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英雄の帰還(ただし、前科4犯)  作者: 菅野鵜坂
第2章 英雄、旅に出る(前科4犯)
17/20

日曜大工と逃亡者

 帝都を出立した日の午後、ジェレミー一行は最初の目的地であるゲッティングに到着していた。

 チェルシーが確保したホテル……ホテル・クレセンドは、ゲッティングにおいて割合高級な部類に属するホテルであった。

 予定では、この地に半月ほど滞在する予定である。

 もちろん、何も騒ぎがなければの話であるが……。


「うおー、高い……」


 窓の外から見える景色を、ややへっぴり腰で眺めるジェレミー。

 地上35階建ての割合高級なホテル。

 その34階の一室に、彼の部屋はあった。

 全面ガラス張りと言っても良い程の部屋からは、ゲッティングが一望できるようになっている。

 しかし、どうにも下に落ちてしまうような不安があるために、先のようにへっぴり腰になってしまっている。


「人が、人形みてーだ」


 はるか遠くに見える道行く人々は、文字通り豆粒のようであった。

 彼が生まれて初めて体感する高度であり、背筋がぞわぞわして仕方がない。

 チェルシーが気を利かせて景色の良い部屋を取ってくれたらしいのだが、ジェレミーとしてはなるべく低い階の部屋の方が実はありがたかったりもする。


 ちなみに、他の三人もまた同じ階に部屋を取っており、何かあった際には「助け」を求める事になっている。


「しかし、広い部屋だな……」


 自らが逗留する部屋を探索し始めるジェレミーであったが……。

 

 バキッ……というとても聞きたくない音が廊下から聞こえてきた。


「…………聞かなかった事にしよう」


 そう呟いて室内の探索に戻るのだが……。

 

 コンコンコンコン……。

 

 と焦ったようなノックの音が聞こえた。


 それを無視していると……。


「ジェザ。不味い事になりました」


 アリアの声から察するに「不味い事になった」のではなく、「不味い事をした」のだろう。


「あー、もう。仕方がねーな」


 髪を掻きむしりながら、ジェレミーがドアを開けると、そこには冷や汗を流したアリアがいた。


「何をやらかしたんだよ?」

「遺憾な事に……ドアが開かなくなりました」

「鍵を中に置いたままなのか?」


 冷や汗を拭いつつ、頷くアリア。

 視線は忙しなく動き、完全に落ち着きを失くしている。


「お前、チェルシーの話聞いてたか? このホテルはオートロックだかってやつなんだぞ」


 一時間程前にチェルシーから受けた説明を繰り返すジェレミー。


「失念していました。極めて遺憾に思っています」

「でも、そこまで焦る必要はないだろう? チェルシーが言ってたみたいに、フロントに連絡すれば合い鍵で開けてくれる……」


 そう言いつつ、ジェレミーはアリアがずっと両手を後ろに回しているのが気になった。

 

「お前……何か隠しているだろう?」


 びくり、とアリアの肩が震えた。


「………………」

「もしかして、さっきの音と関係あるのか?」


 今度は飛び上がらんばかりに、ビビりまくるアリア。


「あの……その。鍵をですね……中に閉じ込めて焦ってですね」

「お前なら、焦るだろうな」


 わたわたと慌てるアリアが目に浮かんでくるジェレミー。


「それでですね……。慌ててドアノブを回したのです」


 そして、後ろ手にしていた両手をゆっくりと差し出すアリア。


「そしたら、壊れました。どうやら、取り付けが悪かったようです。物理的な意味で、ドアが開かなくなりました」

「ポッキリいってるじじゃねーか。壊れたじゃなくて、壊したんだよ。こら、目をそらすな」


 冷や汗をだらだらとかきながら、ジェレミーと目を合わせないようにしているアリア。


「そ、それでですね……ジェザ。お願いがあるのです」

「何だよ? 一緒に謝れって言うのか?」

「ち、違います。その、チェルシーにばれるのは不味いので……」


 そして、アリアは両手で恭しく、「ドアノブ」だった物をジェレミーに差し出してくる。


「お前、俺のせいにしろって言うのか?」

「そんな汚い事を私がするとでも!? そうではなく、溶接をお願いしたいのです」

「隠ぺいは汚い事じゃないのか……?」

「大丈夫です。ばれなければ、どうと言うことはありません」

「何が大丈夫なのか、全然分からないが……」


 幸いな事(?)にドアノブの破断面は、極めて滑らかであった。

 一体、何をすればこうなるのか想像できないが、溶接をするには悪い事ではない。


「今回だけだからな、やってやるのは……」


 ジェレミーはため息をつきつつ、アリアの部屋のドアまで行くのであった。


***********************

 

 伝承によれば、ジェレミー=ヴィルヌーブの魔法は、攻撃に特化していたと言われている。

 曰く「灼熱の炎を操る」。

 曰く「天を衝かんばかりの雷光を操る」

 などなどである……。


 その希代の攻撃魔法の使い手は……。

 

 

 壊れたドアノブを溶接していた。

 

 ジェレミーの指先からは、超高温の細い炎がナイフのように伸びている。

 溶接途中のドアノブからは、溶けた金属が落ちそうになるのだが、それらは瞬く間に消えていく。

 

「良いか? 火事になるとまずいから、直ぐに消せよ? それから、周囲に聞こえないように防音結界を張っておくように」


 その言いつけをアリアは、しっかりと守っていた。

 そして、祈るようにしてジェレミーの溶接を見守っている。


「ど、どうですか、ジェザ?」

「きちんとした手順を踏んでないから、見栄えは悪いけど……」

「バレない程度にはなりますか?」

「まあ、その程度になれば良いけどな……」

「チェルシーとロブにばれなければ、問題ありません」

「そうは言ってもさ、この現場を目撃されたらまずいだろう」

「大丈夫です。2人とも荷解きがあるとかで、しばらくは部屋にいるはず……」


 そう言ったアリアだったが……

 

「何をしているのですか?」


 アリアの背後には眼鏡をキラリと光らせたチェルシーがいた。


 その刹那、アリアが素早く移動する。

 瞬時に対象との距離をゼロにして、その右人差し指をチェルシーの眉間にぴたりと当てる。


「御免」


 そうアリアが呟くと同時に、チェルシーは力なく崩れ落ちる。


「危ない所でした……」


 崩れ落ちたチェルシーの体を支えつつ、アリアが切羽詰まった声で言う。


「……危ないのはお前だよ」


 ちなみにその様子を、逆方向にある部屋のドアから首だけを出してロブが見ていたのだが、ジェレミーの視線を解して静かに部屋に引っ込む。


「大丈夫です。眠らせただけですので」


 そう言ってチェルシーの体をまさぐり、カードキーを取り出すアリア。

 

「では、死ぬほど疲れていると思われるチェルシーを寝かせてきますので」


 仕方がなさそうに肩を竦めながら、チェルシーの部屋へと向かっていくアリア。

 すると、恐る恐るといった感じでロブが、ドアから首だけを出す。


(一体、何が起きたんだい?)


 口の動きだけで問うてくるロブ。


(アリアがドアノブをぶっ壊したから、その隠蔽のために溶接中。チェルシーは現場を目撃して、犠牲になった)

(ああ、そう言う事……)

(ロブも見なかった事にした方が良いと思う)

(何だか、本末転倒な気がするんだけど……)

(多分、それを理解していないのはアリアだけだろうな……)


 ジェレミーとロブは2人して、肩を落としている。



(見た所、溶接も適当みたいだけど大丈夫なのかい?)

(やっぱり分かる? このままだと長く持つ気がしないんだよ)

(仕方がないから、後日付け替えようか)

(出来るの?)

(見た所、特注ってわけでもなさそうだから、可能だと思うよ。一応、調べ物は得意な組織にいるからね)

(それは助かる。お願いしても良い?)


 ジェレミーの言葉(?)にロブが頷いた時、チェルシーの部屋のドアが開いた音がして、ロブは直ぐに頭を引っ込める。


「ジェザ。調子はどうですか?」

「あ、ああ……。何とか直ったぞ」


 本当に「何とか」と言うレベルではあったが、それでもアリアの基準は満たしていたようであり、丁寧にジェレミーに低頭してみせる。

 

「ありがとございました。これで、2人には気付かれる事はないでしょう」

「…………そっか、満足そうで何よりだよ」


 どうせ、付け替えても、アリアなら気付かないんだろうなと思うジェレミーであった。

 

*************************

「おーい、こっちこっちー!」


 手をぶんぶんと振り回しているルーベンを見つけた瞬間、シモーネは何度目になるか分からない後悔を覚えた。

 大体にして、今いる場所は刑務所のすぐ近くの路地裏だ。

 一応は脱獄犯であるシモーネを待つにしても、やり方と言う物があるだろう。


「ほらほら、早く乗ってよ」


 セダン車の後部座席のドアを開けながら、どこか弾んだ声のルーベンであった。


「あんたさ……。後部座席にスモーク張るとか、少しくらい細工したらどう?」

「あっ、そうだね。後で、カー用品店に行って買ってこようか」

「──もう好きにして良いよ」


 疲れたようにシモーネは後部座席に座り、ため息を吐く。

 そして、今まで小脇に抱えていた荷物を隣に置いた。


「あれ? それはどうしたの?」

「私物だよ私物。塀の中で使ってたやつ」

「へぇ、ちゃんと回収してきたんだー。えらいねー」

「…………前にも同じこと聞いたかもしれないけど……それだけ?」

「えっ、何の事?」

「いや、もう良いよ……」


 自分の言葉の何がシモーネを不機嫌にさせたのか分かっていないルーベンは、わざとらしく明るい声で言う。

 

「ねえ、それよりさ。上手く脱獄できたでしょう?」

「──本当に上手く脱獄できたよ。それこそ、見張りもいないし、ドアも空いてるし……」

「でしょう? やっぱり、僕らの手に入れた情報に間違いはなかったんだね」

「本当。凄い情報だよ……」


(あたしの私物もきちんと段ボールに入れられて、ドアの前に置かれてたしね……)


 独房のドアを開けたら、目の前に私物がきちんと置かれていたのを見て、流石にシモーネは吹き出してしまった。

 つまりは、これがシモーネにとっての「メリット」なのだろう。

 「戻ってくる必要はない」という、意味がこれには込められていると直ぐに分かった。


 そんな事をシモーネが考えていると、運転席の男はルームミラーの点検などをし始めている。


「あんた……何してんの?」

「えっ、走る前の点検だけど」

「…………一応、あたしは脱獄犯だよね?」


 まあ、実際の所どう処理されているかは置いといても、外れてはいないだろう。


「そうだね。それがどうしたの?」

「…………早く逃げようとか思わないの?」

「えっ、だって危ないじゃん」

「何がよ?」

「点検なしに走るの。ルームミラーを調整しないと後続車の認識関わるし、サイドミラーは……」


(駄目だ……こいつ)


 そして、ようやく発進する自動車。

 当然ながら、走行速度は法に定められているものを順守している。

 大通りに出た瞬間に、後続者からパッシングされるレベルである。

 法律上は褒められた模範的な運転ではあるが、後部座席に座るシモーネにとっては酷くフラストレーションがたまるものであった。


「あんた……小さい頃の通信簿に『応用が利かない』って書かれなかった?」

「えっ、よく分かったね。似たような事を良く書かれていたよ。それから、色々な事に興味を持ちましょうっても書かれてたかな」


 照れたような笑みがルームミラーに映り、シモーネはこめかみが酷く痛むのを感じた。

 

「それよりさ、ジェレミーとアリアの居場所が分かったんだよ」

「そう。それはようござんした」

「あれ? どうして、素っ気ないの?」


 ルームミラー越しの視線を無視しつつ、シモーネはゲッティングの街並みを漫然と眺める。

 流石に観光都市という事もあり、道行く人々の多くは旅行雑誌を手にしている。

 こう見えても、シモーネは意外に歴史的建築物とか、遺跡には強い興味を持っている。

 時間や状況が許すならば、ゲッティングを半月くらいかけて観光したいくらいなのである。

 恐らくは、それが出来ない事も多少なりとも苛立ちの要因なのだろう。


「で、その居場所の情報源は?」

「それは秘密だよ」

「へーへー、そうですか。どうせ、外部協力者からの情報でしょう? あたしの脱獄に関する情報も、そいつからだったりして」


 興味無さ気に言ってのけるのだが、ルーベンは驚きに目を丸くしている。


「ど、どうして分かったの?」

「どうしてそれが分からないのか、あたしには理解できない……。まあ、とにかく、2人の居場所はどこ?」


 後半は語調を強くしたシモーネにビクつきながら、ルーベンは答える。

 

「えーっとね。ホテル・クレセンドっていう所」

「それって、割合高級なホテルだよね? 確か、全国展開してなかった?」

「そうだよ。そこの34階に宿を取ってるみたい。同行者は、他に2名。教皇庁の人と、帝都警察の人。護衛か何かかな?」

「自分よりも弱い護衛なんて、あたしはご免だね。で、これからどうするの?」

「とりあえず、2人を観察するためにホテル・クレセンドに部屋を取ったんだ」


 その言葉に色々とシモーネは驚かされた。

 そんな有名なホテルに脱獄犯を泊める神経もそうだが、高級ホテルに宿を取った気風の良さも驚くに値した。


「へぇ、やるじゃない。で、どんな部屋?」

「えーっとね、ツインを取ったよ」

「豪気だねー。シングルでもよかったのに」

「それじゃあ、流石に狭いよ、2人で泊るには」


 その言葉でシモーネは凍った。

 それこそ、一瞬だけ思考が空白になった。

 震える声で、ようやく問い返す。


「ツインって……もしかして1部屋?」

「もちろんだよ。だって、僕と君が一緒じゃないと不便でしょう?」


 何を意味の分からない事を言っているのだ? といった感じのルーベンであったが、それはむしろシモーネの台詞である。


 無言のまま、シモーネは運転席の背中を蹴り始める。


「わっ、ちょっと。何してるの!? 危ないって!」

「死ね! この馬鹿! 変態!」

「えっ、ちょっと! どうして怒ってるのさ!?」

「アホ! ロリコン! 犯罪者!」


 そういうつもりがルーベンにない事は、シモーネにも容易に理解できる。

 運転席の魔法バカが女性に性的興味を持っているかすら怪しいとも思っている。

 だが、それとこれとは別の話である。

 別に、シモーネとしても絵にかいたような「女性的扱い」を望んでいるわけではない。

 しかし……この状況は余りにも目に余る。

 「不便」の一言で、事もなげに同室を決定した、ルーベンの神経が信じられないのだ。


「は、犯罪者なのは、むしろ君でしょうが」

「うるさい! このバカ! どうして、あたしがあんたと同室なのさ!?」

「えー、だって色々と便利じゃん」

「ふざけんな。あんたは、かよわい少女と同室して、何をするつもりよ!?」


 少しだけ自分の顔が熱くなっているのに、シモーネは気付いていた。

 むしろ、それを隠すために運転席を蹴り続けているのであるが……。


 ようやくルーベンは、シモーネが何を言わんとしているのか察したようである。


「もしかして、僕が君に……その……いかがわしい事をするとでも?」


 そう言ってすぐに、ルーベンは苦笑を浮かべる。

 

「あはは。そんな事しないよ。大体にして、君の方が僕よりも断然強いんだからね」


 シモーネは自分の頭の中で何かがキレる音が聞こえた気がした。

 

 ちなみに、2人の車の後続車は、いきなり蛇行運転をし始めた前の車を見て、慌ててブレーキを踏む事になる。

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