひくさせながら辺りをキョロキョロし出した。
(まずい、俺の臭いに気づいたのかもしれない) 岩の陰に隠れていたが、その内の一頭がこちらに歩いてきた。
(どうする、走れるだろうか。 無理だ、走れたとしてもこのすり鉢を登っているうちに捕まってしまう。 戦うか、でもこんな短剣じゃ役に立たないだろう。 まだ俺のレムの力じゃ、驚かす程度にしかならないだろう。 どうする、どうする・・・)
魔獣は岩の向こう側から、のぞいていたが頭の位置が高いため、見つけられてしまった。 獲物を見つけて喜んだように「グオー」と鳴くと岩を回り込み、足の爪で俺を捕らえようとした。 俺は岩を回り込み、足が届かないところへ逃げた。 魔獣は怒って、岩を足で砕きながら更に追い込んできた。 俺は近くの岸壁まで走り、横にえぐられたように空いた空間にもぐりこんだ。 魔獣は足を押し込み爪で引っかけようとするが、届かなかった。
(このまま隠れていて、また餌を捕りに出かけた時か、寝ている時に逃げ出すしかないか。 だが二頭いる、どちらかは残っているだろう) 魔獣が頭を下げのぞきこもうとした。
(目をつぶすことができたら、逃げられる確率が上がるかもしれない) そう思った俺は、今できる最大の炎を魔獣の顔にぶつけた。
「ギャアオー」悲鳴を上げた。 怒った魔獣は、入口部分の岩をガンガン蹴り崩し始めた。
(まずい、生き埋めにされてしまう) そう思った俺は、その場所から転がり出るしかなかった。 魔獣はそれを待ち構えていたように、俺を蹴り飛ばした。 俺は飛ばされて地面に背中を打ち、仰向けになったまま、息がつまりしばらく動けなかった。 魔獣は襲ってこなかった。 左半分にやけどを負った顔が笑ったように見えた。
(こいつは賢い、そして残忍だ、楽しんでやがる。 一気に殺さずなぶり殺しにしようとしているんだ) 首をまわして見ると、もう一頭の方がドラゴンを攻撃していた。 ドラゴンの方は体がもう動かないのか、なすすべもなくされるがままだった。 よく見ると、翼の下に子ドラゴンがうずくまっていた。 俺はあの死にかけのドラゴンが、最後の力をふり絞って、子どもを守ろうとしていることを理解した。
ドラゴンが俺の方を見ていた。 まるで俺に「助けてくれ」とでも言っているかのようだった。
(そんな目で見ないでくれ、俺にはそんな力はない。 助けて欲しいのはこっちだよ。 ああ、俺はここで死ぬんだな) 俺は、ポケットからお守りを取りだし、握り締めた。
(じいちゃん、やっぱり俺はこんな半端者だった。 誰も守れない、ロシナンテも守れなかった、あの子ドラゴンも俺にはどうしようもない) さっき飛ばされた時に、頭も打ったのか少しボーッとしてきた。
「ばっかもん、諦めるな。 翔よ、お前は決して役立たずではない。 亘が何を言おうと、周りが何を言おうと気にするな、克也たちが死んだのはあくまで不運な事故だ。 お前のせいではない、お前がいつまでもそれを抱えて前に進めないでいるのは、克也たちの本意ではないぞ。 両親に、お前ができる奴だというところを見せてみろ」
(じいちゃん、なぜここにいるんだい?)と思った時、じいちゃんの姿が消え、魔獣の姿が目に入った。 魔獣は俺が動かないので、面白くないのだろう。 逃げ回る俺をいたぶって楽しもうとしていたのに動かないから、けしかけようと近づいてきたのだ。 もう一頭もドラゴンへの攻撃を続けていた。 硬い鱗に覆われていたが、さすがに激しい攻撃で皮膚は破れ血が流れ落ちていった。 腹が立った。 なぜか無性に怒りがこみ上げてきた。 ドラゴンを襲っている魔獣に、俺をいたぶっている魔獣に、そしてなにも出来ない自分自身に対する怒りが、体の奥から何か炎が大きく燃えさかっていくように湧き上がってきた。 魔獣が俺の体を蹴った、どの程度弱っているのかを確認するかのように。 地面を転がった、蹴りに合わせて出来るだけ衝撃を軽減できるようにするためだ。 俺はよろけながらも、立ち上がろうとした。
(アタマにきた、死んでやろーじゃないか。 でもタダじゃ死なない、あいつの片足だけでも吹っ飛ばしてやる。 集中しろ、集中するんだ・・・) 立ち上がったが、足がふらついた、手を魔獣に向けて伸ばそうとしたが手に力が入らなかった。 また意識が朦朧としてきた。 握力がなくなり、右手に握っていたお守りが手から落ちた。
(まだだ、集中するんだ、一発くらわせろ・・・) 魔獣が笑いながら近づいてくる。 しかし俺の意識はまた飛びそうだった。 目の前が真っ白になり、自分が今立っているのかどうかも分からなくなり、そのまま意識を失った。




