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玉藻前の尾探し譚  作者: 歌多琴
1 妖狐と魔術師
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-16

 相変わらず周囲より一段と暗くなる山道を下り、礼御(れみ)は自転車にまたがった。


 その帰宅途中、礼御は自分の頭がえらくスッキリしていることに気づいた。スッキリと言ってもあまり良い意味ではない。まるで多量で濃厚な情報を無理やり脳内に詰め込まれパンクした気分だった。そのため逆に何も残っていないという感じである。


 しかしはっきりとわかることもある。今日、ほんの数時間のうちに自分の住まう世界が広がった。


 気づきもしなかった事実は、迷宮の果てに見つかるのではなかった。大掃除に机の引き出しをすべて引っ張り出してみると、その最奥にあった。例えるとそんな感じではないだろうか。


 驚く程当然のように存在をあらわにした今までとは異なる世界。それを完全に受け入れ馴染むには、まだ時間がかかりそうだと礼御は感じた。


 そしてあの橋を渡り始めた。行きに狐を見たあの橋である。


 あの狐ももしかしたら新しい世界で生きているものだったりしてな、なんて礼御は考えて一人で笑った。


「おい!」


 突如上がった呼び声に驚き、礼御はブレーキを踏む。あたりには自分しかいなかった。呼び止められたのは自分なのだろう。そして呼び声は車道を挟んだ向こう側から聞こえた。


 多少のためらいのあと、礼御はその声の方を見た。


 一匹の狐である。


 その狐は橋の手すりに座りこちらを見ている。礼御は行きに見た狐であると瞬時に理解した。


 狐も新しい世界で生きているものなのかもしれない。そう考えた直後の出来事。本当に自分を呼び止めたのは、ふてぶてしく手すりに座っているあの狐なのだろうか。


 礼御が驚愕の連続にただ立ち尽くしていると、またも声は自分に向かって話し出す。


「おい。聞こえてるんだろう、人間。それに見えているよな。なにポカンと突っ立ってるんだ。返事しろよ」


 狐である。間違いなくその声の主は狐である。礼御は今狐に話しかけられていた。


 狐と言えば人を化かすので有名だ。その化かし方はよく知らないが、今自分は目の前の狐にからかわれているのだろうか。


 礼御が狐の呼びかけに答えもせず、そんなことを考えていると、狐は面倒くさそうに手すりからおり、礼御の方に近づきながら言う。・


「おいおい、妖狐の一匹や二匹そんなに珍しくもないだろうが。呆けてないで話を聞けよ。先に進めないじゃないか」


 なんだこれ、逃げたほうがいいのか。礼御はそう思いながらも、だんだんと近づいてくる狐から目を離せず、またペダルに力を入れることもできずにいた。


 そして狐は自転車のすぐ近くまで来たかと思うと、器用にもハンドルの中心に飛び乗った。狐の顔と礼御の顔がぶつかってもおかしくないくらい近づかれている。


 すると狐は訝しげな目で礼御を見た。その目はどう考えても自分がこいつにする目だと思いながらも、自分の目はきっと実に間抜けに相手を見ていることだろうことを感じていた。


 そして狐は「まあいいか」と呟いた後に言う。


「あたしの名は玉藻前(たまものまえ)。少々困っている。お前、あたしを助けてくれ」


 ひどく一方通行なお願いだった。


 これは関わってはいけないタイプのやつだ。礼御の勘はすばやくそう結論を出した。


「ハハハっ」


 礼御は乾いた笑いと共に、玉藻前と名乗った狐を丁重に地面に払い落とし、ペダルを踏んだ。


 堂々と言い放っていた狐は不覚を取られ地面に落ちている。それを不満に思ったのだろう、狐は礼御の背中に呼び止める言葉やらけなす文句やらを放つ。


「いやいや、只でとはいわんのだぞ」

「……」

「情けは人のためならず、なんて言葉もあるじゃんか」

「…………」

「と、とりあえず止まってほしいなぁ」

「…………」

「待てって。……おい、ふざけんな!」

「………………」

「器が小さい。小さいぞ、人間!」


 礼御は完全無視して足を回していた。しかしまたも礼御は急ブレーキを握ることとなる。それは後ろから狐が叫んだ言葉のせいだった。


「お前、このままだと殺されるぞ!」


 殺される。その単語が頭の奥底まで潜り込む。


 踏み出したばかりの新しい世界。礼御自身はまだ踏み出しただけのつもりであった。しかし現実はそうでない。礼御はもうすでに歩んでいる。今までの世界ではある程度自分の身の護り方を知っているが、この世界でのその方法はまだ知らない。


 礼御は思った。今、この瞬間がすでに命の危機なのかもしれない。後ろの玉藻前となのる狐という存在は自分にとって害あるものなのかもしれない。


 どうしようもない無知が礼御を追い込んでいく。逃げるか、応じるかのどちらかしかない。


 しかし単純に応じたくはなかった。それでも逃げるわけにもいかない。なぜなら逃げる場所は礼御の後方にあるのだから。


 妖狐はそれっきり何も言わなかった。ただ礼御の背中を睨んでいる。


 時間が経つにつれ、礼御の焦りは加速度的に高まっていく。何かしらの結論を出さなければならないのはわかっていた。


 つつっと脇から嫌な汗が流れ、肌は異常な冷たさを感じ取る。


 そのとき礼御の目は、眼下の歩道の一点から黒く不気味なものが膨れ上がるのを捉えた。むくりむくりと大きさを増すそれは、まるで出来の悪い風船に空気が注がれているみたいだ。


 気持ちが悪い! なんだこれは!?


 とうとう目の高さまで大きくなり、礼御は見た。黒く半透明な塊に一つの目と大きな口がついている。口の大きさに対し異様に目が小さい。それを確認したとき礼御は感じた。殺意である。紛れもなくこの塊は自分を殺そうとしていた。


 未だ大きく膨れ、礼御はいつの間にかそれを見上げている。後ろから狐が何か言っているが、もう何を言っているのか、何を伝えているのか理解できなかった。ただただ自身の口が不器用に空気を吸う音だけが礼御の脳内に響いている。


 突如身体が後方へ引っ張られる。礼御はまたがっていた自転車から引きちぎられるように離された。そして視界に飛び込んできたのは一匹の小さな狐である。そのすれ違いざまに礼御の目は狐の横顔を見た。少しニヤついたような満足気な表情である。礼御は仰向けに倒れて、妖狐は礼御の目の前に着地した。


「下がってろ」


 その妖狐の一言で礼御は自身の陥った状況を理解したものの、それでも身体を満足に動かせない。


「ちっ」


 妖狐は舌打ちをした。黒い塊はそんな礼御を待ってはくれず、飛びかかってくる。再び妖狐は舌打ちをし、口を大きく開いた。


雑魚(ざこ)が!」


 赤い炎。


 それが妖狐の口から吹き出ていた。黒い塊は赤い炎を浴び、吹き飛んだ。黒い塊はチリチリと音を立て焼けているものの、消しさるほどの火力でなかった。黒い塊は蹲るように丸くなり、炎を消そうとうごめいている。


「おい、人間」


 狐は礼御を呼んだ。すでに余裕を感じられる。


「な、んだよ……」


 依然、狐は前方の黒い塊を睨んだまま言うのである。


「あたしは困っている。今のお前と同じようにな」

「…………」

「あたしを助けてくれ。そうすればあたしもお前を助けてやる。悪い話ではないだろ?」


 悪い話ではないが、黒い話であった。ここで断ればこの狐はあっさりとこの場から離れるだろう。その後自分はどうなるのかを礼御は考えた。間違いなくこの黒い塊に殺される。自分は異能が効かないということだった。しかし感じる。葵の言葉を信じるなら勘である。礼御には当然のように黒い塊の持つ口に食われるイメージしか湧いてこなかった。


 脅迫的提案の返答は一つであった。そして礼御は叫ぶように狐に言う。


「俺を助けてくれ! 俺もお前を助ける!」


 妖狐はチラリと礼御を見た。交渉成立と言わんばかりに不敵に笑っている。


「おっけー」


 そして再び炎を吐いた。今度は先ほどよりずっと大きな炎である。その炎は一気に黒い塊を飲み込み通過した。じゅっという音を上げたかと思うと、もうそこに黒い塊の姿はなかった。


 一瞬だった。ド派手は戦闘に突入することもなく、礼御は生命の危機から脱出できていた。


 狐は振り返り礼御に近づく。


「いつまで尻餅ついてんだ」

「え、あぁ」


 礼御は立ちあがって尻を払った。身体に力を入れにくかったものの、意外とすんなりと立ち上がれたものだから、今まで腰を吐かしていたのが嘘のように感じた。


「ではこれからよろしくな」


 狐は鈍く動く礼御をよそにそう言った。


「……こちらこそ」


 礼御は無意識にそう答えていた。


「あたしの名は玉藻前。愛着込めて今後は玉藻と呼んでくれ」


 礼御は「はぁ」となんともとぼけたような、情けない声で答えた。


「それでお前の名はなんと言うのだ」

「……徳間(とくま) 礼御、です」

「そうか、礼御ね。了解だ。ではこれからよろしくな」


 そう言って玉藻前と名乗る狐は礼御の肩に飛び乗った。その体毛が首に触れる。その肌触りはさらさらと滑るようで、しかししっとりと体温を感じさせる。


 なんだかこの狐のしたいようになったな、と礼御は感じずにはいられなかった。


 玉藻前は礼御の両肩を行ったり来たりしている。今の礼御以上に狐に包まれた気分を味わえる者はいなかっただろう。

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