友人の子孫と語り合う その2
そんなこんなで、レネとジェレミーの会話は続いている。
ジェレミーとしては、色々聞きたい事があった。
例えば、この時代の常識であったり、革新的技術の使い方などが、それに値する。
しかし、どうやら彼の目の前の少女は、それを許してくれないようだ。
「で、では! ゲッティング会戦で、ジェレミー様が行った采配は、文献通りなんですね!?」
もはや、興奮の色を隠そうとしない当代の教皇猊下。
教皇という重いベールなどかなぐり捨て、一人の少女としてジェレミーと相対している状態だ。
「まあ、そうだね……。敵戦列の中央突破を提案したのは、俺で間違いないよ」
「恐ろしくはなかったのですか!? 彼我の戦力差は2倍近くあったというのに」
「別に怖くはなかったかな。震えていたのは恐怖じゃなくて、武者震いってやつだね。勝てる確信があったし」
「そ、その自信はどこから来たのもなのですか!?」
「部下への信頼。それ以外にあると思う?」
そう口にするジェレミーの視線はせわしなく泳いでいる。
先の通り言ってみせたが、実際には違う。
参謀役だった部下の話を聞いていなかったジェレミーが、単騎で敵に突っ込んだ結果、何だかよく分からないまま、味方が奮起して勝利したというお粗末な戦闘である。
勝算もへったくれもあったものではない。
ジェレミーとしては、最も葬り去りたい記憶と言っても過言ではない。
(そんなこと言えねーよな……)
どうやら、レネの中ではジェレミーが味方を鼓舞するために、「あえて」単騎特攻を仕掛けた事になっているようだ。
しかも、それが極めて幸せな思考回路を以って限りなく美化されている。
真実を話す事など、できるはずもなかった。
「では、その際に敵将であるフォルクス卿を乱戦の中で討ち取れたのは、やはり歴戦の英雄としての感覚によるものなのですか!?」
(たまたま、豪華な鎧を着た奴を討ち取ったら、指揮官だっただけなんだよな……)
「まあ、そうだね。敵兵だろうが、一流の指揮官ならば纏う空気が違うからね。そういうのは、目を閉じていても分かるもんなんだよ」
「ほぇ……格好良いです」
(不味い……どつぼにハマってる……)
「ああ、ジェレミー様から直接お話しを聞けるとは……。正に神の思し召しです」
そんな事を言って神に祈ってみせるレネ。
その様子を目の当たりにして、ジェレミーは乾いた笑いを浮かべる事しかできない。
(重い……レネの憧れが重い……)
「レネは……どうして、そこまで俺を尊敬してくれんだ?」
ずっと頭にあった疑問だったが、レネは目を見開いて強い口調で熱弁をふるう。
「私だけではありません! 皇国民ならば、誰しも寝物語で『最初の21人』の方々の英雄譚を聞かされたものです」
この時代において、ジェレミー達は「最初の21人」と称されているらしい。
義兄であるグラハム=ヴィルヌーブと、彼を助けるために立ち上がった20人の英雄達。
それが「最初の21人」という英雄だそうだ。
ジェレミーとしては、恥ずかしいから止めてくれ、と大声を上げそうな呼称である。
「その中でも、ジェレミー様は、断トツの人気を誇っているのですよ!?」
「自覚ありますか!?」と言わんばかりの、レネの表情だった。
ぶっちゃけ、ジェレミーには全くその自覚はない。
「そ、そうなの……?」
「当然です! 戦場においては常勝。政治においては賢王。民草には慈悲深い為政者。正に、英雄の中の英雄なのです」
ジェレミーにとって心当たりがあるのは、一番最初の評価だけであった。
政治なんてやった事がないし、民草に慈悲を与えた記憶はない。。
果たして、この時代においてのジェレミーは、どれだけの万能人になっているのだろうか。
「さらには、未来の皇国のために自身を投げ出すその精神。これ程の方を、英雄と呼ぶのに問題がありましょうか!?」
ちなみに「自身を投げ出す」云々というのは、ジェレミーがこの時代に飛ばされた経緯の事を言っているらしい。
「えーっと、何だか……その。ありがとう」
他者からの尊敬を邪魔だとか、煩わしと思う程、ジェレミーは捻くれてはいない。
もちろん、程度にもよるが……。
だが、ジェレミーがレネから向けられている憧れは、偽装されたものでしかない。、
決して彼本来の実力や成果による物ではないのだ。
後の歴史家や民衆が、過度な理想を押し付けていると言っても良いだろう。
面白くない、とまでは言わない。
しかし、どこか居心地の悪さを覚えてしまう。
「ジェレミー様に憧れて軍に志願する若者は、現代でも多いのですよ」
ジェレミーが一番弱っているのは、それである。
他者の人生に影響を与える程、自分は出来た人間ではないと思っている。
あえて悪い表現をするならば、レネが言ったような若者は、ジェレミーの虚像に「騙されて」人生を選んでいるのだ。
酷くいたたまれない、というのがジェレミーの本音であった
「あっ、でも……。女の子だったら、アリア様に憧れる人も多いですね」
唐突にレネが口にした人名を認識にした刹那、ジェレミーは体を硬直させる。
「アリアって……アリア=スノウ?」
「はい。皇国最初の女性将校である、アリア=スノウ様です」
アリア=スノウ……ジェレミーの副官であり、幼馴染であり、妹分だった少女の顔が浮かんでくる。
ただし、その表情は決して柔らかい物ではなく、眉間に皺を寄せてジェレミーを睨んでいるという剣呑なものであった。
恐らくは、ジェレミーが、この世界で最も恐れる人物である。
何かジェレミーが「やんちゃ」をすると、口ではなく拳で反省させる少女だった。
幼い頃はジェレミーの背中をついて回り「お兄ちゃん」と呼び、慕ってくれたのが懐かしく感じる。
(何も相談せずに、あんな事をしたんだから……めちゃくちゃ怒っているんだろうな)
うすら寒さを感じているジェレミーを、どう解釈したのかレネが労わりの言葉をかけてくる。
さらには、理解不能な事に彼女の瞳には、うっすらと涙すら浮かんでいる。
「やはり、お辛いですよね……」
「えっ、何の事?」
「無理をしないでください……。不肖の身ではありますが、私も神に仕える者。ジェレミー様の心を癒すのに、多少なりとも力になれるかもしれません」
「いや、だから……何を言ってるの?」
何故か張り切っているレネではあるが、ジェレミーには全く理解できない。
別に、癒しが必要な程に傷つけられた心は持っていなのだが……。
「あれ? えっ……でも」
話が噛み合っていない事にようやく気付いたらしいレネは、目を白黒させている。
「恋人であるアリア様と離別なされたのですから……」
「へっ……?」
予期せぬ単語を耳にして、ジェレミーは硬直する。
きっと傍から見れば、今のジェレミーは相当に間抜けな表情になっていただろう。
「ちょっと待って……誰と誰が恋人だって?」
「ジェレミー様とアリア様です」
「俺とアリア?」
「はい」
しばしの沈黙。
そして、ジェレミーは頭を抱える。
「この時代では、そうなっているの?」
「えっ、違うのですか!?」
驚愕、というのは今のレネの表情を指す言葉なのだろう。
口元に手を当てて、必死に冷静さを取り戻そうとしているのが良く分かる。
「どこで何を間違えたのか分からないけど、俺とアリアはそんな関係じゃないよ」
先にも述べた通り、副官、幼馴染、妹分……などジェレミーとアリアの関係を形容する単語は様々である。
しかし、その中に「恋人」という単語は存在していない。
「えーー、そんな……」
素が出ているレネの嘆息であった。
「ちょっと待て。どうして、そこで残念がる」
「どうして、と言われましても……。ジェレミー様とアリア様の悲恋は、ダーレイ戦記……ジェレミー様達の活躍を描いた本なのですが……その中で最も人気のある部分なんですよ」
「著者は誰だ? 今すぐ殴りに行く」
「250年前に亡くなってますから、それは無理かと……」
冷静なレネの突っ込みを受けて、ジェレミーは何とか我を取り戻す。
「とにかく、この世界では俺とアリアが、恋仲って話になってるんだよね?」
「芝居の題目としても人気がありますし、今でもお二人の関係を描いた本が出版される程ですよ」
そして、レネは立ち上がり、本棚から数冊の文庫本を持ってくる。
「ここ5年の人気作だけでも、これくらいありますから」
「歴史学者は、何をしてたんだよ……」
積み上げられた文庫本を一冊手に取り、裏表紙に書かれている粗筋を読んでいくジェレミー。
「えーっと……異世界に送られたジェレミー=ヴィルヌーブであったが、主神ユリゼンの加護によって皇国へと戻って来る。一度は離別した二人であったが、再会した事によって再び恋の炎が激しく燃え上がる……」
ジェレミーは思わず、文庫本を手から落としそうになる。
「恋の炎って……元から燃えてもないのに」
「でもでも、少しくらいはありましたよね?」
まだ希望を捨て切れていないのか、レネは身を乗り出してジェレミーに問うてくる。
「生憎と無いね……」
「えー、恥ずかしがらないでくださいよー」
どんどんレネの口調が砕けたものになる。
どうやら、この時代でもレネくらいの年齢の少女は、色恋沙汰が大好物のようである。
「だって、小さい頃から一緒だったんですよね? 命がけの戦場を駆け抜けて、寝食を共にした仲なんですよね?」
「確かにそうだけど、残念ながら全く無かったね。神に誓っても良いくらいだよ」
不服気なレネではあるが、それよりもジェレミーには確認したい事があった。
「アリアは……どうなった?」
かなりの迷惑をかけたであろう事は、ジェレミーに予想が出来た。
義兄と仲間達の事だから、悪くは扱っていないだろうとも思ってはいるが……。
「アリア様は……」
やや言い難くそうにして、レネは小さな声で告げる。
「ジェレミー様が失踪した後、全ての職を辞されました。その後の、足跡は残っておりません」
「そうか……」
予想はしていたが、それでも苦い物がジェレミーの中にあった。
まさか殉死などはしないと思うが、それでも彼女には皇国の力になって欲しかった。
そんな自分勝手な思いを抱いてしまう。
「まあ、アリアの事だ。良い人生を送ったに決まってるな」
沈んでいるレネに対して、ジェレミーは笑いながら肩を竦めてみせる。
するとそれにつられたようにレネも「きっと、そうですよね!」と言って、何度も頷いてみせる。
「まあ、この小説にあるみたいに……辺境を回って悪領主共を成敗したってのは、存外にあり得る話だと思うよ」
一冊の文庫本を手にとって、そんな妹分の姿を想像するジェレミーであった。
(いや……笑い話じゃなくて、本当にやりかねないからぞアリアなら……)
自らの冗談を反芻して、うすら寒くなるジェレミーであった。