増える前科
レネに案内され、皇宮内を移動するジェレミーとアリア。
ジェレミーの体感時間としては1カ月ぶり、実際の時間の経過としては300年ぶりの皇宮であった。
300年という時間の流れでも、皇宮の基本的な構造は変わっていないようだ。
実際には、細かな補修等は行われているが、それも特段気にならない程度である。
レネが言うには、文化遺産としての皇宮を保護するために、大幅の改築等は禁止しているそうだ。
しかし、ジェレミーとしてみれば、「別に、不便ならいくらでも改築すれば良いのに」と他人事のように思ってしまう。
これもまた、過去と現在の人間の認識の相違なのだろう。
「懐かしいですか? 300年前と殆ど変っていないと思いますけど」
前を歩くレネが、ジェレミー達にどこか弾むような口調で問いかけてくる。
ちょうど自分が考えていた事を口にされて、ジェレミーは少しだけ言い淀む。
「まあ、ね……。あの時と殆ど変っていない気がする。もしかして、謁見の間に続く階段に大きな傷とか、残ってたりする?」
「もしかして『アリアの傷』の事ですか?」
「アリアの傷……まあ、アリアがつけた傷に間違いないけど」
「もちろん残っていますよ。言い伝えでは……アリア様が皇宮に現れた、幽霊のような人外を成敗した際についた傷だとか」
「まあ、間違えていないな……」
「本当に、皇宮には……その幽霊が?」
「幽霊の正体は、アホ教皇。臆病者の幼馴染を、怖がらせるためにしでかした冗談なんだけどな」
皇宮の夜間巡回を行っていたアリアの前に、幽霊に扮したアホ教皇が飛び出した……。
よくあるドッキリ的なおフザケだったのだが。
「本物の臆病者は、追いつめられると見境を失うらしい」
「あー、つまりは……。幽霊に扮したピウス様を切ろうとした際の傷だと」
「今はどうだか分からないけど……。当時の皇宮は、かなり自由というか、やりたい放題できた場所だからな」
「最近……歴史の真実は知らない方が良いような気がしてきました」
「憧れは遠い方が、何かと良いと思うぞ」
さて、『アリアの傷』だかという、歴史上のミステリーを作り上げた張本人は……。
「うっぷす……」
ジェレミーの隣で、青い顔になって口元を手で覆っている。
「まだ治らないのか?」
「あの車、という乗り物は便利ですが……うっ」
「無理するなよ……少しくらい休んだ方が」
「皇帝陛下をお待たせするわけには……うっぷ」
えずくアリアの足取りはふらついている。
正に千鳥足、といった所である。
「車酔いっていうんだっけ?」
「まさか、アリア様が車に弱いとは思いませんでした……」
「どうやら、馬以外の乗り物は駄目みたいだな……」
「私としても、自らの弱さを遺憾に思います……おっぷす」
警察による追跡が終了した後、ジェレミーとアリアは僧院へと戻った。
そして、既に車を用意し待ちかまえていたレネと「感動」の再開を果たし、皇宮へと訪れたわけである。
初めての車という事でテンションの上がっていたジェレミーとアリアであったが、出発してわずか3分。
アリアの様子がおかしくなった。
黙りこみ、顔は青くなり、冷や汗が滝のように流れている。
どこからどう見ても、完全な車酔いであった。
何とか最後の一線を超えずに、ここまで来れた事は褒めるべきなのかもしれない。
そう思える程に、彼女の体はギリギリだったのである。
「陛下の前で吐いたりするなよ……」
「その様な粗相……私がするとでも?」
「前に兄貴と一緒に船に乗った時の事忘れたのかよ? 300年前の皇帝の前では、見事にやってただろ」
後始末をする方の身にもなって欲しい、とジェレミーは心から思う。
やがて、不意にレネが足を止めた。
「こちらで、陛下がお待ちになっております」
第3執務室の扉の前で立ち止まる3人。
この奥に、ジェレミーの傍系子孫にして、当代の皇帝がいる。
そう思うと、何やら奇妙な感覚に囚われる。
「陛下……ジェレミー=ヴィルヌーブ様とアリア=スノウ様を、お連れいたしました」
ノックの後、レネがドアの奥に向かって澄んだ声で告げる。
「お入りください」
返ってきた声は、ジェレミーとアリアにとって、酷く懐かしい声とよく似ている。
その証左、とでも言うべきか? アリアの顔色は瞬時に元に戻り、先程までの車酔いの症状は完全に消えている。
「失礼いたします……」
ゆっくりと静かにレネが扉を開ける。
質素な部屋であった。
この部屋が、皇宮の一室だと言われても信じられないだろう。
そのような部屋の奥では、1人のスーツ姿の若者が柔和な笑みを浮かべていた。
その若者の顔立ちを見た瞬間……反射的にジェレミーとアリアは片膝をついて跪きそうになる。
彼らが心から、掛け値なしの忠誠と敬意を払う人間が、目の前にいるように思われたのだった。
「ああ、それは止めてください。俺としても、御先祖様に畏まれるのは苦手ですので」
完全に個人的な会見である事を示すために、わざとらしく軽い口調で口にする若者。
「初めまして。当代の皇帝を務めているクラウス=ヴィルヌーブです。クラウス、と呼んで頂けると嬉しいですね」
クラウスは訪問者を迎えるように腕を開き、自らの名を名乗る。
「お疲れでしょう。どうぞ、お座りください」
そう言われるのだが、ジェレミーとアリアは上手く反応できない。
余りにも目の前の人物が、グラハム=ヴィルヌーブに似ている……いや、生き写しと言っても過言ではないだろう。
ここが本当に300年後の時代なのか、怪しくなってくる感覚すら抱く。
「やはり、似ていますか?」
困った様子のクラウスを見て、ジェレミーがようやく我に帰る。
「えっ……いや、その。まあ、アリアが硬直するくらいには」
ジェレミーの隣にいるアリアは、跪きかけた中途半端な態勢で固まっている。
「おい、アリア。正気に戻れ」
「はっ……も、申し訳ありません」
慌てて居住まいを正すアリア。
「陛下の御前でかような醜態を……」
慌てて謝罪の言葉を口にしかけるのだったが……
「あー、そういうのは止めてください。不遜な言い方かもしれませんが、お2人は『友人』としてご招待したつもりですので」
「
そして、悪戯っぽくクラウスは付け加える。
「皇帝って言うのは、友達が少ないですからね」
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「へぇ、やっぱりそうだったんだ。ゲルス会戦での采配は、やはりそういった意図がねー」
クラウスもまた、300年前の話に興味があるらしく、話題は主にそういったものになっていた。
300年前にジェレミー達が何を思い、何をしたか、それらをクラウスは興味深げに聞いて行く。
先の「友人宣言」の後、クラウスはジェレミーとアリアを、その様に呼び敬語を使用する事を止めていた。
2人としても、グラハムと瓜二つの人物から敬称を使われるのは、勘弁願いたかったので好都合であった。
そういった会話が、1時間程続いただろうか。
思い出したように、クラウスが手を叩く。
「ああ、申し訳ない。こちらばかりが話を聞くだけで」
クラウスは一拍の間を取る。
そして、言い難そうに話題を転換する。
「わざわざ来てもらったのは、ジェザ、そしてアリアの今後の話をするためなんだ」
「それに関しては、とても申し訳ないです……」
「……極めて遺憾に思います」
既にジェレミーとアリアは、あの逃走劇が何故起きてしまったのかは、しっかりと聞かされており、地味にへこんでいた所であった。
そのため、殊勝に頭を下げる2人だったが、クラウスは楽しげな笑みを浮かべて右手を振る。
「気にしてないよ。人的被害も出なかったし。何より……くくっ、言葉は悪いけど楽しませてもらったしね」
「陛下っ……」
クラウスの悪びれない口ぶりをレネが窘めるのだが、当の本人は気にしていないようだ。
「まあ、後始末はこちらでするから、気にしないでもらえたら嬉しいかな」
その言葉を聞いて、ジェレミーは気になっていた事を、ようやく尋ねる気になった。
「あの……実際に、俺達はどんな罪に問われる可能性があった?」
「まだ確定は出来ないけど……公務執行妨害、暴行……それから……逃げる時法定速度は守った? って人間に適用されるのかな……? まあ、確定しているだけでも3つはあるかな」
「なんてこった……前科3犯じゃねーか」
頭を抱えるジェレミーだったが……。
「でも、ジェザの場合は4犯だね。ほら、反逆罪は未だに名誉回復されてないから。学術的な通説と、政治は違うからね」
クラウスがからかうように言うと、ジェレミーの隣に座るアリアが小さく拳を握ったのが分かった。
「お前……今、俺より前科が少ないと思って、喜んだだろう?」
「ソノようなコトハないデスヨ?」
完全に棒読みで言いつつ、アリアがジェレミーから視線を外す。
その横顔が微妙に勝ち誇っているのは、彼の気のせいではないだろう。
「さて、それじゃあ、話を元に戻そうか。後始末をするとは言っても、2人を目撃した警官とか市民は、結構いる訳なんだよね」
あれだけ派手な騒ぎを起こしたのだから、当然のことであろう。
それはジェレミーとアリアも重々承知はしている。
「なので、帝都でこのまま生活するっていうのは、しばらくは無理そうなんだよね。だからさ……旅にでも出てみない?」
「「旅?」」
ジェレミーとアリアは、クラウスの口から出てきた予想外の単語に驚く。
「そうそう。例の騒ぎが、ある程度落ち着くまで、国内を回ってきたらどうかなって。まあ、都落ちみたいに思われても仕方がないかもしれないけど」
「いや、別にそう思ってはいないけど……。良いの? 旅なんかに出して」
「私もジェザと同意見です。知っての通り、我々にはこの時代の常識がかけていますし、旅に出た先で無用な騒ぎを起こす可能性が」
「だからね、お供を2人くらいつけようかな、と思ってるんだ」
そのクラウスの言葉を聞いた瞬間、レネが口を開く。
「陛下。それは、少々問題があると思います。供するということは、お2人の素性を知る事と同じ意味を持ちます」
「でも猊下……。それは、もう今更の話じゃないのかな?」
クラウスの言葉で、レネは固まる。
簡単な言葉ではあったが、それは的確にレネの失態を指摘するものであった。
「だからさ、こうしませんか猊下? 俺と猊下、2人で1人ずつ、信頼できる者を選び、旅の供にする。2人の素性を知っても、他意なく旅を供に出来る人間。心当たりは、ありませんか?」
軽い感じのクラウスの言葉に対して、何かを言いかけるレネであったが、結局黙り込んでしまう。
「じゃあ、決まりですね。ジェザとアリアは、異存ないかな? ちゃんと信頼できる人を選ぶから、心配しないで」
ジェレミーとアリアは俯いて、何やら思案しているレネを横目にして頷く。
元より、彼らに拒否権などない。
むしろ、ここまでの温情を受けている方が、望外とも言えるだろう。
「分かりました。私にも異存はありません」
レネが顔を上げて、力強く答える。
「申し訳ありませんが、陛下。中座させていただいても?」
「構わないですけど、どうかしましたか?」
「心当たりのある者に、先だって連絡しておきたいので」
そして一礼し、どこか力強い足取りで退室していくレネ。
その後ろ姿が消えた後、クラウスが口を開く。
「少し、イジメ過ぎたかな? まあ、ジェザとアリアを今まで独り占めしてたんだから、少しくらい反撃しても良いと思わない?」
問いかけられたジェレミーとアリアは、返答に窮する。
言い淀んだ2人を見て、クラウスは少しだけ不服気に鼻を鳴らした。
「まあ、良いか……」
そして、世間話を始めるかのようにクラウスは口を開くのだが……。
「2人に聞きたい事があるんだ。ジェザとアリアは、何をしたいのかな?」
核心を突く質問を投げかけてくる。
クラウスの目は笑っているものの、それは決して先程までの友好的なものではない。
その眼を見て、ジェレミーは確信する。
結局、クラウスが一番聞きたいのはそれなのだと。
予想もしていたし、意外な質問でもない。
そして、その答えは既にある。
「歯車になる事かな」
その言葉を聞いた、クラウスの肩が少しだけ震える。
それを確認して、ジェレミーは続ける。
「兄貴がよく言ってたんだけど……皇帝って言うのは歯車なんだって、一番小さなね。この時代では、俺達は厄介者だと思う。だけど……大きさは何でも良いし、配置はどこでも構わない。この国の歯車になれれば良いかなって思う。アリアはどうだ?」
「異存ありません。私も、グラハム様に薫陶を受けた一人ですので」
2人の返答を吟味していたクラウスであったが、やがて表情を先程までの友好的な物に戻す。
「歯車ね……。その答えは、嬉しいかな」
そうクラウスが呟くのだが、ジェレミーは何故かしたり顔で頷いている。
その表情の意味がつかめずに、クラウスは訝しげに問う。
「ジェザ、どうしたんだい?」
「いやー、最初はさ、兄貴と瓜二つだと思ったんだけど……。やっぱり、似てない所の方が多いなと思って」
「ああ、それは私も思いました。親しく話すと、あまり似ていませんね」
「うん? そうなのかい? 是非、聞かせてもらえるかな?」
心底意外そうな表情になりながら、クラウスが身を乗り出す。
「うーんと、まずは笑い方かな。兄貴の笑い方って、すっごく悪そうなんだよ。絶対に、腹に一物抱えてるだろうって感じ。そして、それを隠そうともしないんだよ」
「それから、いつも遠まわしに、他人を試すような物言いをしていました」
「そっか……似てないのか」
クラウスがそう呟くと同時に、レネがノックと共に戻って来た。
その場にいた3人が予想しない程に、早い戻りであった。
「こちらの人員の目処はつきました。私が最も信頼する方に、お願いしようと考えています」
その人物に全幅の信頼を置いているようで、レネは自信満々といった様子である。
「そうですか。では、こちらも人員の選定を即座に行う事にしましょう」
その言葉を合図として、会談はその目的を終える事なった。
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クラウス=ヴィルヌーブは、グラハム=ヴィルヌーブが好きではない。
かと言って嫌いかと問われれば、そのようなことはない。
もちろん、無関心であるはずもない。
彼の功績は認めている、その人徳も素晴らしいと手放しで称賛できる。
しかし、それが必ずしも好意とは結び付くわけではない。
身も蓋もない言い方をすれば、クラウスはグラハムに対して、かなりのコンプレックスを持っている。
そもそも、そうなった理由は、クラウスの容姿がグラハムに瓜二つということだった。
周囲の人間達は、当然のようにクラウスを「グラハムの生まれ変わり」と称してきた。
それはある意味では、喜ぶ事なのかもしれない。
しかし、クラウスにとっては、ただ反骨心を滾らせる燃料でしかなかった。
グラハム=ヴィルヌーブを目標にするのは吝かではない。
だからと言って、グラハム=ヴィルヌーブのクローンになろうなどとは思わない。
どうせならば、「グラハムが、クラウスに似ている」と言わせたい、と考えている。
もちろん、時代の後先があるが、それだけの反骨心は持ち合わせている。
「似ているのか、似ていないのか……」
自分以外は誰もいない執務室で、クラウスは自嘲気味に笑う。
自らの口癖は、奇しくもグラハムと同じであったらしい。
しかし、同時に過去から来た者達は、クラウスとグラハムは似ていないとも言っていた。
彼にとっては、何とも複雑な心境である。
「それにしても、面白い者達だったな」
クラウスは、ジェレミーが退室する前に握手を交わした右手を、じっと見つめる。
そもそも、クラウスは英雄など必要ないと考える。
英雄を求める国家は、不幸だ。
英雄とは危機に瀕した国と国民の願望でしかない。
そして、その願望を達成した偉人を、後世の歴史家が虚構を用いて生成した虚像でしかない。
英雄とは、その意味で不幸な存在だ。
英雄を求める者達、そして英雄になった者達。
そのどちらも不幸だと言わざるを得ない。
もはや、同情心すら抱いてしまう。
それ故、彼は英雄を必要とはしない。
その様な王がいるならば、即刻で首をくくるべきだと思っている。
だが、その感情と、これから彼が為すべきことには因果関係は存在しない。
そんな取りとめのない事を考えていると、執務室のドアがノックされた。
「入れ」
思考を中断し、来訪者に入室を許可する。
「失礼致します」
異口同音に言って、深々と一礼しながら入室する人物が4人。
傍目からすれば、服装はスーツで統一されてはいるものの、少々奇妙な4人組に思えただろう。
歳が一番若いと思われる男性は、銀縁眼鏡の奥にやけに円らな瞳を持った青年であった。
逆に、一番年上と思われるのは、杖をついた禿頭の80代と思しき老人である。
それから、60代程度の格闘家並みに体格のいい初老の男性。
そして、最後に入室したのは、20代半ばと思しき女性であった。
「ご苦労」
短くクラウスが言って、右手だけで座るように促す。
まるで図ったかのようなタイミングで、4人が一斉にクラウスの正面に用意された椅子に座る。
「それで……お前達はどう思う? 彼ら2人の事を」
開口一番、クラウスは端的に目の前の者達に問いかける。
この第3執務室には、計4台の隠しカメラが設置されている。
クラウスの目の前にいる4人は、別室でその映像を見ていたのであり、その感想を求めたのだ。
一拍の間の後、最高齢の男性が、視線だけで発言の許可を求めてくる。
やはり、それに対して視線だけで許可を出すクラウス。
「率直に申し上げますと……」
この場にいる者達の中で最高齢の人物……前貴族院議長アンドレ=スノウがしわがれた声で答える。
「ただの人間ですな。歴史家と民衆の虚構など、我々には通じませんので」
その言葉は、クラウスを含め、室内にいる全員の思いと同じであった。
極めて皮肉な事だが、この場にいる5人が、現時点でジェレミーとアリアを最もよく理解している者達だろう。
2人に最も近しい人物はレネであることは間違いない。
しかし、彼女は2人を「英雄」としか認識していないきらいが強い。
翻って、この場にいる5人はどうだろう?
300年前からの来訪者……しかも自らの祖先でもある者達を「ただの人間」と言って憚らない。
しかし、それは当の本人である2人が最も望む事ではないのだろうか?
確かに彼らも「英雄」として尊敬の念を表されるのは、嫌であるはずがない。
それでも彼らの胸の中には、刺のように刺さった感情が残っている。
それは「後ろめたさ」とでも表現できるものだろう。
「魔法は甲種級。剣の腕も一流。度胸も運も持っている……。役に立ちそうな人達ですね」
話を引き継いだのは、この場にいる最年少23歳になる男性……ロバート=ケッチャムであった。
2年前に父親から受け継いだ組織……いわゆる「反社会的組織」の構成員を束ねているロバートは、一見して非合法的活動を生業にしているとは思えないだろう。
それから、追記するならば皇国最大の慈善事業者という側面の持っている。
少し実年齢よりも幼く見える顔立ちが印象的であり、円らな瞳がきょろきょろと動いている。
「おまけに我が家から、金貨を借り逃げしておりますし……。たしか、シュルツ金貨が300枚程でしたな」
最後に付け加えたのは、アーチボルト=ダーマという体格のいい初老の男性であった。
その身を窮屈そうに椅子に預けながら、面白くなさそうにしている。
ダーマ財閥の前総帥であり、資産を増やす事に人生を費やしてきた人物でもある。
その立派な体格の内側には、ため込んだ富が納められているのではと思える。
「相変わらずの守銭奴ぶり。300年前から変わっておらんのでは? いくら身銭を蓄えても、心は豊かにならないようだな」
「では、アリア=スノウの子孫である翁が払っていただけるので?」
睨み合う前貴族院議長と、皇国最大の財閥の前総帥。
若い頃からそりが合わなかったらしいが、老齢に至ってさらに悪化しているようだ。
「お2人とも、陛下の御前です」
平坦な声が、まるで地面から這い上がるかのうに聞こえてきた。
声の主の表情筋は全く動いていない。
表情や感情という物を、母親の胎内に置いてきたのでは、と噂される程の能面ぶりであった。
その女性の名は、リネット=ホルガン。
クラウスの首席秘書官を務める人物であり、彼が最も信を置いている部下でもある。
まるで職人に作られた人形のような容姿であった。
視線を向ける事が、逆に憚れるような美しい容姿である。
セピア色の腰まで伸ばした髪と、赤い唇、そして灰色の虹彩を持つ大きな瞳。
その肌は雪のように白く、手足は理想的な長さであり、体型も精巧な設計によって造形されたようである。
しかし、その美しさが、必ずしも男性の性的関心を引くとは限らない。
むしろ、彼女の能面のような表情と、感情の色が全く見えない仕草は、粘度の高い息苦しさを与えるだろう。
機械人形のような女性に窘められた老人二人は、クラウスの方をバツが悪そうに見た後に低頭する。
それに対してクラウスが片手を上げる事で、謝罪の受け入れを表する。
「リネット。お前も、他の者達と同じ印象を持ったか?」
問われたリネットは、表情を変えず、視線を動かしもせずに平坦な口調で答える。
「人間以外の何物でもないと。むしろ、猊下のように、憧れを抱く方が信じられません」
「それは、猊下が根っからの宗教キチだからじゃないの? まあ、あの人くらい、本人と他人の『かくあるべし』が一致している人もいないですけどね」
ロバートはそう言って、最後に「幸せな人ですよ」と楽しげに付け加えてみせる。
「英雄も神も、似たような物ではあるがな……。他人によって作られたという点では」
低く笑うアンドレに対して、やはり突っかかるのはアーチボルトであった。
「そうですな。加えて両方とも、無駄に金がかかって仕方がない。少なくとも、金貨300枚はかかるようで」
そのようにじゃれ合う2人を横目に、ロバートが眼鏡のズレを直して口を開く。
「それにしても良かったですよ、本当に……彼らが人間で」
ロバートが、子供のような表情で口にする。
「確かに……。奴らが、無駄に自己犠牲精神に富んでいたり、英雄面してこの国をより良くする、とか言い出したら面倒くさかったからな」
ゆっくりと自らの考えを述べた後、「その場合はどうなさったので?」といった意味の視線を送るアーチボルト。
「排除する気は元からない。英雄は不要だが、それ即ち『排除』となるほど、私は狭量ではないつもりだよ」
そうなればそうなったで、「利用価値」は色々とある。
問題となるのは、その利便性と効率でしかない。
「だが、それ以上に不要……いや排除しなければならない物がある」
不要ではなく害でしかない存在が、この国には確かにある。
そして、それは都合が良い事に、2つの疑似餌で釣れる類の物だ。
「まず排除しなければならないのは……」
クラウスが最初に目を向けたのは、アンドレであった。
「魔法技術省の急進派と愚考致します」
「そうだな……。魔法を研究する事は素晴らしい事だ。その意味では魔法技術省は意義ある組織だ……。しかし、魔法をこの時代の主流にすることは罷りならん」
クラウスは魔法が嫌いではない。
使い道を間違えなければ、極めて有用であるし、それが科学技術に貢献する場合も多々ある。
しかし……
「科学は1を万人に与える技術ですが、魔法は万を1人に与える技術です。これを主流とするならば、今以上に持つ者と持たざる者の差が開くでしょう」
アンドレがクラウスの意図するところを、正確に口にする。
「アンドレ。彼らの情報は、魔法技術省に流れているだろうな?」
この発言をレネが聞いたならば、烈火のごとくに怒っただろう。
しかし、クラウスは自らの取った手段こそが、効率的な「利用法」だと認識している。
この場にいる全員が、皇国の利益になると思われる様に、2人の情報をリークしているのだ。
相手が、完全に情報を信じるかどうかは問題ではない。
情報の真偽を確かめようとする、その動きを確認するだけでも利益があるのだ。
クラウスにとって、ジェレミーとアリアは、確かに友人である。
先に交わした友誼に嘘はない。
しかし、それとこれとは全くの別問題である。
それはまた、ジェレミーとアリアも同意しているとクラウスは認識している。
そうでなければ自らを「歯車」と表現はしないだろう。
その意味でも、クラウスは2人を「よき友」だと思っている。
「然るべく行っております。早々に、動きがあると予想しております」
「それは重畳。彼らの頭を、ジェザとアリアが叩いてくれる事を期待しよう」
クラウスとアンドレの会話が終わると、ゆっくりとアーチボルトが口を開く。
「こちらの世界では……レリック財閥に動きがあります。主に製薬や医学分野の者達が活発に動いているようで」
「レリック財閥か」
クラウスは思わず苦笑を浮かべそうになる。
アーチボルトが口にした財閥は、彼の財閥と敵対関係にあることは有名である。
とは言っても、私的な目的が、その全てではないのだろうが……。
「リネット。レリック財閥は、歯車としてはどうだ?」
「油を注す必要があるかと」
リネットの言葉を受けて、クラウスは右手で自らの顎を軽く撫ぜる。
「ふむ……アーチボルト。お前は、何をしたい?」
「臣民として、皇国の利益を高める事でございます」
胸を張って、そう高らかに言ってみせるアーチボルトであったが、アンドレとロバートが白けた視線を向けているのには気付いていないようだ。
「その言や良し。ならば、好きにするが良い」
アーチボルトが我が意を得たり、といった笑みを浮かべるが、クラウスはそれをあえて無視する。
もしも彼が、歯車として逸脱するならば、別の歯車を用意すれば良いのだから。
ふと目を移すと、ロバートが円らな瞳に期待を滲ませながら、クラウスを見ていた。
「ロバート。言いたい事があるならな遠慮をするな。おこぼれに預かれぬぞ」
「それでは……まずは1つ確認したい事があります。供の者達の安全は、いかほどに考慮すべきで?」
その質問に対して、クラウスは一拍の間も置かずに答える。
「それ以上の利益があるかどうか。その1点に尽きるな」
「では、それに叶うならば好きにせよと? 我々の理論で」
「他国の同業他社を打倒し、社会不適合者を管理している限り、私はお前を高く評価しよう」
直接ではないにせよ、それは間違いなく許可の意味をもった言葉であった。
「では、好きなようにさせて頂きます。丁度、目に余る奴らが、目に余る事をしようとしていたので」
楽しみだなぁ、と呟きつつロバートが一礼する。
その笑みは、やはり裏社会の一員と呼ぶにふさわしい、粘度の高い物であった。
「しかしながら……」
そして最後に、リネットが口を開く。
「最も排除すべきは、英雄を狂信的に崇める者達ではないかと。彼らは、英雄を必要とする状況すら作る気なのでしょう」
その言葉に、室内にいる全員の表情が険しいものになる。
「ふむ……。アゴニストの事だな? お前も、奴らが動くと思っているのか?」
「構成員、本拠地等は分からず、ただ存在のみが明らかな集団ではありますが……確実に動くと考えます。陛下もそうお考えだからこそ、2人を帝都の外に出したのでは?」
「それについては、少々遅かったかなと思ってはいる。猊下ならば、もう少し早く失態を演じてくれると思ったんだがな」
そして、眉間に皺を寄せたクラウスは、腕を組んで両目を閉じる。
アゴニスト……魔法使いのみで構成された過激テロ集団。
その行動範囲はダーレイ皇国に限らず、近隣諸国に及んでいる。
魔法使い至上主義を唱え、魔法が廃れたのは、魔法を使えない者達に対する行き過ぎた庇護のためと信じて疑わない。
そして彼らが信奉しているのが、過去最高の魔法使いと言われている「最初の21人」なのである。
その様な集団ならば、現代にやって来た2人を放っておくはずはない。
情報など、既に流れていると思うべきだ。
当代のクラウスがやったように、彼の祖先が同じ事をしていないと誰が言えるだろうか?
だからこそ彼は、レネが2人を帝都の外に放逐する事を受諾する状況に一刻も早くなって欲しかった。
クラウスとはいえども、帝都にテロ集団を誘い込むのは回避したい。
しかし、それは裏を返せば「帝都以外ならば問題はない」、という考えがあるとも言えるのだ。
必要か不要か、利益と代償の差分……それが彼の根本的な行動原理である。
「全く……優れた魔法使いというのは、まともな奴がおらんな」
唸るようなアーチボルトの言葉に対して、珍しくアンドレが同意を示す。
「しかり。特に甲種の魔法使いともなれば、7人中4人が塀の中にいるのが現状……。まあ、これは我が国だけではなく、他国も同様であるが」
皇国において魔法を「使える」、という点に限れば、魔法使いは10000人程度はいるだろう。
およそ人口の10000人に1人といったレベルだ。
しかし、これはあくまでも「使える」という水準でしかない。
指先を光らせる、小さな風を吹かせる……その程度の魔法でしかない。
光が欲しいならば、懐中電灯を使えば良い。
風で涼を得たいならば、素直に冷房を使用すれば良いだろう。
こういった、実用的ではない、名ばかり魔法使いは「丙種」に分類される。
「丙種」の人間の多くは、魔法全盛期の偉人達の気分を少しでも味わいたい、程度の動機で魔法を修めたにすぎない。
そして、丙種以上の魔法を使用するには、生来の才能と、魔法以外を犠牲にする「時間の浪費」が必要になる。
丙種より上のカテゴリ、つまり……悪用した場合に脅威になる魔法を行使できる、乙種に属するの人間は100人足らずしかいない。
およそ100万人に1人未満という希少さである。
しかも、これらの乙種でも、科学技術の方が効率的に代替可能とする物なのだ。
では、残る最後のカテゴリ「甲種」はどのようなものか。
これは現代技術で代替可能ではあるが、それよりも魔法を行使した方が「効率的」というものだ。
言ってしまえば、科学を上回る魔法となるだろう。
これ以上の魔法の話は後に譲るとしても、アンドレの言った通り、魔法使いは上級になればなるほど、犯罪者の比率が増えていくのは事実である。
そして、アンドレは、黙り込んだままのリネットに視線をやる。
「もちろん。リネット殿は別ではあるがな」
その言葉に対してリネットは特段の反応を示さない。
恐らくは、本当に何も感じていないのだろう。
そのようなパーソナリティだからこそ、クラウスからの全幅の信頼を得ているとも言えるのだが……。
ある程度話が落ち着いた所で、クラウスはこの場にいる全員に言うべき事を思い出す。
軽く右手を上げて、その場にいる者達の視線を集める。
「皆に言っておくべき事がある。私の独断で決めた事だが、2人につける供のうち、こちらで派遣する者を決めた」
だが、それに続いて出てきた者の名は、クラウス以外の者達を驚かせるには充分な物であった。




