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トリケラトプスに触りたい

作者: Gakio

十七歳、高校二年の秋だった。藤崎秀悟は人生に絶望していた。といってもこの絶望は彼自身知っている通り、偽物の絶望だった。秀悟は十四歳で一度目の絶望を味わった。十四歳は人間が最初に絶望する年齢として最もありふれている。そして十七歳でむかえた二度目の絶望も、日本中の十七歳が体験しているごく一般的な絶望だ。

彼は野球部に所属している。田舎の公立で、偏差値も平均的な高校のチームだ。夏の地区予選はベストエイトが最高で、ここ三年間初戦敗退している。しかしそんな弱小野球部で最高学年となってからも秀悟はベンチを温めている。彼のポジションである外野に後輩の一年が出場していることは彼の憂鬱の一つの要因だ。

秀悟が参っているのにはもう一つ理由がある。それは仲のよかった吹奏楽部の女友だちに告白して振られたことだ。男女四人で都心にショッピングに行った帰り道、二人きりになったところで好きだと伝えると、藤崎くんとは友だちでいたいと言われた。ネットで調べた通り、OKをもらいやすい夕暮れの時間帯に告白したのに。秀悟は自分がモテない理由を考えて、自分なりの答えを出した。一つは不細工な顔面、もう一つは全く上手くない野球。丸刈りにしているせいで、容姿がさらにひどくなっている気がする。それだったら下手くそな野球そのものをやめればいいのに、でもそんな踏ん切りをつける勇気がない。だって野球が好きだから。

そんなわけで何もかも嫌になって、ある朝彼はベッドの上から動かなかった。母親が起こしに来たが「しんどい」と言って布団の中に潜っていた。母親は机に風邪薬を置いて「ひどくなったら病院に行きなさいよ」と言って仕事に出かけた。高校をずる休みしたのは初めてだった。ずる休み自体が十四歳以来だった。しかし三年前とは違うというのは秀悟自身よく知っていた。あの頃よりは大人になり、あの頃よりは世間の仕組みや自分の限界を少しは心得ているつもりだった。


目が覚めると昼前だった。どうやら二度寝していたらしい。お腹が空いたので、秀悟は台所に立った。ハムを切って焼飯を作った。自分で作ったことと、できたてを食べたことで、秀悟は少しだけ元気になった。それで部屋に戻ってゲームをしたりアニメを観たりインターネットをしたりした。

気がつくと陽が傾いていた。季節が冬に向かっているのだと、窓を開けて風を肌で感じながら秀悟はもの悲しい気持ちがした。秋の風は孤独な匂いを孕んでいる。

秀悟は服を着替えて外に出た。彼は散歩が好きだった。田舎道を歩きながら、欠伸をしている野良猫を見たり、羽をひろげて飛んでいるとんびを見たり、小川のせせらぎを眺めたりするのが好きだった。

そんな中、秀悟はあることに気づいた。このまま高校のほうへ歩けば、クラスメイトと鉢合わせするかもしれない。それは避けたい。彼は普段通らない道を進んだ。

ある道で、秀悟は若い女性とすれ違った。髪の毛をポニーテールにしている背の高い女性だった。顔を見たときはっと思った。秀悟は高校に自転車で通っている。部活帰りに友だちとゆっくり自転車を漕ぎながら、よくすれ違う女性がいる。その人だ、と気づいたときには秀悟は回れ右をして、三十メートルほど後から尾行する形になっていた。秀悟は彼女を追いながら、(俺はストーカーではない)と自分に言い聞かせていた。秀悟は何かに取り憑かれているような感じだった。なにか磁力のようなもので引き寄せられている感じだった。今日学校に行っていたら、もう少し早いタイミングですれ違ったであろう、そして決して後を追わなかったであろうこの女性がどこへ向かっているのかに強い興味があった。


女性は道を三回曲がった。そして十五分ほど歩いて辿りついた場所は、さびれかけたバッティング・センターだった。女性が入って行ったのを確認し、少し間を開けてから、秀悟は入った。バッティング・センターにくるのは中学校以来だった。

彼は七歳から野球を始めた。小学校の頃はよくここに通って練習した。二十球打った後に飲む自販機のジュースが最高だった。懐かしい気分になりながら、彼は券売機で券を買った。バッティング・マシーンには小学校低学年の男の子が入っていて、祖父と思われる人物が外から見守っていた。他には客はいなかった。

秀悟はしばらく、男の子のバッティングを遠くの方から眺めていた。ヘルメットが大きすぎる男の子はくる球くる球空振りした。バッドをもっと短く持ったほうがいいぞと思った。男の子が苦笑いしながら祖父の元に出てくると、祖父は男の子の頭を撫でた。男の子は照れたような表情をした。

秀悟はその様子を見て、自販機でプリペイド・カードを購入した。そして二番目に急速の遅い100kmのところに入った。

いくら補欠とはいえ高校球児である秀悟にとって100kmの軟球を打つのは容易である。彼は始めの一球から長打級の当たりを見せた。

何球も打ち続けるうちに、小学生の男の子が彼の存在に気づき、ボックスの外からじっと見入りはじめた。秀悟が十八球目に打った球が、たまたま「ホームラン!」と描かれた小さなボードに当たった。それで室内全体に高らかとBGMが鳴り渡った。祖父と孫は拍手していた。秀悟は驚いて次の球を空振りした。

バッターボックスを出ると、制服を着てバイトのシフトに入った例のポニーテールの女性が笑顔で立っていた。

「ホームランおめでとうございます。こちらをプレゼントいたします」

そう言って渡されたのはあるプロ野球選手を形どった小さなストラップである。秀悟は戸惑いながらそれを受けとった。

「お兄さんすごいね」と孫の肩に両手を乗せながら祖父が言った。孫は言葉こそ発しなかったが目を輝かせて秀悟を見ていた。

「ありがとうございます」

「実はこの子が来月から野球を習い始めるって言うんで、練習に来てみたんですが、正直言ってさっぱりなわけです。お兄さんに教えてもらいたいもんですよ。な」

肩を叩かれた孫は困ったように首をひねった。

「そんな、僕だって野球部ではベンチです。大したことありません」

その言葉を祖父は笑みを浮かべながら聞いて、その後しばらく黙っていたが、やがてはっきりした声でゆっくりとこう言った。

「どんな物事でも、歳をとればとるほど、大したことでもない気がするもんです。さっきのホームランが、子供の目にどれだか格好よく映ったか、もう我々には分からない。私なんか子供時代というと五十年も六十年も前になる。けれど、あの頃に見た格好いいもの、美しいものは、今でも決して忘れない。昨日見たものよりもよっぽど鮮明です」

秀悟の胸は喜ばしい気持ちで溢れた。

「おじいちゃん、喉かわいた」と孫が言った。それで二人は自販機に飲み物を買いに行った。

戻ってきて、秀悟のそばのベンチに座った。

「僕も小学校の頃よくここに来ていました。練習したあとにジュースを飲んだんです」

「どうやったらあの人みたいに打てる?」と、秀悟を指差して孫が祖父にしゃべった。祖父は秀悟のほうを見た。

「え?」と秀悟は戸惑った。手で女性から貰ったストラップをいじりながら、

「そうだ、このストラップを君にあげるよ。これをお守りにして、一生懸命練習を頑張るんだ。そしたらきっと上手くなる。あのボードにも何球でも当てられるようになるよ」

秀悟はストラップを手渡した。孫は冷たいジュースの缶を祖父にたくして、小さな両手でそれを受けとった。

「ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」


ジュースを飲みきったあと、祖父と孫はバッティング・センターに併設されているゲームセンターで、エアホッケーを始めた。秀悟は二人にさよならを言って、バッティング・センターを出た。すると入り口のところで例の女性が掃除をしていた。思えば彼は彼女を尾行してここにやってきたのだ。彼は嬉しくなって「ありがとうございました」と言った。

彼女はほうきを持った手をとめて、

「十年前の自分に会ってみてどうでしたか?」と言った。

「はい?」

「あ、でも表情が晴れやかだ! 過去の自分に会うというのは素晴らしいことです。今の自分とこうも違っていたんだと知って、温かい気持ちになれますから。今度は、十年後の自分に会ってみたくなりますよね」

「…………」

「実はわたしもついこの間、昔の自分に会ったんです。何もかも嫌な時期で、生きてる意味を失いかけてたんですけど……。あ、あの頃のわたしはこんなにも純粋で、夢を見ながら旅してたんだって知って、元気が出たんです。それからわたしは十年後の自分に会うために毎日を生きているんです」

秀悟は上手く返事ができなかった。

「ご来店ありがとうございました!」

女性が深くおじぎした。秀悟も会釈して歩き出した。秋の風が強く吹いた。

少し歩いてからバッティング・センターのほうを振り返った。女性は何事もなかったかのようにほうきを動かしていた。このとき秀悟は、彼女の言ったことがまだよく飲み込めていなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 物凄い面白いです。 場面が変わるのに、それを感じさせない文章力が素晴らしいと思います。 あとは物語もとても良いですね。最後の女性のミステリアスなセリフも良いですね。こんなに素晴らしいお話を…
2019/01/10 15:15 退会済み
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