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現実性を嫌というほど内蔵した不幸の手紙は、相変わらずそこにあった。
里愛が働く喫茶店を後に、礼御が向かったのは自室のあるアパートである。そこでは気鬱な感情が礼御に流れ込んでくるのがわかったが、それでもいい加減睡眠欲が礼御の脳内を支配しつつあった。そのおかげもあり、礼御は母が自分に当てた絵葉書と向き合うのである。
――おきます。なにに時間を食
うのかは知りませんが、それでも
幻滅です。季節的にはそろそろ卯
の花も枯れ、息子の勉学への心も
逝ったのかな?学生は、遊び歩く
のも大切ですが、このままだと蹴
り倒しに登場するかもしれません 』
昨夜読んだ部分は読み飛ばした。しかしその短い文章のすべては嫌でも礼御の目に入る。そして文字を見るとそれを認識するという働きは失われていなかった。
つまり礼御はひどい倦怠感にとりつかれたのだ。何かが自分の中に入って蠢く感覚に視界がクラクラする。
何かなんて曖昧にぼやかす必要もないよな。
礼御はそんなことを思いつつ、その絵葉書を手にのたのたと階段を昇った。礼御の部屋は三階である。未だ目を通していない封筒等は放置しておいた。どうせ電気代の記された紙切れだったり、頼みもしない宅配ピザのチラシだったりするからだ。必要もないのに――電気代の料金書は、実際必要ではあるが――薄い意図で増やされるそれは、処理するのも大儀である。重い紙切れに、これ以上の雑多な気分を付与されるのは御免であった。
無意識に目に入らないように、礼御は葉書の絵の部分を表にして持った。変わらず名画がそこに描かれている。
部屋に戻った礼御は、ズボンだけ脱ぎベッドに倒れ込んだ。寝不足ということもあるのだろうが、まるで身体が沈むように重く、見上げた天井が目眩で不気味に回転した。礼御は絵葉書を落とすように手放すと、自身の弱さに呆れかえる。
まさかこんなに精神がもろいなんて・・・。
礼御は溜息をついて、目を閉じる。闇の中、礼御は自分が揺らぎ、傾き、回るのを感じた。礼御の身体があらゆる疲労から睡眠を欲求する中、礼御の頭はぼんやりと母が寄越した絵葉書の意味を考察した。
勉学は怠るなって意味だよなぁ。
まずは直接的な文面の意味。それを礼御は大学での成績を見た親からの音声なき叱咤であると読み取った。というより、それ以外の何ものでもないのだろう。そこで礼御は嫌でも母の言葉を思い出した。それは礼御が大学への進学のため、家を離れるときにかけられたものである。
『大学生、遊ばなくてはなりません。けれど遊んでばっかりというのはやめなさいね。真面目に遊び、犯罪にはならないこと。それから大学は四年で卒業してください。早期卒業はもちろん構いませんが、無駄に五年、六年かけて卒業なんてものは許しませんから』
親として至極真っ当な言葉であった。その言葉に逆らうことなく、礼御は大学生活を送ってきたつもりだったが、それでも二年目に突入し、一年目で単位取得に必要な努力の程度を知ったのがまずかったのだろうか。よく言えば効率的に、悪く言えば遊惰的に勉学に取り組んだのである。
そしてそれは単にやり方を覚えたことのみに起因するのではなく、大人の目を離れたということも大きかったと礼御は考えた。
高校までは、学校では担任が成績を気にし、家では親の目が常にあった。そんな中ではサボるにサボりづらい。けれど大学生となった礼御にその必要な枷がなくなったのが大きかった。
そして絵ハガキはそんな自分に刺激を与えるものとしての機能も含んでいると彼は読み取らずにはいられないのである。
それは隠しようもない、『受胎告知』の絵である。
礼御の実家から、礼御が住むアパートまで、早く見積もっても自動車で三時間はかかる。しかし結局はたった三時間しか親との距離が離れていないということだ。
エル・グレコの『受胎告知』の絵ハガキを、礼御の母がどこで入手できたかというと、それは礼御の住む街の隣街の美術館で購入したものに違いない。
離れていても、見張ることはできるぞって意味か・・・。
そこまで考えたところで、礼御の意識が深く沈む。その意識が途切れる寸前に彼は思う。
夏休みが明けてからはしっかり勉強しよう。・・・気持ち悪い。こんな憂鬱が寝て起きたときに、快復しているといい。
太陽の軌道がようやく折り返しに入った頃であった。カーテンから漏れる光は、熱となって礼御の身体をまとわりつくのである。