-2
「お疲れ様でーす」
礼御が裏口からバイト先に入ると、女性の声が彼を出迎えた。
「こんばんは。お疲れ様です」
礼御もその声の主に挨拶をした。彼女の名は姫菜という。礼御と同じ歳のバイト仲間であった。彼女はバイトのとき、髪を右耳の下あたりで一つにまとめていた。肩の下あたりまであるふわふわとしたその髪は、大学生らしい茶色で染められている。小顔で小柄、色白である。女性の顔を褒める際、美人か可愛いかの二パターンあると思うが、彼女はわかりやすい後者であった。しかしお世辞で姫菜のことを可愛いと言うものは少ないだろう。おそらく大体が本心に違いない。それに喝を入れるかの如く、彼女の性格はさっぱりとしており、それでも憎むに憎めいないのである意味立ちが悪い。
この日のバイトではそんな彼女と一緒だった。
礼御はどこにでもあるようなカラオケ店でアルバイトをしていた。時給があがり、同じ時間働くのでもより稼げる深夜バイトというのは、学生にとって非常にありがたい。
しかしそのせいで普段の生活リズムが狂い、大学の授業で眠りこける回数が増えたのも事実であった。自業自得ではあるものの、その結果を見せつけられた前期の成績には心が落ち込んだのを礼御は忘れるに忘れられないのである。
決して不出来というわけではないが、一回生のときと比較すると劣化は隠せない。そして結果というものは親の目にも当然入るわけだ。
礼御はあの絵ハガキを思い出すと憂鬱で仕方がなかった。
姫菜はそんな礼御の様子を読み取り声をかける。
「礼御さん、今日はなんだか元気がないですね?」
元気が出ないのは事実だが、お金をもらい働くという以上、そんな私事に巻かれて仕事に取り組むのは負の連鎖というもの。礼御は一旦自宅前に待機しているあの重苦しい塊のことを忘れることに努めた。
「いや、ちょっと眠いだけだよ。大丈夫」
勤務が始まり、時間が過ぎる。
夏休みということもあるのだろう、最近は学生らしき若い客の入りが多かった。大音量が漏れる廊下を歩いては汚された部屋を片付ける。またレジでは眠たげな表情で帰る者、日も変わったというのに元気を失っていない者、様々な若人に対し礼御は作り笑いで相手をするのだった。
そうしてようやく勤務時間の終了を迎えると、もう早朝である。今日は一段と学生らしい学生に満ちていたせいで、礼御も姫菜も少々心が荒むのだった。
「今日は・・・いつも以上に馬鹿な学生が多かったですね」
「まあな」
礼御も姫菜同様口に出してしまいたいことは多々あったが堪えた。吐き出す先が姫菜では悪口の相乗効果になってしまうに違いない。
「大学生なんてこんなものだろ」
「礼御さんは達観してますなぁ」
礼御は客の濁した非難をするのだが、姫菜はそのように受け取らなかった様子であった。
「メナは大学生嫌いですよ。バカばっか」
「姫菜も大学生じゃないか」
「そうですけど・・・、メナはあんな知能の低そうな奴とは違うと思いたいです」
「ははっ。なんだよ、それ」
その後も一緒に働いていた別のバイト仲間が帰る中、姫菜と礼御はしばらく店の前で駄弁っていた。姫菜の大学生批判はいつ聞いても面白い。どれだけ大学生の悪口を言ったところで、言っている本人も同じ身分なので、それが全部自身に返っているのだ。
それから礼御は姫菜と別れると、時刻は朝の七時前であった。夏の朝日が冷め切っていない大気をまた温め始める。
普通なら帰宅するところであるが、礼御はそのように行動しなかった。アパートの入口に備え付けられている導火線のようなポストに向かうには、心にゆとりがなかったためである。
今から行けば部室が開くよな。
礼御はそんなことを思いつつ、だらだらと自転車を漕いで大学に向かった。