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事の始まりはよくある話からであった。
その時の話の内容はあいも変わらず、礼御の恋愛談議である。性格も顔も特に問題なさそうなのに、恋人がいないのはなぜか言う疑問に、紅子は一つの答えを挙げた。
「お主、もしや隠れデブなのか?」
なんだよ隠れデブって、と礼御はあまり深く追求したくはない疑問を持つ。彼女の口調的にその単語は一般的に忌み嫌われるものに思えて仕方がなかった。
紅子は誰が説明を求めたわけではないのに、その言葉について語り始める。
「デブ専というジャンルはある。ぽっちゃり好きという言葉もある。しかしじゃの、基本的にデブが好きな奴などそうおらんわ。少なくともこの国ではの」
体格の話は、特に同性間でならよく話される題目の一つではないだろうか。少し太っただとか、ダイエットを始めただとか。また恋愛をそこに絡めるのなら、筋肉質な男性が好きだとか、胸の大きな女性が好きだとか、そういう話である。紅子が言いたいことも、つまりは体格の話である。しかしまず挙がった単語が太った人を表すとなると礼御はなんだか悲しくなった。
「隠れデブとはつまり服を脱いだら腹が出ている、なんてやつのことじゃ」
なんとなく想像していた通りであった礼御はもう少し言葉を選べないものかと思い、紅子に提案する。
「着痩せするってことだろ、それって」
すると紅子は真っ向から反論するのであった。
「それは脱いだらぼんきゅっぼんのスタイル抜群じゃった、みたいなときに使って欲しい言葉だの。本来のきちんとした意味は知らんが、わしからすれば気痩せるとは褒め言葉じゃ。無論隠れデブと同じ意味も含んでおるかもしれんが、それは愚かな単語じゃ。なんで貶し文句と褒め言葉が共存しておる。曖昧な言葉は不愉快じゃ」
「え、あぁ、すまんな」
その迫力に気圧されて、礼御は咄嗟に謝った。それでとりあえず不満は解消されたらしい紅子は再度人の体格とはどうあるべきかを口に出す。つまるところそれは紅子の趣味なのではないかと礼御は思ったのだが、黙っておいた。
「まんまデブは論外じゃ。明確な理由があり、それが自身のためであるデブならともかく、そうでないなら痩せる努力をせい。しかし努力などせぬだろう。それがわしは気に食わん。人間本気になれば、痩せるなんてこと造作無いぞ」
熱弁を振りまく紅子の隣で、何を思ってそうするのか理解できないが、玉藻は太った男性に化けていた。おまけにメガネもかけている。
「それから中間デブ。これは太ってはいるが巨体ではない、そんな奴じゃが、これもよくはないの。こいつらは『俺も太ってるけど、あいつらほどじゃないから大丈夫』なんて自分以下の者を見て安心する卑下者じゃ。そんな醜い思考者にわしは興味ない」
やはりこれは紅子の持論の曝露であった。何か昔嫌なことでもあったのか、そういう言い方までして太った者を蔑むのは聞いていて気分のいいものではなかった。そして玉藻は紅子の異ベージ人物を現すように、すこしスリムになったものの太っていると言って差し支えないような男に化けていた。
「そして隠れデブじゃ。こいつらの精神も誠汚れておる。普段は服を着ていてわからないのだから、多少太っていてもいいや、なんて思っとるに違いない。そんな精神弱者もわしは嫌いじゃ」
玉藻はまた少し痩せた男になっていた。見た目はもう太っているとは言い難い。しかし玉藻が自分で自分の服をめくると、そこには出張った腹が顕になる。
そこまで聞いて礼御はこうも毒を吐く紅子に少々疑問を抱いていた。先程から感じていたことだが、過去に太った男性から何か嫌なことでも受けたのではないか、と不安になる。
「なあ、紅子。今までのお前の話にも多少の毒突きはあったけど、どうも今回の話ではそれがひどいぞ。何か他に理由があるんじゃないか。そのデブが嫌いな理由がさ」
尋ねるべきではないかもしれないとは思ったものの、礼御はできるなら紅子にそれほどの毒を吐いて欲しくなかった。そのため少しでもそれを払拭できればと思った結果の質問である。
そう紅子のために考え、尋ねたのだが、それはほとんど見当外れであった。
「わしはこんな見た目じゃろ。昔な、ある男に言われたことがあるのじゃ。『お前ってそんななりをしてるから、かなり肥満な男に陵辱されるのがぴったりだな』とな」
なんだそいつ。幸せの象徴を何犯してんだ。
礼御は紅子の言葉を聞き、一瞬で紅子に毒突く権利があると勝手に判断した。そして紅子はさらに曝露する。
「加えて、そいつは絵描きの才があっての、週一でわしにイラストを描いて持ってくるのじゃ。言わずもがな、そやつがわしにぴったりだと言ったシュチュエーションの絵じゃ。あの時ほどわしの根源の力が幸ではなく不幸でないことを呪った時分はなかったの」
「お前それは……怒っていいよ」
「じゃろ?」
そこまで言って紅子は苦笑して項垂れた。彼女にとってはトラウマ以外の何者でもない話であった。
礼御と紅子の二人の視線がどこか遠くを見るようになったとき、今まで黙てっていた玉藻がここで口を開いた。
「まあ、よかったじゃないか。礼御は隠れデブではないぞ。むしろほどほどに筋肉質で好みの異性もいるだろうな」
それを聞いた紅子はぼんやりとしたまま安心した様子を僅かに見せた。
「ほう。それはよいことじゃ」
少なくとも紅子が自分のことを拒絶しなくて良かったと礼御は心を和ませたのだが、つかの間、そいつが何を思ってそうしたのかは不明――紅子をさらに安心させようとしたのならまだいい――だが、突飛な行動に違いなかった。
突然の炎塊が礼御の身体にぶつかった。それは器用に礼御の膝から上だけを覆い、そして衣服を燃やす。
「はっ!?」
礼御は咄嗟のことに反応できるわけがなく、不意の出来事に困惑と驚愕の入混ざった声を挙げる。
「なっ?」と玉藻は紅子に同意を求め、紅子は目を丸くして驚いていた。
衣服は燃えても、礼御の身体は燃えはしない。礼御の身体には魔術やら異能やらを総じて打ち消す能力が宿っているからだ。しかし衣服にそれは宿っていないし、もちろん部屋に置いてあるあらゆるものにもそれはない。しかし、そうと分かっていても玉藻は礼御に対して炎を吐き出しのである。
炎は勢いよく燃え、そして唐突に赤い塊は煙となって消える。燃えたのは礼御が身につけていた衣類だけであった。残された礼御は当然全裸である。
なおも混乱し、言葉が出ない礼御をよそに、玉藻は「ご覧あれ」なんて言って笑っている。
「どうだ。わりといい身体してるだろ。男として、肉体面も合格だと思うのだが」
呆気にとられていたのは礼御だけではなかったが、そのもう一人は残念ながら、礼御より復帰が早かった。初めは途切れ途切れに音を出していた、彼女の喉はだんだんとスムーズにその機能を復活させる。
「ほ、ほう。なる、ほどのぅ。……ふむ、確かに。確かにの。――その通りじゃ! 確かにわし好み。ふふふ、眼福じゃあ!」
「だろ? あたしも常々そう思っていたんだよな。同意してくれる奴がいて嬉しいぜ」
礼御は全裸のまま直立していた。恥じて股間を隠すことすら行動に移せずにいた。
「なんと。やはりお主らの関係は怪しいの。実は身体の関係があるのではないか? 白状せい」
「んっふふ。どうだろうね。想像に任せるぜ」
礼御を置き去りにした二人は楽しそうに会話を続ける。全裸の礼御を前に二人で笑っているのである。
ここでようやく礼御はある感情を思い出してきた。故に一糸まとわぬその身体は震え出す。
「お、お前ら……」
玉藻も紅子もその異変に気づかない。
「ほう、では想像するかの。いいのか、否定せんで。わしの想像する内容は決まっておるぞ」
「ふん。何を想像されようと、真のあたしたちの関係はあたしたちにしかわからないさ。ご勝手にどうぞ」
「こ、小癪な。ならば存分に――」
「お前らな!」
その礼御の一言で玉藻と紅子は身体をビクリとさせて、礼御と改めて対面する。途端に少女と童女は礼御とは別の感情で震えだす。
「え、礼御。ご、ごめ――」
礼御は玉藻の謝罪を聴き折れる前に、拳を彼女の頭に振り落とした。骨と骨がぶつかる鈍い音が部屋に響く。
「ちょ、ちょっと、待っておくれ」
涙目になった紅子は両手を前につきだし、礼御を静止させようと必死になっていた。それもそのはず、礼御に殴られた玉藻はうつ伏せのまま起き上がらない。どうやら気を失ったようだ。
「わしも同等のバツを受けねばならんのか? ちょっとは手加減を・・・だな?」
きっと幸福の象徴たる紅子は本当の怒りを眼前にしたことがないのだろう。その目には涙が溜まっている。
一方礼御は諸悪の根源を眠らせて、理性が少し戻ってきていた。確かに玉藻と同じように紅子を殴るのはためらいがある。が、どうも振り上げた拳を振り下ろさないほど、礼御も穏やかではなかった。
「ま、待つのじゃ。こわ、怖い、怖ぃ……。やだ、待て待て――」
紅子の懇願虚しく、礼御の拳は紅子の頭部を狙う。瞬間紅子は目をつぶり身をすくめた。そして紅子は額に小さな痛みを感じて、その後恐る恐る目を開けると、溜息交じりに疲れた礼御の顔があった。紅子に与えられた罰はデコピンである。言うまでもなく、玉藻に振り下ろした拳の威力とは明らかな差があり、それが玉藻と紅子の罪の差であった。




