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「て、いつまで抱きしめとんじゃ、このロリコンが!」
そう言って紅子は身体をくねらせ、礼御に解放を求めた。細い腕で礼御の胸を押しのけようと必死になっている。
「おぉ……すまん」
今回ばかりはロリコンを否定しきれないかな、と礼御は自分が取ってしまった行為に今さら照れて、紅子を離した。すると彼女はすぐさま礼御から少しだけ距離を取る。
紅子は普段通りの口調に戻っていた。なおもロリコンだ、変態だ、と自分の主をけなしている。それでも彼女の顔や瞳に赤みが残っているのを見ると、礼御は素直にその暴言を受け止めるしかなかった。
そんな自分の表情を悟られまいとするように、紅子はそっぽを向いて強引に話を戻す。
「それで、主様はわしに何かききたかったのではないのか?」
その通りであった。礼御の頭は当初考えていた疑問から大きく外れてしまっていたが、ようやくそれを思い出す。
礼御が異形のモノに喰われる心配はどれだけあったのか。紅子の言い方では、異形が礼御のことを積極的に喰らおうとするとは到底思えない。食料にはなるかもしれないが、それ以外の何でもない。下手に意味不明な力を持つ礼御を喰おうとするよりは、もっと別のモノを食料にするのではないだろうか。
だとしたらあの魔術師の言葉はどういう意味があるのだろう。なぜ彼女はわざわざ『喰われない』よう礼御に注意を促したのだろうか。
玉藻のような特別に気をつけろと言いたかったのか。しかしそれはかなりピンポイントの注意だ。もしくは紅子のような特別が礼御の中にあるのか。
礼御がそういったことを紅子に伝えると、彼女は馬鹿にしたような目つきで礼御を見た。
「それはないじゃろうて。わしみたいな特別が礼御の中にある? ないない。それはない」
「じゃあなんで葵さんは俺にあんなことを言ったのさ?」
「わしが知るかよ、本人に聞け。……しかし、まぁ単純に考えたら、玉藻殿に気をつけろって意味じゃろうの」
紅子が何気なくそんなことを言うものだから、それにこそ礼御は馬鹿にしたそうに笑って返す。
「それこそないだろ」
「じゃろうのー」
「……だよな」
「まぁ。その魔術師にとって礼御にそのような嘘をついていた方が都合が良かったなんて――!」
そこで唐突に状況に変化があった。まず不穏を口にするのは紅子である。さすがは家守りといったところだろう、異変にいち早く気が付いた。
「この部屋に注意を向けた魔術師が近づいておるようじゃ」
そのフレーズに対して礼御は反応に困った。未だ魔術師という存在の扱い方がわからない。
礼御が魔術師と聞いて思い出すのは、雨無 葵という女の魔術師である。また葵についていた空子という少女も思い出された。そして黒い服を身につけた、見るからに怪しかった者。字深 蓮武と名乗った魔術師である。
「そいつは女の人か?」
礼御は冷静を装い紅子に尋ねた。仮に葵だとしても、わざわざ礼御の元を訪れる意味が分からない。――いや、まったくわからないというのは嘘である。
緊張する礼御とは別の理由で身をこわばらせる紅子は、礼御の問いに慎重に答える。
「いや、男じゃ。……かなりやり手の魔術師のようじゃ」
「男……」
それを聞いて礼御はその人物があの男であると確信した。根拠はない。しかし礼御の勘はそう告げる。
何を目的とし、自分に近づいてくるのかが分からない以上、無防備に彼と対面するのは無謀だと礼御は考えた。その判断を察してか、紅子は静かに床の中央に正座すると「安心せい」と穏やかに呟き、続ける。
「わしは家守り妖怪の赤しゃぐま。家主、屋敷を守ることにかけて右に出るものはおらん。たとえ世界が滅んでも、屋敷の跡くらいは残せるぞ」
紅子はすっと目を閉じ、まるで自身が大黒柱とでも言うように、ただ静寂で、そしてこの部屋を支えんばかりの気迫が礼御に感じられた。
紅子は本気である。その姿勢に礼御は、自分は何もしなくていいんじゃないかとまで思えてきた。しかし本当にそれでいいのか、と礼御は自身の在り方を疑った。
身体は痛む。正直、戦闘など御免である。いくら魔術が効かないといっても、あの巨漢と殴りあえば、結果は見えていた。
そして礼御には一つの違和感があった。違和感というだけあって、その感覚が一体何由来のものなのか、礼御には判断できない。
体力は回復する。フルマラソンを終えた後、すぐに同じ距離を走ることは無理でも、休めばもう一度走り切ることが可能だろう。
傷も治る。今回の戦いで多くの箇所に打撲を負ったが、それもじきに治り、痣として残ることもないだろう。
これらと似ている違和感。けれど圧倒的に異なる感覚。まるで何かが磨り減っていっているような、礼御はそんなイメージを自身の身体の内側より感じ取っていた。
そこで甲高い電子音が部屋中に響いた。
礼御の身体は反射的にその音に反応する。紅子は俯いていた頭をさらに下げた。
二人は動かない。紅子はそうすることが自分の役目であり、もし動くとしたらそれは礼御の役割であった。
もう一度、チャイムが家主を呼ぶ。
すると声を上げて反応したは玉藻だった。
「んあぁ? 礼御、紅子。寝てんのか?」
玉藻は少々慌てた様子で二人の元にやってきた。元いた場所はシャワールーム。急いでいたためか、半裸――喜ぶべきか、少女姿だ――である。下はショーツを履いているからいいものの、胸は首から下げたタオルで隠れているだけだ。あんまり活発な行動はいただけない。
「お? なんだ普通に起きてんじゃん。――どうした紅子、真剣そうに祈りこんで……。誰だ、来てんのは?」
最後の一言で玉藻が状況を把握したことは明白だった。小さな炎が玉藻の身体を走り回ると、濡れていた彼女の身体は一瞬で乾き、普段の衣服となって玉藻の身体をおおった。
玉藻の質問に礼御が答える。
「魔術師らしい。男の……。かなりのやり手だそうだ」
玉藻はそれを聞くと思慮深い視線を魔術師が立つであろう先に飛ばした。が、それもすぐに終わった。玉藻は伸びをしつつ、お気楽にも冷房をつけて涼み始めた。
「おい、そんな感じでいいのか?」
礼御は玉藻の悠長さに驚き、混乱の声を挙げた。すると玉藻は不思議そうな顔をしている。そんな表情の二人が見つめ合ったままでいると、急かすように今度は二度チャイムが鳴った。
「――そっか、そっか」
礼御の態度に玉藻は合点がいったのだろう。玉藻は紅子を指差して言う。
「この部屋には赤しゃぐまがいるんだぜ。魔術師ってモノが、お前には全能の存在に見えてたとしたら愚かだぞ。それはもう魔術師でも、人ですらない。そんなのがいる未来を見てみたいね」
玉藻はそう言って小馬鹿にした笑みを空に向けて放っていた。
「つまりだ。赤しゃぐまの守る屋敷に踏み入るなど、全世界の魔術師の中でも五本の指くらいには入らないと突破できやしないぜ」
そう玉藻は褒め称えた。それに対して紅子は「さすがにいいすぎじゃ」と少しばかり否定したが、盛りすぎた話ではないようだ。紅子は自信ありげに、まだ床の中央付近に正座している。
礼御の気分と一転して、二人の妖怪は余裕に満ちていた。
その五本の内の一人だったらどうするんだ、と礼御はありえないでもない妄想に囚われる。
そんな礼御の内心を入れ替えさすように、玉藻は礼御の想像しきれない突飛な行動をするのであった。
「てなわけで、尻尾を巻いて帰れよ、魔術師! お前程度じゃ、越えられないだろ。目的がなんだか知らねえが、とぼとぼ帰宅するのがお似合いだぜ!」
玉藻はそう扉に向かって叫ぶと、下品な笑い声で見えぬ相手を刺激した。礼御はそんな彼女の行動になお焦った。床に小さく座っていた紅子まで堪えるように笑い出すため、始末が悪い。
「やめろよ。挑発するなって!」
「ぁあ? お前は心配しすぎだ、礼御。紅子を信用しろよ」
「じゃなくって。俺だってずっと部屋にいられるわけじゃないんだぞ。外に出たときどうすんだよ」
「……確かに」
「お前はもうちょっと、考えろ!」
「しちゃったものはしょうがないだろ。諦めろ」
「お前……なぁ!」
「お主ら!」
礼御と玉藻の痴話喧嘩を止めたのは紅子であった。
紅子はさきほどまでのクスクス笑いをやめて、謎めいた表情で玉藻に報告する。
「なんか、外の魔術師なのじゃが……。玉藻殿の名を呼んでおる」
「?」
玉藻は紅子の言葉で紅子と同じような顔をした。
「他に何か言ってるか?」
「うむ。『相変わらずだな、玉藻前。少しは尾の数が増えたのか』と」
「……」
明らかに玉藻という妖怪を知っているようだった。礼御は見えない相手に身構えたが、玉藻は天井を見上げると目を閉じた。
「『部屋の結界で俺の存在がわからんか』とも言っておるぞ?」
「まぁ、確かにわかんないけど」
「……この結界、改良が必要じゃの」
その後わずかな沈黙が部屋に流れた。それは外の魔術師の沈黙を意味している。そしてその沈黙が解かれるのにそう時間はかからなかった。
紅子は男魔術師の言葉を復唱する。
「『俺だ、字深 蓮武だ。玉藻』」
やはりそうか、と礼御は自身の勘を褒め、すぐさま一度会ったことのある彼が一体何の用で来たかという問を投げかけようとしたときである。すでに行動を開始していたのは玉藻だった。
魔術師が名乗り終えるのと同時に駆け出し、何の躊躇もなく玄関の鍵を開けた。
「おい、紅子。結界を緩めてくれ」
玉藻にそう指示された紅子は困惑していた。あくまで紅子は礼御の部屋を守っており、その主は礼御である。礼御の許可なしに解除できるわけがなかった。
そのため紅子は礼御を見るが、礼御だって今の状況が分からない。分からずとも玉藻は行動とやめず、扉を開く。
その行為に礼御は慌てふためく。確かに扉が開いた先に立っていたのは、あの時出会った巨躯の男であった。
「あ、安心せい。扉が開いても結界が解かれたわけではない。あの男は入ってこれん」
紅子の言葉を聞きつつも、礼御の頭はどうにも視界から入ってくる情報の方を優先する。少女姿の玉藻の尻部には四本に増えた尻尾が顕になっていた。嬉しそうにその尾が揺れている。一向に緩まらない結界を見て玉藻はじれったそうに再度要求してくる。
「心配するな、礼御。こいつは字深 蓮武。あたしの元相棒だ!」
その言葉を疑っていても仕様がなく、礼御は紅子に玉藻の要求を飲むように言った。
まるで狐に包まれたような気分であった。




