10-5 修行(1)
「私の後をついて来るのだ」 アグレルはそう言うと、山道を駆け上り始めた。 道とは思えないような荒れた地面を軽快に上って行く姿はとても老人のそれではなかった。 俺たちは遅れまいと必死についていくのだが、次第に離されていった。 起伏のある、石がゴロゴロ転がっている地面を、転ばないように走るのは容易ではなかった。
山頂に続く尾根の一つに到達すると、その石の上でアグレルは俺たちが到着するのを待っていた。 そして到着するやいなや、「では戻るぞ」そう言うと走って下り始めた。
「えっ、少し休ませてくれー」とリース。 くだりはまた別のルートを通った。 往復の道のりは10キロぐらいだろうと思われたが、全員が戻ってくるまで約2時間かかった。 一番遅かったのはリースとアドルで、以外と速かったのはホーリーとハルだった。 俺たちは到着するとそのまま地面に倒れ込むように転がった。
「寝ている時間はないぞ、あと3往復だ。 モタモタしていると日が暮れるぞ」とアグレル。 彼女の息は少しも上がっていなかった。
「エーッ、死んでしまう」とエレイン。
「つべこべ言わずにさっさと行け。 30分で往復できるようにするのだ。 それからそこのマブル族、獣化は反則だからな」
「そんなー」とアドル。 4回目が終わった時には、もうとっくに暗くなっていた。 皆フラフラになって真っ直ぐ歩くのも難しい状態だった。
夕食の後、今日はこれで終わりかと思ったら、甘かった。 アグレルは小屋の中で話し始めた。
「お前達、剣と槍ではどちらが強いと思う?」
「槍の方が間合いが遠いので剣よりは有利な場合が多いとは考えますが、戦いの状況や相手によって変わってくるので一概には言えないと思います」とレオン。
「その通りだ。 だから戦いにおいては常に頭を使う必要がある。 しかし人は無意識に自分の最も得意な武器で戦おうとする、不利な状況でもな。 だがそれでは勝てぬ、常に最善の手を考え戦わねば生き残れないのだ。 それで各自瞑想して、敵と戦うのだ」
俺はあぐらを組むと、瞑想を始めた。 相手は水晶の王だった。 あの時にあれをしたら、こうしたらと考えるのだが、何度やっても負けるのだった。
「こら、寝るな」 アドルがアグレルに殴られていた。 そんなことが1時間ほど続いて、今日の修行が終わった。
「明日は日の出と共に起きて、朝食までに尾根まで2往復だ」
「えーっ、死ぬ」とエレイン。
「死ぬ、死ぬっていう奴に限って簡単に死なぬわ。 さっさと寝ろ」
次の日から本格的な修行が始まった。 山の登り下りだけでなく、日中は森の中を駆け回る課題が加わった。
「良いか、山の登り下りは目的が二つある。 体の強化と呼吸法の習得だ。 森の中を駆けるのは、体力の増強の他に瞬時の状況判断を養うためだ。 常に周りに気をつけないと枝にぶつかる、木の根につまづく、蛇が出るかもしれない、岩で足を切るかもしれない。 次に起こることを予測して瞬時に対応する訓練なのだ」 午前中は森の中を駆け回って過ぎた。 ほとんどの人間が額にこぶをつくり、腕や膝にすりむいた傷を作っていた。 皆が必死になって頑張っていたとき、一人だけ気ままに遊び回っている奴がいた、グレンだ。 グレンは日中は山の上を飛び回って遊び、夕方になると戻ってくるのだった。
午後になると、アグレルは箱を持って来た。 その箱を空けると、糸やひもが入っていた。 庭に打たれた杭の上に黄色の柿のような果実が載っていた。
「これからやるのは、レムの効果を最大化するための修行だ」 そう言うとアグレルは30センチほどの糸の端を数回人差し指に巻いた。
「カケルはまだレムの効果的な使い方を分かっていない。 ただあふれ出るレムをダダ漏れさせているだけだ」
「そうですか」
「お前は威力を上げるには、放出するレムの量を増やせば良いと考えているだろう。 だがそうではない、少ないレムでも効果を最大化出来ればこんなことも出来るのだ」 そう言うと、糸を巻いた右手を素早く振ったかと思うと、杭の上に載った果実が真っ二つに切れたのだった。
「えっ、今その糸で斬ったのですか?」とエレイン。
「そうだ、糸に意識を集中して、糸にレムを載せたのだ。 これをやってもらう」
俺たちは、いきなり糸では無理ということで、与えられたのは太めのひもだった。 それを水につけて重くすることによって振ることが可能になった。 しかし杭に巻き付くものの、切るなどとうてい無理だった。
「これらは全てカケルを基準に考えたものだ。 他の者は自分のレベルに合わせてやるが良い」
これも1時間ほどやった後、また山まで2往復させられた。
暗くなる前に夕飯を済ますと、俺だけ呼ばれた。
「これからまた山の上まで行くのだ。 走る必要はない。 あの石の上に座り、今晩一晩過ごすのだ」
「それは危険です」とレオン。
「そうだ、魔獣が寄ってくるだろう。 だが攻撃してはならぬ、攻撃せずに乗り切るのだ。 方法は二つ、彼奴等もバカではない、自分よりも強いと思ったら襲ってこない。 もう一つは無になることだ、存在自体を消して奴らに気づかせないのだ」
「無理ですよ、あの魔獣たちはアグレル様の支配下にあるのですか」とレオン。
「そんな訳あるか、だが奴らは私には襲ってこない。 奴らも私を襲えばひどい目にあうと分かっているからな。 他の者はここで瞑想するのだ」
俺は星を見ながら岩の上にあぐらをかいて座っていた。 星の瞬きがきれいだった。 周りから聞こえるのはきれいな虫の音と遠くに聞こえる遠吠えだけだった。 俺は瞑想を始めた。 頭の中で水晶の王との戦いを色々とシミュレーションしてみた。 やはり何度やっても勝てなかった。
ふと気づくと、周りに何か違和感があった。
(何かいる。 それも1匹ではない複数で囲むようにいる) 俺は刺激しないように息を殺して静かにしていた。 だがそれらは次第に近づいてきた。 足音を消して少しずつ、少しずつ岩の影から黒い塊が見えた。 金色に光る二つの目が一瞬見えた。
(狼だろうか。 来るんじゃない、あっちへ行け) そんな願いとは裏腹に目の前に、大きな狼のような魔獣が5匹現れた。 一番大きな奴が静かに近づいてくると、俺の臭いをかぎ始めた。 暖かな臭い息が俺の顔にかかったが、俺は刺激しないように動かなかった。
(動揺するな、気持ちを見透かされるぞ。 弱いと思われたら襲ってくるはずだ。 落ち着け) 俺は万一に備え、レムで体を保護した。 ボスと思われるそいつは、警戒しながら俺の周りを回っていたが、突然俺の肩に噛みついてきた。 しかしレムで強化した体には牙は通らなかった。 しばらくガジガジあちこちかじっていたがその内諦めて離れていった。 その後も別の魔獣が現れ、結局襲われたがその内諦めていくのだった。 その晩は一睡も出来なかった。 ようやく明け方になり少しウトウトしたところへ、ホーリー達が様子を見に来た。
「カケル様、ご無事ですか」とレオン。
「ああ、なんとか」 そうは言っても俺の体は細かい傷だらけ、魔獣のよだれだらけだった。