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礼御は完全に眠りから冷めぬまま狭いソファに寝転んでいた。カラオケ部屋の扉には小窓がついており、どうしてもそこから光が部屋に差し込んでくる。それを嫌って、礼御は背もたれの方を向いていると、扉が開くのがわかった。
誰が入ってきたかを確認するもの億劫に思い、礼御は何の反応も示さぬままでいると、大音量で音楽が流れ出した。
現在、おそらく早朝だろう。いきなり寝込みの聴覚を襲うなんてひどい話である。せめてバラード系の曲なら諦めて手拍子でも加えてやってもいいが、ここまで激しい曲となると呆れて寝たふりを決め込みたくなる。
礼御の眠る部屋に侵入したのは姫菜であった。曲名は知らないが、よく耳にする曲で、実に気持ちよく歌っている。
この子は何を考えて歌っているのだろう、と礼御は耳を塞ぎたくなる気持ちで思った。
姫菜の熱唱は一曲で終わった。素人にしては無駄に上手いのが、睡魔を消しきれない礼御にとって実に不可解な気分にさせる。
「礼御さん。朝ですよ。ご飯食べに行きましょ」
何かと思えばモーニングコール兼朝食のお誘いであった。
起こすならもっと囁くように甘く女の子らしく起こしてもらいたいものだ。
そんなことを思いつつ、礼御はゆっくりと身体を反対に向けた。するとボヤけた頭はゆっくりと驚きを察知した。目の前に姫菜の顔があった。近い。寝顔を異性に接近されて見られるのは恥ずかしい。
「礼御さん、少し汗臭いですね」
「……」
そうであっても仕方がないだろう。昨日半日歩き回ったままの服装で、シャワーも浴びずに今日を迎えているのだ。少しであるなら割り切れるし、割り切ってほしいところだ。
「まぁ、服を取りに帰れないんですから、どうしようもないですよね」
そう姫菜は笑って言うと、礼御の手を引っ張って身体を強引に起こした。
「……で、朝飯だっけ?」
「そうでーす。お腹減りました」
礼御は目をこすりながら現在の時刻を確認すると六時過ぎである。姫菜の勤務終了時刻が六時であるため、姫菜はバイトが終わるとすぐに礼御の元を訪ねてきたらしい。
姫菜は残業を毛嫌いする人物ではないし、人付き合いが苦手な性格でももちろんない。勤務が終わるとすぐにその場を離れようとしたりはしないはずだ。
だというのに、すぐ自分のもとに来たということは――。
「今日の朝勤務は誰?」
礼御には一つ心当たりがあり、それを姫菜に尋ねると、彼女は明らかな作り笑いである人物の名を挙げた。その人物とは礼御より一つ上の先輩である男性の名であった。
それを聞き礼御はやっぱりそうか、と納得した。実はその男の先輩は最近明らかに姫菜に好意を向けていた。それがあからさまでねちっこいため、姫菜はその人に苦手意識をもっているらしい。決して嫌いなわけではないようだが、それでも長時間一緒にいるのは辛いのだろう。大方礼御と約束があるとか言って逃げてきたに違いない。
もうしばらく惰眠を貪りたかったが、そういう事情があるのでは付き合うしかないだろう。約束があるからといっても、礼御は姫菜の恋人ではない。そんな二人が個室で長時間滞在するのは、姫菜にとっても彼女に言い寄る先輩にとってもよくないことだ。
礼御はあくびとともに身体を延ばし、立ち上がった。
「じゃあ行こうか」
そう礼御が姫菜に告げると、姫菜が今度は本当の笑顔で言う。
「礼御さんのそういうところ、わりと好きですよ」
「そりゃどうも」
何も考えず異性に好きという言葉を発するから、勘違いする者が出てくるのだ。それが彼女の意識的な発言なのか礼御にはわからないが、少しは人間のオスが馬鹿者であることを姫菜は重々理解しておくべきだと礼御は思った。
礼御が事務所にいる人物に一声かけてから外に出ることにした。そこにいたのは案の定件の先輩である。彼は礼御の顔を見ると恨めしそうな表情を一瞬顕にし、すぐさま取り繕った。彼も嫌な人間ではないのだ。ただ好きな女性から好意を得ようとするあまりドツボにはまっている。恋愛下手とはなんとも見ていて悲しいものである。
礼御は先輩に「お疲れ様です」と一声かけて、姫菜と共にその場を後にした。




