野蛮人 文明と触れ合う
ジェレミーとアリアが300年後の世界にやって来て二日目の午後。
レネに呼ばれた二人は、僧院内の会議室にいた。
15メートル四方の会議室にいるのは、ジェレミー、アリア、そしてレネの三人だけである。
会議室の中央には長机が一つと、椅子が二つ置かれており、そこにジェレミーとアリアが並んで腰掛けていた。
そして、レネと言えばホワイトボードを前にして、彼らに「現代の常識」を講義形式で教えているところであった。
「という訳で、現代においては魔法の代わりに、科学という概念が主流となっています……」
緊張しながらもレネが、ホワイトボードに板書をしつつ言葉を一端切る。
「では、ここでお二人に科学技術の一例をお見せしたいと思います」
やおらそう言ったレネは、会議室の隅に置かれていた四角形の物体を持って来て、ジェレミーとアリアの前に置く。
奥行きは三センチ程度、横幅が1メートル程度であり、縦幅は60センチ程度だ。
レネはその背中の部分から伸びている紐のような物を、会議室の壁に設置されている謎の穴へと挿入する。
「今……何をしたんだ?」
「ケーブルをコンセントに繋いだんですよ」
「コンセント? 先ほど言っていた、電気を受け取るための設備の事ですね?」
「流石アリアさんですね、その通りです。そしてですね……これは、テレビという物です」
「テレビ?」
「触っても爆発しませんよね?」
「大丈夫です。爆発なんてしませんよ」
「本当だな、信じるぞ」
ジェレミーとアリアは頷き合うと、ゆっくりとテレビに手を伸ばす。
触った感触はとても奇妙なものだ。
何で出来ているのか想像すらできない。
謎の材質で出来たそれは、枠を形どるやや硬めの部分と、その内側にある柔らかめの部分の二つで主に構成されている。
「では、実際につけてみましょうか」
どこか悪戯っぽく言って、レネは軽くテレビを叩く。
「つける!? これに火でもつけるのか?」
「燃やして使用するのですか?」
「いえ、そうではなく……。テレビを動かす事を『つける』という動詞で表現するのが一般的なのです」
「動く!? こいつが動くのか!?」
「足が生えているようには見えませんが……」
「えーっと、とにかく見ていてくださいね」
苦笑を浮かべたまま、レネがテレビの背面にあるボタンを押すと……。
暗かったはずの「柔らかい部分」にいきなり人の顔が映り、さらにはその人物の物だと思われる声まで流れ始めた。
レネとしては、悪意は全くなかった。
「二人を少しだけ驚かせようかな」といった程度の、可愛らしい悪戯心を出したに過ぎない。
しかし……300年前の世界から来た二人には、高度過ぎる悪戯であった。
「アリア!」
「ジェザは周囲の警戒を!」
肉体強化を行い一息に5メートル程跳躍しテレビと距離を取ったジェレミーは、即座に魔法陣を展開し戦闘態勢に入る。
その魔法は、この時代においては使用できる物など、ほんの一握りしかいない魔法であり、発動すれば半径200メートルは灰燼に帰する事が可能なものであった。
そして、ジェレミーが行動を開始すると同時に……
バギッ!
という、どこか絶望的な音が会議室に響く。
「レネ! 私のそばから離れないでください!」
先程の音は、アリアが右の拳で、テレビの柔らかい部分を打ち抜いた際のものだった。
常人ならば認識不能な速度で繰り出されるアリアの右ストレートは、「音が遅れて聞こえる」と称される程に鋭いものだ。
プラスチックという彼らの知らない素材で出来たテレビなど、一たまりもない。
「あっああぁ……」
無残にも破壊されたテレビを前にして、頭を抱えているレネ。
「ジェザ! 見ましたか!? 我々は何者かの魔法攻撃を受けている模様です!」
「あんな小さな箱に、人間が入る訳がない。となれば見た者を、そこに引き込む潜伏型の魔法攻撃だろう」
「そうですね。恐らくは『封玉』と同じような原理でしょう」
「犯人は、レネを狙って仕掛てきたと考えるのが普通だな」
そう言ってジェレミーは、素早く周囲の気配を探るが、敵意を持った存在を探知する事は出来ない。
「レネが私達に厚意で講義をしてくれている所を狙ってくるとは……汚い輩ですね」
「十中八九、レネの行動を把握している奴が犯人だろうな」
「どうします? このテレビにかけられた魔法を分析して、犯人の魔法紋を読み取りましょうか?」
「いや、止めておいた方が良いだろう。見た事のない魔法だ、どんなトラップがあるかも分からんぞ」
そんな事を真剣に話し合っている二人だったが……。
「魔法じゃないですよぉ……」
泣きそうなレネの声で、我に返った。
「魔法じゃない……?」
「どういうことですか、レネ?」
「ですから……このテレビは、さっきみたいに映像を映す装置なんですよぉ……」
「…………えっ?」
「まさか…………」
「私が言わなかったのが悪いんですけど……」
という訳で、初めての科学との本格的な対面は、目も当てられないような結果になったのである。
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泣きそうになっているレネを慰め、早とちりを謝り、何とか講義が再開されたのは、テレビの破壊から30分程の後の事である。
それから2時間は、つつがなく講義は進み……
「ここまでで、何か質問はありますか?」
ようやく、今しがた一通り講義が終わったところである。
講義の内容は、ジェレミーとアリアにとって俄かには信じられない話ばかりであった。
「本当に……鉄の塊が空を飛ぶのか?」
「はい、飛びます。先程、お話しました飛行機ですが、皇国の領土の端から端までを、約2時間で移動できます」
「車というのは、燃える液体を注入すれば、誰でも運転できるのですか? それも、簡単に」
「はい。18歳以上の人ならば、特段の障害が無い限り誰でも可能です」
「電話というのは、遠くの人間と簡単に話す事が、本当に出来るのか?」
「はい、可能です。ちなみに携帯電話とは、こういった物です」
そう言ってレネは、2人に私用の携帯電話を見せる。
少女らしく可愛らしいデコレーションがされた物であった。
「これをですね……こうすれば、テレビにもなるんです。今度は壊さないでくださいね」
「ああ、大丈夫だ」
「はい、決して壊しません」
そして、慣れた手つきでレネが携帯電話を操作すると……
先程アリアが破壊したテレビと同じ様に、男性の顔が映ると同時に彼の声が聞こえてくる。
やはり、どうしても体が反応しかけるが、何とかこらえる二人であった。
「すっげー」
「これは……中に誰もいないのですか?」
ディスプレイには、現在地上波で放映されているニュース番組が流れている。
「すげーな……映像を遠くに飛ばす事も出来るし、鉄の塊が街を走って、あまつさえ空を飛ぶんだぜ……」
「使い手により効果にムラのある魔法が廃れるのも、悔しいですが理解できますね……」
ため息交じりに、感嘆の声を上げるジェレミーとアリア。
300年後の子孫達は、彼らが想像する以上の社会水準を構築したらしい。
正に、自慢の子孫達と言ったところだろう。
「しかしさ、レネ。飛行機って言ったっけ? それってさ、世界の端に行ったらどうするんだ? 戻ってこれるのか?」
「ああ、それは私も気になっていました。海における世界の端は想像できます。しかし、空となれば、どういった感じなのでしょうかね?」
「世界の端ですか……? それは、何でしょうか?」
不思議そうに首を傾げるレネ……。
首を傾げるレネを見て、不思議そうに首を傾げるジェレミーとアリア。
「だから、世界の端だよ。丁度、この机みたいにさ、海の端って断崖絶壁になってるじゃん?」
「そして、それは空ならばどうなっているのですか? もしかして、見えない壁があるのですか?」
二人の問いに、しばしの間呆気にとられるレネ。
何かを言おうとするのだが、2、3度口を上下させるだけで言葉が出てこない。
「あれ? 空の端は分からないのか?」
「航続距離が足りないのでしょうか」
ようやく我に返ったレネは、居住まいを正して真剣な声で二人に告げる。
「世界は……丸いんです」
「へっ? 何言ってるんだ?」
「世界が丸いって言うのは、この世界が球体という事ですか?」
そして、ジェレミーとアリアは顔を見合わせた後に、笑い合う。
「ははっ、レネは面白いなー。世界が丸いなんて、何言ってるんだよー」
「そうですね……ふふっ。嫌いじゃないですよ、そういう冗談は」
「そう言えば、『先生』が似たような事言ってたなー」
そして、昔の仲間の中でも最も博識であり、思索家でもあった者を思い出すジェレミー。
「ああ、ルークさんの事ですね? ええ、言ってました言ってました。海をずーっと真っ直ぐに行けば、元の場所に戻って来るって」
「そんなわけないっつーのになー」
「そうですよね。端まで行ったら、下に落ちてしまうのですから」
しかし、そんな二人をレネは、未だに真剣な表情で見つめている。
何やら様子がおかしい事と、二人にも理解できた。
「えっ……まさか」
「本当に……丸いのですか?」
「はい。この世界は丸いと証明されています。そして、その証明をなさったのは、ルーク=ハルフォード様……お二人が言う所の『先生』です」
このようにして、二人の講義は進んでいくのだった……。