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液体パソコン取り扱い説明書

作者: 愛餓え男

挿絵(By みてみん)





 この度は、ALTL-1000をお買い上げいただき、誠にありがとうございます。ALTL-1000をご使用の際は必ず本書をお読みいただき、内容をご理解の上、正しくご使用ください。また、お読みいただいた後も、この説明書は大切に保管してください。本製品にご不満の点があった場合、ご購入から十四日間以内ならばご返品いただけますが、ご返品の際には本説明書、およびご購入いただいた際に本製品を納めていたプラスチックケースが必要です。

※本製品のお取り扱いにはお気を付けください。従来のコンピューターとは全く違う、有機的なコンピューターとなっております。ご返品いただく際にも、必ず重量を計測させていただき、ご購入量を満たさぬ場合には返品をお断りする可能性があります。



――



 僕は最新型のコンピューターを買った。


 特に新しい物好きなわけでもない僕がこんな最新型に手を出したのは、ただ単にすぐに使えるコンピューターが必要になったからだった。ずっと古いパソコン(もちろん固体の)を使っていたが、今朝突然壊れてしまったのだ。それも、棚に置いていた花瓶の水をこぼしてしまったという、情けない理由で。

 同じ過ちを繰り返さぬようにと、僕は思い切って完全防水性のこのコンピューターを買うことにした。また組み立てが一切必要なく、買えばすぐに立ち上げられるというのも魅力だった。その時、僕はとんでもなく気が急いていたのだ。



――


 ※本製品には、従来のコンピューターのデバイスは直接ご使用いただけません。従来のデバイスをお使いになる場合には、別売りの変換プラグが必要となります。


――



 新品を買った時というものは無条件にワクワクするものだ。きっと昔、新しい掃除機ややっと買ってもらったゲーム機を家族で持って帰った時の記憶が、条件反射的にそういう気持ちを抱かせるのだろう。


 でも、この液体パソコンを買った時は、少し話が違った。


 新しい電化製品といえば、硬くて独特のにおいがする段ボール箱の中に発泡スチロールやプチプチした気泡緩衝シートに抱かれるように包まれてひっそり収まっているもの……という概念を持っていた僕は、付属書類一式と液体パソコンが収まったポリ袋を、小学校の水着用みたいな味気ないプラスチックバッグにそのまま入れて手渡された時には、ある種のカルチャーショックを受けた。


 帰り道、歩く度にゆさゆさと揺れる中身が、まるで動物の死体を運んでいるかのような錯覚を起こさせる。電化製品を買ったという実感は全く無く、僕は自分が何か得体のしれないものを掴まされたかのような、不気味な感触を味わった。




――


 付属品の説明:付属品が足りなかったり、購入したものと異なっていたりする場合には、購入窓口までご連絡ください(➡背表紙)。数量の記載がない場合、各一個付属します。


 ALTL-1000シリーズ

■バッテリーパック バッテリーパック(L)      品番:ALTLBP-102

■リキッドインターフェース「PORIN」デバイス   品番:AQA-LT67

■「PORIN」動作テスト用リキッド


・保証書

・本説明書

・無線LAN接続ガイド

・修理依頼書


――




 気が急いているときは、ろくなことが起こらない。


 帰宅後、上着を脱ごうともせずにプラスチックバッグから液体パソコンを取り出して力づくでポリ袋を破ろうとした僕は、その際の力加減を誤り、中身を床にぶちまけてしまった。


 遅くなった時間の中で、僕の感覚だけが、ゆっくりと落下する液体パソコンを捉え続けた。

 だめだ、壊れる。後悔してももう遅い。――もう一度電気屋さんに行くしかないか――僕は一瞬で全てを諦め、全身の力を抜いた。



 ところが液体パソコンは見事に僕の予想を裏切り、「ぱちゃ」というなんでもない音を立てて、床のラグに着陸した。衝撃で壊れてやしないかと不安になったが、あまりにも何でもない先ほどの「ぱちゃ」という軽い音を思い出すと、そんな不安など抱くほうがおかしい、という気分になって、自嘲気味に笑う。


 このパソコンはあまりにも常識外れだ。僕の知っているパソコンとは違いすぎる。やはり、きちんと説明書を読むべきだ。それに、一度気持ちを落ち着かせたかった。



――


 組み立て:組み立ては不要です。本製品をお使いになる場合には、付属のシリコンバッグに入れたまま、中身を出さないようにしてお使いください。画面素子とキーボード素子は、ご利用者様の状況に合わせて自動で移動、局在化します。また、画面は投影式となっており、仮想画面に映し出されます。


――



 僕は、一通り説明書に目を通してから、床に落ちたポリ袋の中身を取り出した。何枚かの包装を破り、少しザラッとした触感の厚手のシリコンバッグを手にした僕は、そこで途方に暮れてしまった。


 僕とて、なにもパソコンを買うのが初めてというわけではない。しかしこいつは、従来のそれとは作りが全く違う。電源ボタンも充電プラグも見つからないし、そもそも、どこがなんの部分なのか分からない。

 外観は完全に、ただの透明な水が入った袋だ。


 それでも僕は、もっとよく観察しようとして液体パソコンの筐体(箱ではないから、この表現が正しいのかどうか)を、窓から射し込む朝の光に翳した。袋に入った水よりも少し屈折率が高いらしい液体が、朝の光を反射してキラキラと輝く。

 機械らしく、腕にずっしりとした重みがかかる。機体がまるで脳みそのように柔らかいから、なおさらそう感じるのかもしれない。




――――。一体、どうやって動かせばいいのか。



 電源スウィッチ。パワーボタン。そういった感触を探して、半透明な筐体の表面を、するすると手のひらでなぞった。すると少しざらついていた表面が、あるところで突然ツルリとした触感に変わる。すると、突然本体が音を出して、微かに振動を始めた。所々で赤や黄色のライトが灯り、ようやく液体パソコンが目を覚ます。



 眼前に、仮想画面が浮かび上がった。



――

4:Windowsをセットアップする


■ Windows17プレミアムのセットアップ


!!重要 Windowsをセットアップしている最中、何度か画面が真っ暗になったり、同じ画面が表示されたりしますが、セットアップに伴う正常な動作で、故障ではありません。


・手順


(画像1)

 「設定」をタッチ

(画像2)

 「次へ」をタッチ

(画像3)

 マイクロソフト ソフトウェア

 ライセンス条項をよく読む

 「承諾する」をタッチ

(画像4)

 「この手順をスキップする」にタッチ


…………



――



 説明書に従って、ひとつひとつパソコンを設定してゆく。この単純な作業は、むしろ僕の気持ちを更に焦らせていた。OSの設定が終わったら、次は国民ネットの設定、無線LANの接続設定、国民番号の照合などを経て、漸くメールボックスを開くことができる。

 液体パソコンが静かにOSの設定を行ってくれている間、僕は逸る気持ちを抑えようと再び説明書を手に取り、先ほどちらっと見て気になっていたページを開いた。



――


7:リキッドインターフェース「PORIN」について


 PORINとは、インターフェース表面に付着した液体を感知してそれに対応した反応を起こすALTLシリーズの自律機能です。

 PORINは自動で起動し、ALTLシリーズの表面に特定の液体が付着すると、それにともなって動作します。


 まず、付属の「動作テスト用リキッド」を使用してお試しください。



――



 そうだった。


 液体パソコンには全く新しいインターフェースが搭載されていると、巷で噂になっていた。僕も少し興味があったものの、まさか当時買ったばかりの「固体パソコン」をすぐに買い換える訳にも行かず、そのまま忘れていた。


 話によると、立ち上げる際にロックを使用者の汗の成分で解除できたり、キスすると音楽が鳴り出したり、酒をかけると歌い出したり……。

 とにかく、ありとあらゆる成分がプログラミングされており、それに対する動作も、無数にあるらしい。僕も早速やってみたくなったが、まず何よりも先にすべきことがある。それが終わるまで、僕の気は休まらない。



――


11:国民ネットの設定方法


※本製品にはLANケーブル接続端子がございません。国民ネットへの接続は、無線LANルーター(別売り)をご使用ください。



・手順


(画像1)

 「コントロールパネル」をタッチ

(画像2)

 「ネットワーク認証」をタッチ

(画像3)

 「国民ネットの設定」をタッチ

(画像4)

 改正第二十号 国民ネットワーク取り扱い方及び使用目的並びにそれについての罰則を定める法律

 をよく読む

 「是認」をタッチ


…………



――



 USBの変換プラグを買い忘れた僕は、USB端子のない液体パソコンにマウスもキーボードも繋ぐことが出来ないせいで、作業に大変手間取っていた。

 ただでさえ気が急いているものだから、25桁のパスワードや132桁の国民番号の入力などで、いちいち時間を食う。時刻は、もう昼と言っていい。…………彼女からは、とっくに返事が届いているはずだ……。


――小心者の僕が意を決して書いた、電子メールの恋文。昨日深夜、酒の力も借りてやっと押すことの出来た、四角い送信ボタン。計り知れない他人の心に震える僕の体は、眠ることも出来ずにパソコンの前に座り続けた。


…………もちろん、深夜に返信が来るはずはない。朝まで粘って耐え切れなくなり、水を飲もうと立ち上がった時、この間母が活けてくれたチューリップの入った花瓶を棚にぶつかって落としてしまった…………というわけだ。



――



仕様書


CPU         第23世代インテル Core i85 dxPro プロセッサー


OS          Windows 17 Pro 256bit (日本語版)


SSD         623GB


メモリー容量    最大126GB RPDDR233


ディスプレイ    STENJI ホログラフィック仮想ディスプレイ 


バッテリー使用時間 約 968.3時間(最大) JEITA測定法 Ver.13.0に基づく測定時


質量         約 2.2kg(外装バッグを含む)

 


――



――――ついに、国民ネットが繋がる。僕はすぐに、郵政省のメールボックスを開いた。


 再び国民番号とパスワードを入力する作業。



「3-2-3-1-g-r-5-5-5-6-6-9-9-5-6-4-7-…………」



 どうせ心臓の鼓動で聞こえないくせに、一文字ずつ声に出して読みながら、一つずつ正確にキーをタッチする。時間はやけに過ぎるのが遅く、呼吸はやけに苦しい。胸が、大きな石をつめ込まれたみたいに重だるい。それなのに、気分はやけに高揚していた。




 国民番号の入力は終わる。奇跡的に一回で成功した。次はメールアドレスのパスワードだ。これは、失敗するわけがない。何しろ、何しろ、なにしろ……彼女の名前と、誕生日だからだ。




 その後永遠とも思われた読み込み時間が終わり、もはや心臓の鼓動以外何も聞こえない僕の視界に、彼女の名前が飛び込んでくる。返事が来ていた……。





――



(件名なし)       10月23日 8:33(5 時間前)


from 高杉 かな

to  自分


―――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――


やっほー、メールありがとう!朝からびっくりしたよ(^_^;)


すっごく嬉しい!けど私、実は彼氏いるんだ(´・ω・`)ごめんね。


でも、本当に嬉しかったよ(*^^*)今までと同じようには難しいかもしれないけど、友達として今後も仲良くしてくれると嬉しいな(*^_^*)


じゃあ、また学校でね(。・_・。)ばいばーい(^_^)/~


―――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――



――




 仮想画面のライトに照らされた僕の顔は、もう動かなかった。


――彼氏、そりゃいるよ。あんなにかわいいんだから。……今後も友達で居てくれるって……優しい子じゃないか。



 どんなに自分で自分を慰めたところで、するすると流れる涙は止めようがなかった。涙管からあふれた水滴は、まなじりから頬を伝って、顎先で少しとどまってから、液体パソコンの筐体に落ちる。


 その時、液体パソコンに劇的な変化が起こった。




――――――――PORIN――――――――――




 画面にそう表示されると同時に、急に液体パソコンが涼し気な水色の光を放ち、気分を落ち着かせるような香りが立ち上って、雰囲気にぴったりの悲しげなバラードが流れ出した。



 筐体の表面にあるセンサーが涙の成分を感知して、リキッドインターフェース『PORIN』を起動させた――理屈で言えばそういうことに過ぎないのだろう。だが今は、パソコンが僕を気遣ってそうしてくれたようにしか思えなかった……。




「ありがとう……でも、なんて余計な機能だ……」


 僕は、一人ぼっちでそう呟いた。


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[良い点] 丁寧な描写がとてもリアリティがありました! とても興味深く拝読しました。 [一言] ラストの展開が、近未来でも切なくも人間味のあるものとなっていて、なんだかホッとしました。 ユーモアのさ…
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