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礼御の声が響き終えると同時に礼御は赤い炎に取り囲まれた。
先程までそこにあった触手は業火に焼かれ、次々に崩れ落ちる。苦しみにも似たその触手の焼ける音が一つ、また一つとなくなっていった。
「お呼びかな」
そして玉藻が降ってきて礼御の横に着地した。姿は少女のままである。しかしいつになく表情がニヤついて飄々としている。
「早かったな」
礼御は敵から視線を離すことなく、玉藻に話しかけた。
「そりゃ、お前を助けるって言ったろ。あたしは嘘をつかないよ」
「嘘つけ」
「バレたか」
「気絶してなくてよかったよ」
「あれは痛かったぞ。もう少しゆっくり寝ていたかった」
実に気楽なやりとりであった。その間、幽鬼は先の焼け落ちた触手を自身の元に戻していた。幽鬼はようやく礼御を直視する。
「なんだ、雑魚じゃないか。あんなのに苦労してたのか?」
「あぁ、俺のせいでな」
「……ははーん」
玉藻はどういった経緯があったか、礼御のその一言と唐傘の残骸から察したらしい。
「で、あいつを消し炭にしたらいいのかい?」
玉藻はそう言うとあからさまにストレッチを始めた。玉藻は単なるそれを礼御が望んでいないことをわかっているようだった。
「いや、少しだけ時間を稼いでくれ」
玉藻は自分が思ったとおりの返答をされたので、愉快に思った。
「俺があいつを倒す。お前には少し聞きたいことがあるんだ」
幽鬼は悠長な会話を待ってはくれない。礼御がそう言い終わる前に、再度触手を勢いよく伸ばしてきた。が、それを玉藻が許すはずもなかった。迫る触手に対して、玉藻は手のひらを向けた。その掌に小さな火が灯ったかと思うと、それは膨れ上がり、すべての触手を迎撃した。
玉藻は余裕を浮かべて、「ふふん」と笑う。
「で、聞きたいことってなんだよ。あんまりちんたらしてると殺しちまうぜ」
頼もしいな。礼御は心底そう思い、簡潔に疑問を述べる。それはもう解答を求めているのではなかった。いわば答え合わせである。
「俺にお前の炎は効かない」
「そうだな」
玉藻は答える。無数に襲い迫る触手と遊ぶように炎を操り、焼き払っている。
「じゃあ、俺がお前の爪で引っ掻かれたらどうなるんだ?」
礼御の背中を差した数本の触手。その触手の先から三十センチほどのところに血がついていた。確かに礼御の背中に傷ができ、出血もしていた。しかし三十センチも貫かれてはいない。礼御が受けた傷の深さはせいぜいアイスピックで刺された程度といったところだろう。
ではなぜ触手の先端に血がついていなかったのか。触手はその先端から三節目あたりまで消失していた。礼御の皮膚に触れた瞬間、礼御の皮膚に刺さりつつも、礼御の身体に宿る異能により触手は消失していったのである。触手の三節目あたりについていた血は確かに礼御のものも含まれていたが、ほとんどが触手の消失口から溢れた、幽鬼の血であった。
「なにも変わらないさ。あたしの炎が消されるように、あたしの爪が消されるだけさ」
それを聞いて礼御は安心した。そして同時に、やれる、と確信した。
「玉藻もういいよ。下がって紅子を守ってくれ」
そう礼御が命ずると、玉藻は「はいはーい」と楽しげにそれに従った。
礼御は前に出る。もう自分と幽鬼を隔てる存在は何もなかった。
礼御は幽鬼を見る。触手は先端が焼けているものが多かったが、数は減っていないようだ。おそらくいくらでも伸ばすことができるのだろうと礼御は考察した。そして幽鬼の顔を見た。醜い山羊の表情から、怒りがにじみ出ていることがなんとなくわかった。
「逃げたいなら、逃げろよ」
礼御はそう言って幽鬼に近づく。言葉が通じるとは思えない。しかし口に出さずにはいられなかった。
「俺は紅子を守りたいだけだ。金輪際彼女に近づかないっているなら――っ!」
その途中で礼御の腹に触手が突き刺さった。それは地面から生えている。服に穴が空き、腹部に強い衝撃を受けた。しかし貫通したりはしない。しかし血はついている。毒々しい褐色の血。これは礼御のものではない。
衝撃はあれど、触手は礼御の身体に傷をつけることができなかった。
礼御が腹部の前にうごめく触手を掴むと、それはまるで触手は豆腐のように柔らかく、あっけなくちぎれ落ちた。触手の断面から血液が溢れ出す。
幽鬼に逃走するつもりはなく、あくまで礼御との戦闘を望んだ。玉藻の登場で幽鬼の敗北は決定した。だからと言って、さきほどまでクズ同然だった人間にでかい態度を取られるのを幽鬼は許せなかった。
人間がわざわざ一対一を望むなら、それは好都合。異端な能力はあるようだが、勝てない相手ではない。せめてこの人間だけでも喰らう。幽鬼はそう考えていた。
礼御は駆けて幽鬼に近づいた。幽鬼は触手で礼御を薙ぎ、また刺そうとするも、効果があるのは礼御の身につけている服と衝撃のみ。礼御の肌に触れた瞬間、自身の手足とも言える触手が次々消失する。
礼御はもう少しで幽鬼に手が届くというところで、よくこんな異形のものに向かったな、と自分で自分の行動を笑った。
それが幽鬼にとって、実に面白くなかった。幽鬼は触手を縮めると、一気に礼御に向かって射出する。
礼御の能力に消され、血が大量に吹き出した。同時に礼御は後方に吹き飛ばされる。外傷は受けないものの、依然として触手がぶつかった衝撃はあった。
しかし礼御は、これもあと少しだ、と自分に言い聞かせた。きっと衝撃さえも自分の身体は打ち消すことができる。なぜなら変化があったからである。幽鬼の血で汚れた礼御の肌であったが、このときはもう汚れてはいなかった。汚れているのはぼろぼろの衣類のみ。自分の能力を理解し、操ろうと意気込み、なおも幽鬼に向かう。
今のままでは消し飛ばされる。そう感じた幽鬼には知恵があった。触手で直接刺し殺せないのなら――――。
幽鬼は触手を地面に差し込んだ。礼御は、また地面から攻撃してくるのか、と考えたが、次の瞬間まだ自分が浅はかであることを思い知らされる。
地面に突き刺さった触手は一気に跳ね上がり、弾幕のように砂や石を礼御に浴びせた。
「礼御!」
たまらず紅子は彼の名を呼ぶ。
礼御は咄嗟に腕でそれを防ぐも、守れたのは顔面だけだった。砂や石を消せるわけはなく、鈍い痛みが身体の前方全てに衝突する。
「ぅぐっ」
礼御が苦痛の呻きを上げて立ち止まると、幽鬼は容赦なく第二波の用意をする。
「ちっ」
舌打ちをしたのは玉藻である。さすがに今のを続けられたらまずいと玉藻は判断し、礼御に手を貸そうとする。
が、礼御はそれを待つことなく、決心した。礼御は幽鬼に真っ向から挑む。
それに気づいた玉藻は少しばかり焦りながらも、礼御がそうしたいのなら自分の行為は野暮であると思い、留まった。
幽鬼は先ほどより多くの触手を地面に突き刺している。おそらく先ほどよりもっと大きな瓦礫を浴びせようとしていることは、その場の誰もがわかった。
しかし礼御の脚は止まらない。そしていくら瓦礫をくらおうとも、その脚を止めるつもりはなかった。
またも触手は跳ね上がる。皆の予想通りの弾幕である。
「「礼御!」」
今度は玉藻と紅子の二人が礼御の名を呼ぶ。
「ぅうおおおぉぉぉーー!」
礼御は叫び自身を奮い立たせ、その弾幕に突っ込んだ。先ほどより身体に食い込む痛みは増している。
―――――。
……まるで特攻だな。
激痛を超えたその先で、礼御は自分の行動に呆れた。
もう少しスマートだった方が、格好付いたな。
けれど礼御は不格好で構わない、と最後に自分の行動を褒めた。
礼御と幽鬼の距離はもうゼロと言っても過言ではなかった。
幽鬼は一瞬後方に逃げることを考えた。しかしそれはプライドが許さない。もう一度、吹き飛ばしてやろうと、幽鬼は触手を縮め礼御に向かって解き放つも、礼御は仰け反りさえしなかった。不気味な色をした血液が吹きだし、地面を扇状に濡らす。
「鬼なら鬼らしく―――」
礼御は右手を大きく後ろに引く。
ただ能力に頼って消すのでは我慢ならなかった。
「――地獄に、帰れっ!」
礼御は自身の肉体で幽鬼の顔面を殴打した。
魔術師を語れるほど魔術的でない。それは人対異形のただの喧嘩であった。
幽鬼は後ろに仰け反ると、そのまま仰向けに倒れこむ。砂で汚れた礼御は荒い呼吸のまま幽鬼を見下ろし、深く息を吸う。
倒したのか?
礼御は途切れそうな意識の中、幽鬼の再起を待った。
「お疲れ様」
そこで玉藻がポンと礼御の肩に手を乗せた。
「……勝ったのか?」
礼御は自分が作り出した現状にいまいち現実感を持てずにいると、玉藻が優しい笑顔で結果を述べる。
「あぁ、お前の守りたいものは、ちゃんと守れたぜ」
玉藻は礼御の後ろを指差した。それに釣られて礼御はその指が刺す方に視線を向ける。
気づけば全身が痛かった。服もボロボロである。
それでも礼御は満足だった。涙で頬を濡らしながら満面の笑みで抱きついてくる紅子。そんな一人の笑顔を守れたことで十分だった。




