友人の子孫と語り合う その3
大聖堂からレネの執務室に移動した後、アリアはようやく武装を解除する。
白銀の鎧と剣は部屋の隅に置かれており、執務室の雰囲気に奇妙な彩りを添えている。
さらに奇妙な物は、件の鎧の隣に鎮座している二つの袋である。
その袋はミスリル糸で作られており、アリアが300年前の時代から、この時代に持ち出した物らしい。
中身を想像すると、嫌な予感しかジェレミーにはしない。
その様な奇妙な部屋で、レネによる自己紹介と、この世界の説明が行われているのだが……。
どうにも、話しているレネの視線が泳いでいる。
それを追いかけていると、アリアの顔に行ったり、部屋の隅に鎮座している鎧に行ったりと実に忙しない。
どうにかこうにか、レネが一しきりの話を終えると、いきなりアリアが低頭し始める。
「失礼いたしました、教皇猊下。知らぬとはいえ先程のご無礼……平にご容赦いただきたく」
レネの素性を知ったアリアは、海よりも深い謝罪の意を示すのだが、それを向けられた本人は慌てた様子で両手を振っている。。
「いえ、あの……頭をお上げくださいアリア様」
そして、レネは縋るような視線をジェレミーに向けてくる。
「アリア。レネが困ってるから、その辺にしておけよ」
「とは言いましても……教皇猊下に、あのような無礼を働いたとなれば……」
「いえ、本当に気にしていないですから! 全然これっぽっちも、怒っていません」
しばしの沈黙の後……。
「猊下がそう仰るならば……」
ようやく顔を上げるアリア。
ほっとしたように息を吐いた後、レネは疲れたように椅子に座る。
「それにしても閣下……」
何かを言いかけるアリアだったが、それを右手で制するジェレミー。
「ちょっと待った。閣下と呼ぶのは、これ以降なしだ」
そもそも、この時代においてジェレミーは根なし草のようなものだ。
当然ながら、公職に就いているわけでもなく、社会的地位などあるはずもない。
そんな自分を「閣下」と称する事は、この時代にいる本当の「閣下」と呼ばれる者達に失礼だろうと考えている。
「では、何とお呼びすれば?」
ジェレミーの思いを容易に解したアリアは、首を傾げながら問うてくる。
「昔みたいに、お兄ちゃんでも、ジェザ兄でも良いぞ」
「では、ジェザで」
ジェレミーの冗談を完全に無視して、呼び名を決定するアリア。
「ジェザ」というのは、ジェレミーの愛称であり、親しい友人達は彼をそう呼ぶ事が多かった。
当然ながら、公務外においてはアリアも同様である。
「ああ、そうだ。レネも、これからはジェザって呼んでくれ」
「はっ、はい!?」
急に話を振られたレネは、可哀想な程に狼狽している。
先程は指摘する暇がなかったが、基本的にジェレミーは敬称を用いられるのが苦手なタイプである。
加えてそれが、これからお世話にあるであろう人物ならば、尚更である。
「では、私の事もアリアとお呼びください」
ジェレミーと同様に、敬称の略を願い出るアリア。
「お、畏れ多いです。お二人を、そのように馴れ馴れしくお呼びするなど」
そんなレネの様子を認めた後、ジェレミーとアリアは視線だけで素早く意志の統一を図る。
「では、これ以後は、私も猊下とお呼びさせていただきます」
「ジェザ。それ以前に、我々のような根なし草が、猊下のご尊顔を拝すること自体が、許されるかも疑問かと」
「あー、そうだな。では、早々に辞する事としようか」
そんな棒読みの三文芝居であったが、レネには効果覿面であった。
「そ、そんな。それは困ります」
「困ると仰られましても、私もアリアも猊下の……」
ジェレミーが言いかけると……
「分かりました! 分かりましたから、もう止めてください」
半泣きになりつつ、レネが立ち上がりかけるジェレミーの服を引っ張る。
そして、諦めたようにゆっくりと、ジェレミーとアリアの名を口にする。
「ジェザさんに、アリアさん……これで良いんですよね?」
「問題なし」
「はい。ジェザに同じです」
呼称問題に一段落ついた所で、ジェレミーは気になっていた事をアリアに問う。
偶然にもそれは、彼の隣にいるレネも聞きたかった事でもあった。
「どうして、アリアがこの時代に来た事を誰も知らないんだ?」
レネのリアクションを見れば、彼女にはアリアがこの時代に来るという情報が伝わっていないと理解できる。
「ピウスが誰にも伝えなかったのでしょう。私に脅されて、教皇のみに許される秘儀を使ったとは、恥ずかしくて言えなかったのでは?」
「脅すって……何したんだよ」
「ピウスの名誉のためにも、詳しくは聞かない方がよろしいかと思います」
「お前……さっきは教皇猊下だとか何とか言っといて、ピウスには厳しいのな」
「そもそもピウス如きが教皇を名乗る方がおかしいのです。あれ程に聖職者という職業が相応しくない男も珍しいでしょう。奴に比べれば、そこら辺の乞食が聖書を読んだ方が、有難みがあるかと」
好き勝手に言っているアリアだが、対象的にレネは居たたまれない表情を浮かべっている。
「じゃあさ、この時代の教皇はどうなんだよ?」
「はあ? レネですか? 知り合って間もないのですが、佇まいと魔力の波動を鑑みるに、教皇として相応しいかと」
アリアが恥ずかしげもなく、素直な感想を口にするのだが……。
「そのレネなんだが……ピウスの子孫だぞ」
「…………………………へっ?」
「とても珍しい反応を見れて嬉しいが、本当だ。レネは、ピウスとエレオノーラの子孫にあたるんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 色々とお聞きしたい事があるのですが……ピウスとエレオノーラさんが……?」
「はい。ジェザさんには、お話ししましたが、私はそのお二人の15代目の直系子孫になります」
「な、何が起きたんでしょうか……私達がいなくなった後に。まさか、ピウスがエレオノーラさんを手籠めにしたのでは?」
見事にジェレミーと同じ反応をしてくれるアリア。
「何やら、二人で詩を送り合って、思いを通じ合わせたらしいぞ」
「それは、ピウスとエレオノーラさんの皮を被った別人なのでは?」
「残念ながら、本当らしい。現代では、小説とかに引っ張りダコのモチーフらしいぞ。一冊読んでみるか?」
「い、いえ……遠慮します。知り合いのイメージが壊れるのは、ちょっと怖いので」
とても賢明な判断をした後に、アリアはレネを見てわざとらしく言って見せる。
「イエ、さきホドノ話は、冗談デスヨ。ピウスさんは、トテモいい人デシタヨ。みんなに優しくて、とても真摯な人デシタヨ」
相変わらず、演技というものが出来ない少女だ。
棒読みどころか、語尾が奇妙な発音にすらなっている。
「あ、ありがとうございます……」
乾いた笑みを浮かべながら、レネが小さく低頭する。
「どうだ? イメージが粉々になっただろう?」
「あははっ……そうですね。もっと、冷徹で物静かなイメージがありましたから」
確かに、レネの言う通り、大多数の人が一目見た際のアリアの印象は、そう言ったものだろう。
「残念ながら、そうじゃないんだよな。これから付き合えば分かるだろうが、あいつは脳ミソまで筋肉で出来てる女だぞ」
好きなものは根性論と精神論。
気力と元気さえあれば、何でも出来ると信じて疑わないのが、アリアという人物だ。
細かい事を考えるよりも、まずは行動。
それが、彼女の基本的な行動指針である。
「ところでアリア。さっきから気になっていたのだが……」
「ああ、これですか」
立ち上がり、軽々と片手で二つの袋を持ち上げてみせるアリア。
「うわっ……凄い」
見ただけで相当な重量があると思われる袋を、全く苦にしないアリアの腕力を目の当たりにしたレネは目を見開いている。
「あれは、筋力増加の魔法を使ってるだけだからな。決して、アリアの自力じゃないぞ」
「そっちの方が驚きですよ。身体強化の魔法……しかも、あれだけ高度な物を使える人なんて、この時代にそうそういませんよ」
「そんなに珍しいのですか、レネ?」
「はい。それはもう珍しいというレベルではありません」
一応、この時代においては魔法が廃れている事を聞かされているアリアは、「それは不便ですね」と的外れな事を言ってみせる。
実際には、魔法を使用するよりも簡単に重い物を持ち上げられる機械が存在するのだが、この時のアリアは知る由もなかった。
「で、中身は何だよ?」
「まずこちらですが……。先立つ物が必要だと思い、持参いたしました」
そう言ってアリアは、一つの袋に手を突っ込み、無造作に中身を取り出してみせる。
「金貨か?」
「それも……300年前に発行されていた、シュルツ金貨ですね……」
それぞれアリアから金貨を受け取り、それを眺めるジェレミーとレネ。
「もしかして、その袋の中身は……」
「はい。ジェザの想像通り、全て金貨です」
「そんな量の金貨……どこから持って来たんだよ?」
「ハロルドから借りてきました」
ハロルドとは、300年前のジェレミーの友人であり、豪商と呼ばれる類の人物である。
気前の良い中年男性であり、しばしばジェレミーと飲みに行く仲であった。
「借りてきたって……どうやって返すつもりだよ? まさか、ハロルドが300年も生きてるとでも思ってるのか?」
「ああ、そうでしたね。そこまでは、気が回りませんでした」
「踏み倒しかよ……ひでーな」
「彼にとっては大した事のない出費でしょう。それに、彼が一代であれだけ財をなしたのは、我々の協力があってこそですし」
悪びれずに言ってのけるアリアを横目にして、ジェレミーはレネに問う。
「なあ、この金貨って……現代でも使えるの?」
「使えるというよりも……美術的な価値の方が高いですね。然るべき古物商を通せば、一枚あた50万ルピアはくだらなかと……」
「マジかよ……。アリア、こいつは全部で何枚くらいあるんだ?」
「そうですね……。ざっと、300枚程度かと」
「ふわぁ……最低でも1億5千万ルピアですよ」
「それだけあれば、何年くらい遊んで暮らせる?」
「皇国民の平均年収が400万ルピアですから……。ざっと計算すると、35年くらいですね……。もちろん、大量に市場に流せば、価格が下がりますので、一概には言えませんが」
だが、それにしても洒落にならない程の金額である。
何もせずに、一気に億万長者になってしまったジェレミーだったが、喜びよりも困惑の方が大きかった。
「で、残る方には何が入ってるんだ?」
「こちらには、不測の事態を想定しまして、ジェザの装備一式が入っています」
アリアが残った袋から、黒色の鎧と一振りの剣を取り出す。
「お前は……この時代で戦争でもおっぱじめるつもりなのか?」
長年戦場を共に駆け抜けた文字通りの相棒である鎧と剣だが、果たしてこの時代に必要なのだろうか?。
むしろ、手に余る代物である可能性が高い。
「なあ、レネ。こいつ……ってどうした?」
気付けばジェレミーの隣にいたはずのレネが、夢遊病患者のように鎧と剣の元へと、覚束ない足取りで近寄って行く。
「もう……我慢できません……」
そんなレネの様子に、アリアは若干引き気味である。
「何が起きたのですか?」
「えーっとだな……レネは、俺とアリアのファンらしいんだよ。今までかなり我慢していた様だけど、限界だったらしい」
「ファン? 確かに先程から、痛い程の尊敬の念を送られてはいましたが……これは異常と言っても良いのでは?」
「そう言ってやるな。俺だけじゃなくて、アリアまで現れたんだからな」
そんな二人の会話が聞こえていないレネは、黒色の鎧に手を這わせ始める。
「これは……ロンベルク作の……本物です……。こっちも……本物のアリアさんの鎧……」
レネの口元は、形容しがたい形状に歪んでいる。
「何故か、自分自身が犯されているような気がするのですが……」
軽く身震いしてみせるアリア。
そして、それはジェレミーも同じであった。
「この剣は……ジェレミー様の『ヘリオン』……こっちはアリア様の『ペインキラー』。両方とも現代科学の粋を以ってしても再現不能の魔法付与と素材から……」
「さっきさ、レネが教皇として相応しいって言ったよな?」
「ええ、少々早計だったかもしれません……」
奇妙なまでの真剣な表情で、アリアが自らの考えを訂正した」
*********************************************************
結局、レネが正気を取り戻したのは、それから二時間後であった。
既に時刻は深夜になっており、危うくジェレミーが寝落ちしかけたところであった。
「も、申し訳ありませんでした!」
何度も何度も頭を下げて、自らの醜態を謝罪し続けるレネ。
「いや、別に気にすることないって。なあ、アリア?」
「ええ、ジェザの言う通りです」
柔らかい……というよりも生温かい二人の言葉を受けて、レネは恥ずかし気に俯いたまま椅子に座る。
「本当に申し訳ありませんでした」
「そんなにへこむなよ。それよりさ、この剣と鎧なんだけど……どうしよう」
「この時代では無用の長物になりそうですね。売ってしまいますか?」
冗談のつもりでアリアは言ったのだろうが、それを聞いたレネは素早く反応する。
「それを売るなんてとんでもありません! とっても貴重な逸品なのですよ!?」
「えっ……ごめんなさい」
気圧されたかのようにアリアが、謝罪の言葉を口にする。
「ちなみにさ、これを売ると……いや、仮定の話だよ? いくらになるかな?」
「数年前に、クリストフ様が愛用なされた鎧がオークション……競りにかけられた事がありました」
友人であるクリストフが、戦場で身につけていた鎧を思い出すジェレミー。
過度な装飾を嫌う友人らしく、身を守るという目的のためだけに作られた物だった記憶がある。
派手好きの奴らからは、馬鹿にされていたはずだったが……。
「落札価格は……5億ルピアでした」
「5億!?」
「あの鎧が……?」
「となれば、ジェレミー様とアリア様の物もそれと同等……いえ、それ以上の値がつけられる事は確実かと思います。加えて、鎧だけではなく剣まで揃っていますので……20億はくだらないかと」
提示された金額を聞いて、ジェレミーの心は大きく揺れた。
「今、売ってしまおうとか思いませんでしたか?」
「まさか、そんなわけないって」
鋭いレネの指摘に、動揺の色を見せずに何とか答えるジェレミー。
「しかし、弱りましたね」
持ち込んだ本人であるにもかかわらず、他人事のようにアリアは言う。
「そうだな、この時代ではかなり貴重なんだろ?」
「はい。間違いなく、博物館に展示されるレベルです」
「博物館? それは何ですか?」
ジェレミーとアリアの知らない単語が出てきた。
少なくとも、300年前には聞いた事のない言葉だ。
「博物館とは、古今東西の貴重な物を保管し、一般向けに展示する施設です」
(なるほど……そんな施設がこの時代には存在するのか……)
そう考えたジェレミーは、アリアと視線を合わせる。
どうやら、彼女もまたジェレミーと同じ考えに至ったようである。
「ふーん。じゃあ、そこに飾ってもらうか」
「そうですね。使う事がないのならば、公共に利する手段を取るべきでしょう」
長年の相棒と分かれるのは少し寂しいが、それでも眠らせておくよりはずっとマシだろう。
ジェレミーは、そのように軽い気持ちだったのだが……。
「よろしいのですか!?」
何故か、興奮しているレネであった。
「えっ、別によろしいですけど。何か問題がある?」
「いえ、全く! これっぽっちもありません! それならば、寄贈する先は『国立中央博物館』でよろしいですか!? あそこには他の『最初の21人』の方々ゆかりの品も数多くありますし。今年は、ジェレミー様が姿を消されてから300年という事で、特別な年なんです! そのため、国立中央美術館では、『最初の21人』の方々を取り上げた『特別展』が催される予定なんですよ!」
一息に言ってのけたレネの言葉の半分も理解できなかったジェレミーではあるが、勢いに押されて頷く事しかできなかった。
それはアリアも同様であり、反論するつもりはないようだ。
「では、寄贈に関しては私に一任ください! 入手経路も綿密に偽造しますし、お二人にご迷惑をかける事は致しませんので」
「あ、ああ……レネが言うなら大丈夫だろうな」
「そうですね。一任するという事で、問題ないでしょう」
「ありがとうございます! お二人のご期待に添えるよう頑張ります」
そう誓ったレネの瞳には、赤々とした炎が宿っており、彼女の決意の強さを物語っていた。
余談ではあるが、先にレネが言った「特別展」の名称に「ジェレミー=ヴィルヌーブ没後300年記念」という副題がついている。 それを彼が知って、複雑な思いを抱くのはもう少し後の話である。